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2011年1月9日日曜日

とびきり猫画像

マトリョーシカのような猫たちです。
親子なのか親戚なのか、この柄、表情、そっくりです。
これだけ微妙に成長過程が違うのが不思議。

2011年1月8日土曜日

林家たい平

原宿クエストホールの『林家たい平発見伝in原宿」』に行ってきた。

会場には和服姿のマダムから小学生まで幅広い世代の客が訪れている。開演の音楽が鳴り止んでしばらく間が空くと、知人友人と来た客達はそれまで歓談に花咲かせていたように、再びどこからともなくおしゃべりを始める。落語は楽しいものとの安心感から生み出されるような、和やかで緊張の緩んだ空気だ。

随分と長い間が終わると、林家たい平登場だ。足音のないすごすごとした登場は、大きな拍手で迎えられる。客の期待の大きさが伺える拍手だ。

三つの話で構成された今回の公演は、最初から最後までとても盛り上がっていた。前の近くのお客さんは、マンツーマンで話しているようにたい平の一語一語に頭を縦に振って頷きながら、うんうんハハハッを繰り返して心の底から楽しんでいるようだ。これだけ一体となった会場では、さぞかしたい平もやりがいがあるのではないかと思う。

落語は聞いて楽しみ、身振り手振りを見て楽しむものだが、両方の要素をとてもバランスよく磨き上げて仕上げた舞台だったと思う。逆に、こうした伝統芸能とは五体満足でないと難しいものなのかとつくづく思わされた。

2011年1月7日金曜日

1月の新宿御苑

前回新宿御苑に来たのは紅葉の頃で、彩の美しさへの感嘆の声があちこちから聞こえてきた。それが今はほんのわずかだけれども梅の花が咲き、強烈な臭いを放っていた銀杏の実は冷たい風にその勢いを奪われている。

母と子の森で無数に散らばる銀杏とドングリの実は、ただ歩いているだけではその辺りに散らばる石ころと区別がつかないが、立ち止まってしゃがんで手で触れてみると、石よりよっぽど暖かい触感から植物だということがわかる。付近の地面にはどの木から伸びているともわからない親指ほどの太さの細い根が四方八方重なりあって、頭上の枝との間に私を挟むという奇妙なのだが自然そのものの空間をつくってくれる。そしてそれはなにやら我が家にいる以上の落ち着きをもたらしてくれる。隣の木と微妙に距離を取って生きているのを見ると、これがうまく生き残る知恵なのかとご近所付き合いを彷彿とさせる。

この日の都内がずいぶん冷え込んだこともあり、いつもなら昼寝する人や子供たちの遊び声で賑やかな芝生広場だけれども、この日はとてつもなく閑散としている。夏には黄緑色に輝くきれいに刈られた芝生も、乾燥するこの季節ともなるとアメリカの西部劇映画に出てくるようなステップのように、乾いた茶色をしている。そこに20メートルほどもあろうかというケヤキの巨大な影が浮き上がるさまは、真夏の陽炎のように不気味だ。ケヤキはすっかり葉が落ちて亡霊のようにそびえ立ち、地面では厚さ10センチにも20センチにもなる落ち葉が、まるで何かを待っているように重なり合っている。季節が違えばこのケヤキがつくる影も、生い茂る葉に日差しを完全に遮られるため真っ暗なはずが、今は細かに生える枝と枝からわずかずつ日差しが漏れてうっすらとしているため、どこかはかない。

ケヤキの生える芝生の向こう側にはフランス式整形庭園がある。そこでは枝が剪定されて姿の整えられたプラタナスが一糸乱れぬ列をつくって、枯れかかった花をまだいくらかつけるバラ園を囲んでいる。列の真正面から見ると一番手前の木しかないように見えるほどに寸分違わず配置されたプラタナスの木々は、幾本かは今も剪定中で、この寒い中を専門の職人が梯子車に乗り込んで剪定鋏を器用に使いこなしてカットしている。パチッパチッとどれも違う間隔で響く鋏の音は、職人のイメージをよく表し、それが乾いた空気のなかでは鮮明に聞こえてきて、冬景色を盛り上げる。新宿御苑の木々がこれほど丁寧に手入れされていることに今更ながら驚く。

出口までの道のりではパンジーやスイセンの栄養満点に花開く花壇があったかと思うと、今度はジュウガツザクラが咲き誇る。新宿門から出ると、近くの歩道の植え込みでホームレスが頭から毛布をかぶって昼寝をしている。木があれだけ手厚い介抱を受けているのを目の当たりにした後だと、普段は見慣れているはずの光景も、そのギャップにどうしても違和感が拭えない。

見えない壁を見たような不思議体験だが、それが当たり前の社会の心理に思える帰り道だった。

ケヤキ

プラタナス並木

ジュウガツザクラ

スイセン

2011年1月6日木曜日

神田から日本橋、皇居散策・1月

神田駅を東口から下りると、年明け早々ほんのりと弛緩した表情にスーツをまとった会社員があっちからもこっちからも押し寄せてくる。ランチタイムともなると、それまで眉間にシワを寄せていた人たちも、ほっこり気が緩むらしい。緩んだ顔の向かう先は牛丼屋だったり定食屋だったりなのだが、牛丼屋に女性客が多いことに驚く。

昼時の中央通りをしばらく歩くと今川橋交差点に出る。このあたりは地銀や都銀がひしめいていて、銀行ショーの様相だ。そして銀行街を2ブロックほども歩くと三井本館が現れ、私は7階にある三井記念美術館へと向かう。

三井本館というだけあって今でも三井〇〇という名の企業の営業所が入っているこの建物は、関東大震災の二倍の地震にも耐えられるように設計されているらしい。ここで働く三井〇〇の社員たちは、そんな大船に乗って毎日を過ごしていることにすっかり安心しきっているような天真爛漫な笑顔を見せてランチタイムの休憩を過ごしている。資本主義を背負っているとの自負心をもっているような胸を張った歩き方、ハキハキした話し方、これはもう三井カラーとしか言いようのないものだ。

そんな彼ら彼女らをよそに私は7階へとエレベーターに乗り込むのだが、そのエレベーターがまたすごい。建物のどっしりした外観に負けず劣らず豪奢な扉である。エレベーターにこんな装飾が必要だろうかとの疑問を持ちながらも乗り込むこと十数秒。7階で無事降りると、今度は立派な展示室がお目見えする。展示を見る前にこんなに建物自体に目が奪われることも珍しいが、それくらいに三井の威信をかけて本館をつくったことが伺える凝りようだ。

木目がむき出しの薄暗い館内はシャンデリアに至るまで豪華に変わりはないが、とても落ち着いた雰囲気だ。そこに今回は室町三井家の名品の数々が展示されているわけだが、三井家の人々は茶というものを非常に楽しまれたようで、名品は茶室にあるであろう品々でほぼ構成されていたと思う。

疲れはてて大雑把な日常を強いられるとどうしてもそんな茶のわびさびなど気にしていられないし、気にもならないと思うのだが、金と時間がたっぷりある三井家の人々はちょっとした茶碗の厚みの違いや柄を愛でる余裕があるらしい。そう思えるような繊細な道具がたくさんで、見ているうちに私までが、こういうものをこだわるのも面白いかもしれないと思えてきた。

すると計算されたかのようにそう思える頃展示が終わる。そして再びご立派なエレベーターで一階まで下りて、私は隣にある三越の『善光寺 大本願上人展』へと向かう。獅子が迎えてくれるのを過ぎて7階ギャラリーへ上ると、三井記念美術館でもいたように和服姿の老女たちがちらほら視界に入ってくる。ただ、不思議とこれら和服の老女を外で見ることはまずない。駐車場で控えている黒塗りの車が送迎しているものと思われる。これも日本橋ならではの光景だ。

大本願は尼僧のお寺で、歴代上人は皇族や公家から仏門に入った人たちだ。

展示されていた装束はとても豪華に見えこれで何が救えるのかと思ったが、最後のところで仏門に入る前後の映像が流れているのを見ると、どういう思いでこの道を選んだのか複雑な心境になる。家族と別れ、頭を剃って出てきた上人の姿を見ると、老人がよく「生かされているんだ」と言っていることの意味が分かる気がしてくる。

二つの展示を見終わりせっかくだからと皇居に行ってみると、東京駅を越えていくこの道のりは想像以上に遠かった。北桔門から出る予定だったのを平川門から出て、毎日新聞ビルのカフェサンマルクで小休止する。

皇居はこの日も散歩する会社員や内外国人観光客が静かに時を過している。私はここに来るたびに石垣の一つ一つの石の大きさに驚く。ピラミッドを見ても同じように驚くかも知れない。東御苑の平川門の方には梅林があるのだが、思いの外梅の花が咲き始めて、それまで冷え込む散歩だと思っていたところに春の息吹を注いでくれる。

三井記念美術館には江戸の頃からの家系図が長々とお披露目されていたがそれも最近途切れたらしい。こうして梅の花が毎年咲くことにこんなにも喜べることについこれまで気付かなかった人生が、なんだか面白く思える一日だった。

今川橋交差点にある碑

銀行がいっぱい


三井本館のエレベーター

三井本館の外観

三井本館

松のある皇居

皇居に咲く梅

梅と石垣



平川門の方

外から見る平川門

2011年1月5日水曜日

十勝岳の岩と水

先月北海道温泉巡りをした際の一日目、旭川空港に降り立って十勝岳山麓にある吹上温泉に向かう途中の車窓の数々です。天気が良くてずっと遠く大雪山連峰を一望できました。




どの山が何山か全くわからない雪山たち。




大正15年の十勝岳噴火の際に泥流と共に流れてきた岩
優に人の背丈を超える大きさです。
これが流れるってどんだけ凄まじい流れだったのか・・・。
延寿の水
大雪山の山々にはこうして飲水できる水がいろいろあります。
そのひとつ、延寿の水。
おいしいですよ。

2011年1月4日火曜日

初詣・高幡不動尊

高幡不動尊に初詣に行くと、三が日を過ぎてもまだまだ人出が多い。とはいえ元旦のような、駅から途切れることなく人の列が続いて道が埋め尽くされることはない。仕事始めの人も多いだろう。それでも境内の手水舎や大香炉は、そこを取り囲む人でごった返している。

境内に入って出店の建ち並ぶ道を人の流れと逆行するように八十八カ所巡りの第一ヶ所目に向かうと、出店の並びから一歩離れたところにはチョコバナナやお好み焼きを立ちながら頬張る人が点々といるのだが、そこを更に超えると初詣の喧騒はもうない。

冬の不動の丘は、あじさいの花もモミジの葉もすっかり落ちて随分と風通しが良い。秋には落ち葉が足を奪うところだけれども、今はそれらの葉も道の両脇にすっかりきれいに寄せ集められている。

不動堂前とは比べようもないほどひっそりとした今回の高幡不動尊八十八カ所巡拝は、ひとつひとつ進めていくとまれに人とすれ違い、そのほとんどが足下のおぼつかない老人であることに気づく。あじさいの季節や紅葉の頃は重そうなカメラを携えた老若男女が登ることも多いこの道を、相当に高齢であろう老人たちが、しばしば設けられている各お地蔵さんまでの階段を一段一段ゆっくりゆらゆらしながら上っている。そしてとても念入りに手を合わせて拝み終わると、一段下りては立ち止まり一段下りてはまた立ち止まりしながら次のお地蔵さんへと向かう。その遅く重い歩みはいかにも長く生きた人ならではだ。そうまでして合掌して祈りたいこと、伝えたいことがあるのかと思うと、なんだかこちらまでもが生きていることを実感させられる。

そんな人々の思いを日々一心に受け止めるここのお地蔵さんは、概ね切れ長の目を持ちきりっとしているのだが、表情は実にさまざまだ。スマートで優しかったり、難しかったり、にらみつけていたり、ちょっと気弱だったり、目が開いていたり閉じていたりだ。面白いのが、私が見る限り一つか二つの地蔵を除いて、片目だけがつり上がっているものは必ず左目が上がっている。他にも、43番だったと思うがこの地蔵だけが他よりとても古びたように見える。目鼻口がほとんど原型をとどめず雨で削られたように失われているのだ。他の地蔵も鼻を失っているものが少なくない。

そんなお地蔵さんたち一つ一つに新年の挨拶をしながら歩き進めていると、とあるおじいちゃんが地蔵の頭を慈しむように撫でているのを目撃する。子供やかわいがっている犬や猫を撫でるようなその姿はなんとも感慨深い光景だった。そしてそれに触発されて、威風堂々と佇む地蔵の頭を私も触ってみる。するととても小さくて驚く。手のひらが余るほどの大きさの頭をした地蔵は冬の外気で冷たくて、首から赤い前掛けのようなものを下げるのは可愛くもあり畏怖を抱かせる姿でもあり、どうにでも思いを寄せられそうな一風変わった存在感に思えてくる。
 
お地蔵さんの背後には日野の街が広がり、周囲にはクロマツのささくれだった木肌がひっそりと存在をアピールし、ここは随分と役者の揃う巡拝道だ。鳥の鳴き声かと思うとそれは鳥の気をひこうと鳴き真似をしている人の声で、それと見間違うような雅楽の音色が重なる。すると、ドドドドドドドドと横田基地からであろう米軍ヘリの飛ぶ音が頭上近くで空気の渦を巻き、やがては遠くに消えていく。その音に一時気を取られた人も動物も、数秒もすると元のさえずりを取り戻し、雅楽の音の中で参拝をする。
 
高幡不動尊の八十八ヶ所巡拝は八十七番目までは山道にあるのだけれども八十八番目だけが平地にある。そこに辿り着くと、正月ムード満載の出店や初詣の人々のすごい賑わいが戻ってくる。賽銭は八十八番目の賽銭箱でお願いしますとの立て札通りに、八十八番目のお地蔵さんの前にある賽銭箱にチャリンと小銭を入れて、この日の巡拝を無事終えた。

2011年1月1日土曜日

草津の冬の風景

草津の夜は静かだ。そして一気に冷え込む。冷え込んだ空気は朝になるとより冷たさを増し、夜明けと共に徐々に暖かくなってきたかと思うと、屋根の雪を長い氷柱に変える。ポタポタと氷柱を伝って落ちる水は、なぜこのまま放っておくのかと不思議だったが、一日二日と草津にいると、長くなった氷柱を落としても落としてもキリがないことに気づく。だからきっとどの家も放っておくのだろう。どおりで至る所に雪と氷柱に注意との看板がある。


宿の女将はきれいな人だった。翌日掃除に来たおばちゃんたちとは姿勢から表情から全く違う。顔からは誇りと意気込みが感じられ、お金を払ってしまえばいたって優しく親切だ。昔は芸者さんだったのかと思わせるほどに芸達者であることを物語るヨガや日舞の賞状の数々が玄関の壁に並んでいる。そういえば草津の商店街の奥まったところに凪の湯というその昔花柳界の女性が通ったという共同浴場があった。女将さんは今は客が入浴しない時間を見計らって宿のお湯に入っているようだ。

本当に静かな草津の夜は、メインの観光地である湯畑に行っても、ほんの時折若い観光客の高笑いが響くだけで実にひっそりしている。寒さのせいもあるかもしれないが、ほとんどの店が閉まっているのをみると、こういうリズムの街なのだと思う。

年末も年始も、雪の降る日も晴れの日も、変わらず温泉が湧きだし、それが続く限りは観光地として生き絶えることの恐らくない草津の街。若い世代が非常に多く訪れるのを見て、今後もそうそう廃れることはないだろうとの思いをより強くもてる温泉郷だ。東京という大都会も白根山や温泉などの大自然もほどよく近くにある草津は、生き残るには充分な条件をそろえている。

都会暮らしに慣れてしまった私はこの中途半端に便利な温泉郷に二日もいるとかえって落ち着かないのだが、それもまた利便性の高い観光地ならではの味わいなのかもしれない。

朝から雪がずっと降っているというのに、一日外をブラついても帽子だけかぶれば傘をささなくても濡れることがない。それほど外気は冷たいというのに、冷えてもすぐに外湯に入れるから大丈夫という安心感がとてもありがたく思える草津だった。