朝のニュースで、今年は寒暖差が大きかったために紅葉が一段ときれいだとの内容を聞いた。北海道のある町で氷点下20度との観測が出たことを知ると、幼い頃自分が何度も経験したその世界がどのようなものだったかを思い出し、怖いもの見たさで体験したくなるように、例年よりきれいな紅葉とはどのようなものかを体験したくなった。そこで遅い朝食を取ると、午前中指定の宅配便を放ったらかして、比較的近くて落葉樹の多い新宿御苑へ紅葉狩りに出かけることにした。
秋晴れの陽気に包まれる歩道をコツコツコツコツと足音が近づいてきては追い抜いていく。若い女性たちはこれから仕事に向かうようだ。シャシャッシャシャッと買い物袋がすれる音に合わせたもう少しゆっくりした足音は、朝一番で買い物に出て帰る途中の老人だろう。老人はなにより朝が早い。そんな朝の活力のような数々の足音に紛れて十数分の道のりを終えると、ラッシュを過ぎた時間とはいえ緊張感の走る駅に着く。
階段、改札、人混みのすべてが荒波のその構内は、たかだか数十メートルのスペースなのにいつも手強い。電車の警笛の音と自分の前を過ぎていくときにぶつけてくる突風のような風ほど心臓に悪いものはない。そして見知らぬ人の存在は奇襲攻撃のようだ。
幾多の難関を無事通過して電車に乗り込むと、眩しかった陽光が車内にも差し込むことに神経質になったけれども、あるところのブラインドが下りていたためにそこだけ光が減り、ようやく安心して腰を下ろすことができた。静かな電車のなかは話している人がまばらの普段の姿で、座席部分がいっぱいのために隣の人とぶつかるのもいつも通りだ。そしてガタンゴトンという電車の走る音だけが、終着駅の新宿までただただ続いた。
紅葉狩りの目的を果たすべく新宿御苑に入ると、朝方まで降っていた雨のせいで木々の幹は湿り気を帯び、足下を踊るはずの枯れ葉は活動を抑えられていた。それでも私同様に紅葉目当ての人々は多数御苑を訪れて、それぞれに楽しんでいるようだった。
姿がきれいねと話す人たちの向こうには姿の良いモミジの木があるのだし、大勢がカメラを構える向こうには必ず庭園ならではの絶景がある。中高年独特の枯れた声をした指導者らしき男性がいろいろ指図する先には、それに従う同じく中高年独特のしわがれ声の男女たちがいて、楽しそうに嬉しそうに、紅葉と同じくらいに写真撮影を楽しんでいる。恐らく定年後の富裕層と言われる年金生活者だろうが、その話から三脚つきの高いカメラを一式そろえていることは明らかだ。そしてそんなグループの傍らからは絵の具のにおいがすることが多いのも紅葉する園内の風景としては当たり前のようである。世間話をしながら絵描きに励む声からは、やはり年齢を経てきた独特のその声質から、彼らも中高年とわかる。園内は中高年全盛期といえるようだ。
こうした木々を取り囲むさまざまな姿も紅葉狩りを楽しむ一つの要素なのだろうとつくづく思いながら日本庭園を歩いていると、声をひそめようと努力しつつもついつい出てしまった普段より1オクターブ高いであろう感嘆の声が聞こえてくる。そういう時はだいたい猫がいるものだ。そして実際猫がいた。大きさと肌触りが微妙に違う5匹の猫たちが、驚くほど大人しく人を警戒しない様子で日向ぼっこをしている。入れ替わり立ち代わりシャッターの音がするのを聞くと、紅葉に負けない人気者らしい。
「あの赤きれい」という声や、「鮮やかな黄色ね」という声に合わせて赤く色づくモミジの葉や黄色く色づくイチョウの葉を手に取ると、その手の感触と人々の声の様子から私の赤や黄色という色へのイメージが膨らんでいくのがわかる。それはゴッホの絵の中に出てくる黄色やゴーギャンの絵に出てくる赤のようなものなのかも知れない、きっとそうに違いないという思いを胸に、紅葉の素晴らしさを少しは体感した気持ちで新宿御苑を後にした。
2010年11月26日金曜日
紅葉の日
陽光刺すも、ほんのり光を感じるだけで決して暖かくはない晩秋の早朝のベランダに立つと、日が暮れてからどれだけこの時が始まるのを待ちわびて、その習慣が始まってから期待が裏切られることなくずっと満足し続けられることに底知れぬ感動が湧いてくる。それが薬の効果のように曖昧でプラセボのようだったとしても、ずっと以前の昔から変わらない日の出と日の入を、その光が届かないところ以外の地球上のすべてが経験する当たり前のこのリズムを、自分もこうして享受しかつ生きる道しるべとしているらしいことがありがたくてならない。
太陽が真上に上る少し前に散歩に出ると、数日前より多い枯葉の上をシャッシャッと歩くことになり、足元のクッションが増すに連れて頭上から注ぐ光が強く多くなる。そしてそれは随分よくできたサイクルのように思える。風が吹くと雨が降るような音がして、それと同時にパラパラ舞い落ちてくる葉があり、その葉を帰り道にまた踏みしめて歩くことになるのかと思いながらちょっと別の方に向かってみると、もう土と一体化していく葉っぱたちがある。きっとずっと以前に落ちた葉で、次のサイクルに入ったのだろう。いずれにしろ足元を柔らかく保ってくれて、時に足を奪われ転ばされてしまうのだけれども、触っても決して手を傷つけることのないその葉の重なりは、転んでもいいクッションになってくれる。
すべての葉が落ちて土と一体になると、鳩が飛び立つときに羽がつくる風で落ち葉が舞うこともなく、風が吹いても音をならす葉がなくて寂しい気がする。だが、その分遮られることなく降り注ぐ陽光を凍てつく空気の中で一身に受けられるのだから、よくよくうまく出来ているものだと思えてならない。
(今年の紅葉より~10月の大雪山、11月の宮島、都内各所~)
太陽が真上に上る少し前に散歩に出ると、数日前より多い枯葉の上をシャッシャッと歩くことになり、足元のクッションが増すに連れて頭上から注ぐ光が強く多くなる。そしてそれは随分よくできたサイクルのように思える。風が吹くと雨が降るような音がして、それと同時にパラパラ舞い落ちてくる葉があり、その葉を帰り道にまた踏みしめて歩くことになるのかと思いながらちょっと別の方に向かってみると、もう土と一体化していく葉っぱたちがある。きっとずっと以前に落ちた葉で、次のサイクルに入ったのだろう。いずれにしろ足元を柔らかく保ってくれて、時に足を奪われ転ばされてしまうのだけれども、触っても決して手を傷つけることのないその葉の重なりは、転んでもいいクッションになってくれる。
すべての葉が落ちて土と一体になると、鳩が飛び立つときに羽がつくる風で落ち葉が舞うこともなく、風が吹いても音をならす葉がなくて寂しい気がする。だが、その分遮られることなく降り注ぐ陽光を凍てつく空気の中で一身に受けられるのだから、よくよくうまく出来ているものだと思えてならない。
(今年の紅葉より~10月の大雪山、11月の宮島、都内各所~)
2010年11月1日月曜日
失われた時を求めて 続き
湿度の高い日々が続いて、喉を痛めた私にはありがたい限りです。
斜めに射しこむ日差しが肌に優しく感じられるような今日の日差しを浴びながら、『失われた時を求めて』の続きについて。集英社文庫の一冊目300ページ目前後。
語り手の年老いた叔母が、自らの死を受け入れていく様子が描かれてます。この小説には多くの死と、それを語り手がどう受け止めていくかがしばしば描かれますが、ここの描写も私はなかなか気に入ってます。
「・・・・・・それは老年のあの深い諦めだった。・・・・・・いつまでの生き延びた人々の生涯の終わりによく見られるものだ・・・・・・しかしこうして永久に引きこもってしまうことも、本来ならこれをもっと痛々しいものにしたはずだと思われるその同じ理由によって、叔母にはかなり楽だったものにちがいない。というのも・・・・・・」
公園には木の葉や実がたくさん落ちていて、土の上を歩くとクッション効果が最高です。ふと見つけたどんぐりを拾ってみようと顔を地面に近づけてびっくりです。土の匂いがする・・・。こんなに土ってにおうんだと驚きました。幾多の化学反応が起こっている土のにおいは、その景観同様薄い黒のようなこげ茶色のようなものでした。
斜めに射しこむ日差しが肌に優しく感じられるような今日の日差しを浴びながら、『失われた時を求めて』の続きについて。集英社文庫の一冊目300ページ目前後。
語り手の年老いた叔母が、自らの死を受け入れていく様子が描かれてます。この小説には多くの死と、それを語り手がどう受け止めていくかがしばしば描かれますが、ここの描写も私はなかなか気に入ってます。
「・・・・・・それは老年のあの深い諦めだった。・・・・・・いつまでの生き延びた人々の生涯の終わりによく見られるものだ・・・・・・しかしこうして永久に引きこもってしまうことも、本来ならこれをもっと痛々しいものにしたはずだと思われるその同じ理由によって、叔母にはかなり楽だったものにちがいない。というのも・・・・・・」
公園には木の葉や実がたくさん落ちていて、土の上を歩くとクッション効果が最高です。ふと見つけたどんぐりを拾ってみようと顔を地面に近づけてびっくりです。土の匂いがする・・・。こんなに土ってにおうんだと驚きました。幾多の化学反応が起こっている土のにおいは、その景観同様薄い黒のようなこげ茶色のようなものでした。
2010年10月31日日曜日
台風の日に温泉
昨日の台風はすっかり東京を過ぎたようで、今日はわりと晴天でした。
台風の近づく大雨のなか、家にいても身体が冷える一方なので、
多摩境にあるいこいの湯に行ってきました。
駐車場は6~7割くらい埋まっていて、
混んでるかなあとお風呂に向かうと、
やはり台風のせいか以前来た時より空いてました。
ここのお風呂の中で唯一源泉かけ流し風呂のある露天へ。
露天は屋根のないところもあり、お湯には強く打ち付ける雨が。
これもまた風流です。
熱めの源泉はとてもいいお湯でした。
保温効果があって入浴後もポカポカです。
都内にこんな温泉があって救われた思いです。
身体が冷えた頃、また来ようと思います。
MLBはサンフランシスコ・ジャイアンツが勝つのか、テキサス・レンジャースなのか。
レンジャースの投手陣が心配ですが、明日の試合が楽しみです。
台風の近づく大雨のなか、家にいても身体が冷える一方なので、
多摩境にあるいこいの湯に行ってきました。
駐車場は6~7割くらい埋まっていて、
混んでるかなあとお風呂に向かうと、
やはり台風のせいか以前来た時より空いてました。
ここのお風呂の中で唯一源泉かけ流し風呂のある露天へ。
露天は屋根のないところもあり、お湯には強く打ち付ける雨が。
これもまた風流です。
熱めの源泉はとてもいいお湯でした。
保温効果があって入浴後もポカポカです。
都内にこんな温泉があって救われた思いです。
身体が冷えた頃、また来ようと思います。
MLBはサンフランシスコ・ジャイアンツが勝つのか、テキサス・レンジャースなのか。
レンジャースの投手陣が心配ですが、明日の試合が楽しみです。
2010年10月29日金曜日
2010年10月27日水曜日
道東の樹海と都会の喧騒
(『写真で見る下北半島と美幌峠 』からの続き)
去年の冬の東京タワーと10月摩周湖に行った時より、群集と樹海について。
東京タワーから街を見下ろすと、官庁街や新宿副都心、住宅街などが見渡せ、四方八方どこまでも箱のような建物が続いているのがわかります。その密集ぶりは、人がくつろいでいるはずの住宅街ですら、地上からの実感だとこんなに気分の塞ぐものを知らないくらいです。
その気分の塞ぎようは、東京タワーの展望室から地上の人を見つけたときに、その働き蟻のように動く姿を目にして自分もこんなに小さな存在かと高見からがっかりするのとは大きく違います。それは満員電車の圧力のように、実際に身に降りかかってくる閉塞感で、人が高見に立ったときの何か達観したような安堵感は皆無です。
タワーを150メートル上がった非日常という日常との差異から生まれるそんな世界観は、温泉で一時疲労から開放される程度に持続する解放感に似ています。ところが実際に踏みしめるコンクリートやアスファルトの上には膨大な群集がひしめき、ある人は支配欲に駆られ、ある人は世捨て人となりながら、その日その日を暮らしています。
そんな群集のなかの孤独に身を置くと、それは時に心地良く、適度に寂しさを紛らわせてくれることがわかります。更に最近の流行や人々の興味の対象が見えてきて、なんとなく社会や時代を把握できてきます。しかし本当の意味で何も受け止めることのない群集は孤独感を増す原因にもなりかねない存在であり、どこに手を伸ばせばいいかもわからず、方角を失ったまま樹海を歩く途方無さを突きつけてきます。
いずれ亡骸になる自分の肉体が戻る土が見えないとは根無し草の恐怖をもたらしますが、そんな恐怖とは無縁のものが一方であることを、道東を旅していて思い出すことができました。
摩周湖の展望台に立ってカムイシュ島を見ると、そこには水位がほとんど変わらないとされる青い色の湖と、それを取り囲む樹海の景色に日常のストレスを忘れます。銀泉台からの眺めもそうでした。そこにあるすべて受け入れてくれそうな安心感とは、この肉体が亡骸になったら動物が肉を食べ、白骨化するまでバクテリアが自分にかかわってくれることを保証されているからこそで、つまり自分の存在が無駄ではなく、何かの役に立ち、帰るところがあるという安心感です。
そんな道東の樹海を貫く道路を走り続けて二、三日もすると、普段家に居る時ならばかけている音楽を必要としなくなるから不思議です。聞こえるてくる音は風の音と足音だけという世界では、もう音楽はいらなくなります。そしてそれは都内に戻っても二、三日続きます。その後は再び音楽が聞きたくなるのですが、それは耳の中に侵入してくる工事の音や話し声などをかき消すためかもしれません。毒をもって毒を制すようなものです。あるいは作曲家がもう帰れない祖国を思って曲をつくるように、労働現場では失われた何かを求めて音楽を聞くのかもしれません。
どんなに落ちぶれても失われない強い意志の力すらも、大自然のなかに身を置くとすっかり力を失い、そこに生える一本の木と同じだけのパワーしか自分にはない(それだけのパワーはあるとも言える)ことを教えてくれる道東の樹海でした。
去年の冬の東京タワーと10月摩周湖に行った時より、群集と樹海について。
東京タワーから街を見下ろすと、官庁街や新宿副都心、住宅街などが見渡せ、四方八方どこまでも箱のような建物が続いているのがわかります。その密集ぶりは、人がくつろいでいるはずの住宅街ですら、地上からの実感だとこんなに気分の塞ぐものを知らないくらいです。
その気分の塞ぎようは、東京タワーの展望室から地上の人を見つけたときに、その働き蟻のように動く姿を目にして自分もこんなに小さな存在かと高見からがっかりするのとは大きく違います。それは満員電車の圧力のように、実際に身に降りかかってくる閉塞感で、人が高見に立ったときの何か達観したような安堵感は皆無です。
タワーを150メートル上がった非日常という日常との差異から生まれるそんな世界観は、温泉で一時疲労から開放される程度に持続する解放感に似ています。ところが実際に踏みしめるコンクリートやアスファルトの上には膨大な群集がひしめき、ある人は支配欲に駆られ、ある人は世捨て人となりながら、その日その日を暮らしています。
そんな群集のなかの孤独に身を置くと、それは時に心地良く、適度に寂しさを紛らわせてくれることがわかります。更に最近の流行や人々の興味の対象が見えてきて、なんとなく社会や時代を把握できてきます。しかし本当の意味で何も受け止めることのない群集は孤独感を増す原因にもなりかねない存在であり、どこに手を伸ばせばいいかもわからず、方角を失ったまま樹海を歩く途方無さを突きつけてきます。
いずれ亡骸になる自分の肉体が戻る土が見えないとは根無し草の恐怖をもたらしますが、そんな恐怖とは無縁のものが一方であることを、道東を旅していて思い出すことができました。
摩周湖の展望台に立ってカムイシュ島を見ると、そこには水位がほとんど変わらないとされる青い色の湖と、それを取り囲む樹海の景色に日常のストレスを忘れます。銀泉台からの眺めもそうでした。そこにあるすべて受け入れてくれそうな安心感とは、この肉体が亡骸になったら動物が肉を食べ、白骨化するまでバクテリアが自分にかかわってくれることを保証されているからこそで、つまり自分の存在が無駄ではなく、何かの役に立ち、帰るところがあるという安心感です。
そんな道東の樹海を貫く道路を走り続けて二、三日もすると、普段家に居る時ならばかけている音楽を必要としなくなるから不思議です。聞こえるてくる音は風の音と足音だけという世界では、もう音楽はいらなくなります。そしてそれは都内に戻っても二、三日続きます。その後は再び音楽が聞きたくなるのですが、それは耳の中に侵入してくる工事の音や話し声などをかき消すためかもしれません。毒をもって毒を制すようなものです。あるいは作曲家がもう帰れない祖国を思って曲をつくるように、労働現場では失われた何かを求めて音楽を聞くのかもしれません。
どんなに落ちぶれても失われない強い意志の力すらも、大自然のなかに身を置くとすっかり力を失い、そこに生える一本の木と同じだけのパワーしか自分にはない(それだけのパワーはあるとも言える)ことを教えてくれる道東の樹海でした。
2010年10月25日月曜日
写真で見る下北半島と美幌峠
写真には対象を客観的に記録するという特徴がありますが、旅に行って自分が撮った写真を見ながら、記録と主観的な記憶の旅にもう一度行ってみることに。
見ていた写真は今年の8月に行った下北半島と10月に行った美幌峠。
いずれもその面積のほとんどを人間が住むところとしていない土地で、なのに立派な国道という名の舗装道路が地の果てまで完備してます。
田中角栄の手腕が色濃く残るそんな下北の国道を走っていると、いつしか野生の猿が出没するところに出て、仏ヶ浦を拝むことになります。恐らく誰もいない写真で見るこの仏ヶ浦は、ただ誰かが仏ヶ浦と名付けただけで、波が打ち寄せては引くのを、その音と共にあるだけです。たとえ私がその地に降りて足跡をつけても、それは波に消され、偶然迷い込んだ鳥がそこに降り立つのと同程度に人目に触れないという気楽さがあり、同時にここで死んでも誰も知ることもないとの寂しさがあります。そんな本州の北端を車は故障することもなく走ってくれたことを思い出しながら美幌峠の写真へ。
美幌峠までの立派な国道は鈴木宗男を連想しますが、この道路をくまなくつなげた労働力を思うと、中国がなんだかんだいっても世界経済でしのぎを削ろうと出しゃばるのが分かる気がします。
下北半島もそうですが、写真に残る美幌峠の自然も円や曲線でつくられていることがわかります。屈斜路湖にある中島も円形で、周囲の屈斜路湖も曲線でかたちをつくってます。美幌峠から360度みまわしても、阿寒の山々はなだらかな勾配をつくり、これから沈もうとする太陽も円形です。
丸い眼球で見たそれらの風景にひとつだけ違和感があるとすれば、道の駅の建物です。長方形のボディに三角屋根というのは、そこに人がいるシグナルを、敢えて大自然のなかで発しているのではないかと思う異様さです。土地をならして住居をつくる生活をする人なら誰しも人間の存在を察知する信号のような、直線と直角でつくられる建物。美幌峠からはそんな人らしさは道の駅一つしか見つかりません。
道路は十分人間的で、下北半島や美幌峠を走っていると、あと何キロで〇〇市などと常に標識が見えて、気持ちは車と共に目的地に向かいます。しかし峠の上から周囲を見下ろすと、そんな道路は大きなたらいから水がチョロチョロ漏れ出てくる時にできる水の跡程度のものでしかないと気づき、とんでもなく人里離れていて人間より他の動物の方がはるかに多く生息するところであることに気づきます。
遭難したわけでもないのに、写真を見直すと、そんな思い出と恐怖があれこれ頭を交差します。ところが面白いことに、実際美幌峠に立った数日後に自分が暮らす東京の摩天楼を目にすると、逆にもうコンクリートジャングルでは生きていけないと思う自分がいます。長方形の建物が所狭しと建ち並ぶこの光景。これ以上に人間的な眺めはないと思い、実際これ以上に人口密度の高いところなどないという大都会を眺めながら、群集と樹海について考え始めました、、、(続く)。
見ていた写真は今年の8月に行った下北半島と10月に行った美幌峠。
いずれもその面積のほとんどを人間が住むところとしていない土地で、なのに立派な国道という名の舗装道路が地の果てまで完備してます。
田中角栄の手腕が色濃く残るそんな下北の国道を走っていると、いつしか野生の猿が出没するところに出て、仏ヶ浦を拝むことになります。恐らく誰もいない写真で見るこの仏ヶ浦は、ただ誰かが仏ヶ浦と名付けただけで、波が打ち寄せては引くのを、その音と共にあるだけです。たとえ私がその地に降りて足跡をつけても、それは波に消され、偶然迷い込んだ鳥がそこに降り立つのと同程度に人目に触れないという気楽さがあり、同時にここで死んでも誰も知ることもないとの寂しさがあります。そんな本州の北端を車は故障することもなく走ってくれたことを思い出しながら美幌峠の写真へ。
美幌峠までの立派な国道は鈴木宗男を連想しますが、この道路をくまなくつなげた労働力を思うと、中国がなんだかんだいっても世界経済でしのぎを削ろうと出しゃばるのが分かる気がします。
下北半島もそうですが、写真に残る美幌峠の自然も円や曲線でつくられていることがわかります。屈斜路湖にある中島も円形で、周囲の屈斜路湖も曲線でかたちをつくってます。美幌峠から360度みまわしても、阿寒の山々はなだらかな勾配をつくり、これから沈もうとする太陽も円形です。
丸い眼球で見たそれらの風景にひとつだけ違和感があるとすれば、道の駅の建物です。長方形のボディに三角屋根というのは、そこに人がいるシグナルを、敢えて大自然のなかで発しているのではないかと思う異様さです。土地をならして住居をつくる生活をする人なら誰しも人間の存在を察知する信号のような、直線と直角でつくられる建物。美幌峠からはそんな人らしさは道の駅一つしか見つかりません。
道路は十分人間的で、下北半島や美幌峠を走っていると、あと何キロで〇〇市などと常に標識が見えて、気持ちは車と共に目的地に向かいます。しかし峠の上から周囲を見下ろすと、そんな道路は大きなたらいから水がチョロチョロ漏れ出てくる時にできる水の跡程度のものでしかないと気づき、とんでもなく人里離れていて人間より他の動物の方がはるかに多く生息するところであることに気づきます。
遭難したわけでもないのに、写真を見直すと、そんな思い出と恐怖があれこれ頭を交差します。ところが面白いことに、実際美幌峠に立った数日後に自分が暮らす東京の摩天楼を目にすると、逆にもうコンクリートジャングルでは生きていけないと思う自分がいます。長方形の建物が所狭しと建ち並ぶこの光景。これ以上に人間的な眺めはないと思い、実際これ以上に人口密度の高いところなどないという大都会を眺めながら、群集と樹海について考え始めました、、、(続く)。
2010年10月20日水曜日
2010年10月18日月曜日
二人の散歩
今日も太平洋の向こうで白熱中のMLBの放送が。サンフランシスコ・ジャイアンツと戦っているのはフィラデルフィア・フィリーズだったんですね。
『失われた時を求めて』について。
主人公がある日マドレーヌを食べた瞬間、それがかつてコンブレーで口にしたマドレーヌの味だとわかり、不意にコンブレーの思い出が生き生きと蘇ってくるところです。これがプルースト言うところの「無意志的記憶」で、この後膨大に続く物語の要所要所で手を変え品を変え出てきます。
叔父アドルフがココット(高級娼婦)を家に呼んで幼い主人公に会わせてくれた時、主人公は叔父に絶大な感謝の念を抱いたのですが、それを両親に素直に伝えてしまうところの描写が面白いです。
この作品に専念するためにアパルトマンをコルク張りにして外界の物音をシャットアウトしてまで描いた甲斐があります。偏見を持つ前の子供の思考と心理がとてもよく再現されてます。
「ところが不幸にも両親は、いざ叔父の行動を評価するときになると、私が採用をすすめる原理とはまったく違った原理に頼ったのだ・・・・・・」
『失われた時を求めて1 スワン家の方へⅠ』p179までから。
背中を向け合いながらも二人で散歩を楽しむ猫たち。
『失われた時を求めて』について。
主人公がある日マドレーヌを食べた瞬間、それがかつてコンブレーで口にしたマドレーヌの味だとわかり、不意にコンブレーの思い出が生き生きと蘇ってくるところです。これがプルースト言うところの「無意志的記憶」で、この後膨大に続く物語の要所要所で手を変え品を変え出てきます。
叔父アドルフがココット(高級娼婦)を家に呼んで幼い主人公に会わせてくれた時、主人公は叔父に絶大な感謝の念を抱いたのですが、それを両親に素直に伝えてしまうところの描写が面白いです。
この作品に専念するためにアパルトマンをコルク張りにして外界の物音をシャットアウトしてまで描いた甲斐があります。偏見を持つ前の子供の思考と心理がとてもよく再現されてます。
「ところが不幸にも両親は、いざ叔父の行動を評価するときになると、私が採用をすすめる原理とはまったく違った原理に頼ったのだ・・・・・・」
『失われた時を求めて1 スワン家の方へⅠ』p179までから。
背中を向け合いながらも二人で散歩を楽しむ猫たち。
2010年10月17日日曜日
シルクロードの終着点
遅めに起きてみると、テレビではメジャーリーグの白熱したプレーオフが放送されていました。サンフランシスコ・ジャイアンツ対どこだったか。なんだなんだと番組表をチェックすると、夕方からはアメリカン・リーグの試合が放送予定になっているではないですか。昨日はヤンキースが勝ちました。昔AーRodファンだった私は未だに心のどこかでAーRodの所属するヤンキースを応援してしまいます。
その後衛生第2にチャンネルを移すと遷都1300年に因んで奈良から生放送をやってました。平城宮跡やら興福寺やら、カメラがあちこちに飛ぶその放送を何の気なく見ていると、ゲストの誰かが奈良がシルクロードの最終地点と言い出しました。
以前読んだ大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』では、平泉がシルクロードの始まりだとあったような気が。一体どちらに信憑性があるのか、彼らほど研究してない私は判断できませんが、言ったもの勝ちとも思えるところです。どちらの町も権力の象徴のように大きなお寺があり、私が今年行ってきた印象ではどちらも穏やかで落ち着いた町で、田園風景も美しいです。
集英社文庫の『失われた時を求めて』を再びはじめから読み始めてますが、今80ページくらいまできました。喘息だったプルースト自身がそうであったように、語り手の主人公がお母さんに甘える幼少期が思い出されて語られています。そして副題に『スワン家の方』とあるように、ユダヤ人でブルジョワのスワンとのかかわりがこれから展開されようとしてます。
何度読んでも面白い『失われた時を求めて』でした。そして漫画『動物のお医者さん』のように、どこから読み始めてもおもしろいです。
テレビでは6時間生放送という遷都1300年番組が続いてます。明日香村の田園には観光客が沢山きているようです。黄色い稲穂がまだ紅葉しない緑のなかで際立ってました。私が東大寺のお水取りを見に奈良に行ったときは連日雨でしたが、今日は晴天。観光日和のようです。
その後衛生第2にチャンネルを移すと遷都1300年に因んで奈良から生放送をやってました。平城宮跡やら興福寺やら、カメラがあちこちに飛ぶその放送を何の気なく見ていると、ゲストの誰かが奈良がシルクロードの最終地点と言い出しました。
以前読んだ大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』では、平泉がシルクロードの始まりだとあったような気が。一体どちらに信憑性があるのか、彼らほど研究してない私は判断できませんが、言ったもの勝ちとも思えるところです。どちらの町も権力の象徴のように大きなお寺があり、私が今年行ってきた印象ではどちらも穏やかで落ち着いた町で、田園風景も美しいです。
集英社文庫の『失われた時を求めて』を再びはじめから読み始めてますが、今80ページくらいまできました。喘息だったプルースト自身がそうであったように、語り手の主人公がお母さんに甘える幼少期が思い出されて語られています。そして副題に『スワン家の方』とあるように、ユダヤ人でブルジョワのスワンとのかかわりがこれから展開されようとしてます。
何度読んでも面白い『失われた時を求めて』でした。そして漫画『動物のお医者さん』のように、どこから読み始めてもおもしろいです。
テレビでは6時間生放送という遷都1300年番組が続いてます。明日香村の田園には観光客が沢山きているようです。黄色い稲穂がまだ紅葉しない緑のなかで際立ってました。私が東大寺のお水取りを見に奈良に行ったときは連日雨でしたが、今日は晴天。観光日和のようです。
2010年10月13日水曜日
百日咳?
先々週末北海道旅行に行った時から始まった咳がまだ止まらないため、5日前行った耳鼻科からいつもお世話になってる内科へと受診を変えてみました。すると、百日咳ってこともあるかもねえとおもむろに、もうすっかり忘れていた名前が出てきてちょっとびっくり。
最近では三十代、四十代で罹る人が多いそうで、子供の頃ワクチンを打ったけれどもそれ以降病原体に触れることなく生きてきてすっかり免疫力がなくなったところで、三十路すぎて罹るとのからくりとか。そしてそうした大人から子供にうつることもあるそうです。
熱もないし、確かにこの発作のような咳は百日咳っぽいかも。肺の音にも異常はみられなかったので。けれども、ただの風邪でも百日咳でも治療方法は咳止めをのむことに変わりなく、あまり気にすることはないとのことです。
百日咳は潜伏期間があるそうで、7日から10日が普通のかぜ症状らしいのですが、北海道に行く前からかぜをひいたと風邪薬を飲んでいたことを思い出しました。
北海道で泊まった宿が乾燥していたから喉を痛めたなどと思ってしまいましたが、百日咳だとしたら、東京でもらっていたんですね、すみません。
受付で、私は一人暮らしだからと話していたおばあちゃん、近くのお弁当屋さんでこれからご飯を買って帰ろうかと思ってと。好きな弁当買って帰りや~。ついつい不安になりやすい老人の一人暮らしですが、一人暮らしのメリットを強調して話していた看護師さん、さすがです。
最近では三十代、四十代で罹る人が多いそうで、子供の頃ワクチンを打ったけれどもそれ以降病原体に触れることなく生きてきてすっかり免疫力がなくなったところで、三十路すぎて罹るとのからくりとか。そしてそうした大人から子供にうつることもあるそうです。
熱もないし、確かにこの発作のような咳は百日咳っぽいかも。肺の音にも異常はみられなかったので。けれども、ただの風邪でも百日咳でも治療方法は咳止めをのむことに変わりなく、あまり気にすることはないとのことです。
百日咳は潜伏期間があるそうで、7日から10日が普通のかぜ症状らしいのですが、北海道に行く前からかぜをひいたと風邪薬を飲んでいたことを思い出しました。
北海道で泊まった宿が乾燥していたから喉を痛めたなどと思ってしまいましたが、百日咳だとしたら、東京でもらっていたんですね、すみません。
受付で、私は一人暮らしだからと話していたおばあちゃん、近くのお弁当屋さんでこれからご飯を買って帰ろうかと思ってと。好きな弁当買って帰りや~。ついつい不安になりやすい老人の一人暮らしですが、一人暮らしのメリットを強調して話していた看護師さん、さすがです。
久しぶりに川で読書
日暮れがすっかり早くなって秋の訪れを感じますが、そんな日暮れが来る前に日差しを求めて川で読書をしました。
いつものように土手に腰を下ろすと雲が太陽の前に立ちはだかっているため既に辺りは薄暗く、視力が悪くなったかと思いました。暗いことに若干の違和感と不満と不安を抱きながらもしばらく読書していると、シロサギが一羽、川に降り立つのが視界の片隅に入ってきます。贅肉のないスリムな体型です。シロサギがいつものように首を伸ばしたり縮めたりしながらウロウロしているのをよそに本に視線を戻して2~3ページ読んでいると、いつの間にかシロサギは20メートルくらい移動してます。そしてもうしばらくするとまた20メートルくらい移動してます。
大雪山のなかに住んだらエゾシカをシロサギくらいに思えるようになるかも。窓の外に鹿が出没した『鹿の谷(幌加温泉にある温泉宿)』にしばらく泊まれば、鹿を珍しく思わなくなるかな。そういえばあの宿にはハンターお断りの札があったはず。
鹿追そばの『おち庵』の店主さんは脱サラした後に自分であのログハウスを建てたそうです。テントを張って3年ほどかけて建てたそうですが、真冬の寒さをよくしのげましたね。元々北国の人ではないのにすごいです。ログハウス内には薪ストーブがあり、その傍には薪が積まれてあり、安心とくつろぎの空間です。猫と犬がいて、写真も飾ってあります。これは、脱サラ成功版と言えるのではないでしょうか。冬はあまりお客さんが来ないそうですが、10年以上営業を続けてます。また来年も顔を出したくなる『おち庵』です。
さあ、シロサギ再び、と言っても、日が暮れ始めてお尻のコンクリートが冷たく感じられてもう腰を上げたい私。対してシロサギははるか下流までてくてく歩いてました。なんかいいもんあったかい?と聞きたくなるシロサギさんの歩みでした。
北海道は下手すると半年は雪の中。そんな雪国では、どんなにガーデニングを頑張っても半年は雪景色を見ることになり、ガーデニングへのモチベーションが下がってしまうのではないかとの懸念が湧いてきました。雪吊りしても縄が雪の重さでちぎれてしまうのではないかとか。それでも最近は、上野ファームや紫竹ガーデン、三浦庭園など、ガーデンがいくつもできました。うちのガーデンは・・・・・・(現在畑)。
家に帰る途中、ちょっと前を歩くおばあさん二人組が通り過ぎる人たちによく挨拶してます。近所付き合いのない私は誰が近所の人かもわからないのですが、こうしてまだまだ地域密着型コミュニティがあることを知りました。でも、とてもよくご近所のことを知っているらしく、それが逆に怖くも感じられますが。
読んでいた本は『失われた時を求めて9 囚われの女Ⅰ』の、ワーグナーや19世紀の作家たちのことを主人公マルセルがあれこれ考えているところです。『ミシュレについて・・・・・・その最大の美しさは作品そのものよりもむしろ作品に対する彼の態度のなかに、・・・・・・』の箇所を読んでいて、そういえばヴァージニア・ウルフは彼女の小説よりも日記の方が面白かったなあと思い出しました。ヴァージニア・ウルフの「ズバリ言うわよ」といった感じで、知人友人その他についてズケズケ書いてます。
シロサギさん、また明日。
いつものように土手に腰を下ろすと雲が太陽の前に立ちはだかっているため既に辺りは薄暗く、視力が悪くなったかと思いました。暗いことに若干の違和感と不満と不安を抱きながらもしばらく読書していると、シロサギが一羽、川に降り立つのが視界の片隅に入ってきます。贅肉のないスリムな体型です。シロサギがいつものように首を伸ばしたり縮めたりしながらウロウロしているのをよそに本に視線を戻して2~3ページ読んでいると、いつの間にかシロサギは20メートルくらい移動してます。そしてもうしばらくするとまた20メートルくらい移動してます。
大雪山のなかに住んだらエゾシカをシロサギくらいに思えるようになるかも。窓の外に鹿が出没した『鹿の谷(幌加温泉にある温泉宿)』にしばらく泊まれば、鹿を珍しく思わなくなるかな。そういえばあの宿にはハンターお断りの札があったはず。
鹿追そばの『おち庵』の店主さんは脱サラした後に自分であのログハウスを建てたそうです。テントを張って3年ほどかけて建てたそうですが、真冬の寒さをよくしのげましたね。元々北国の人ではないのにすごいです。ログハウス内には薪ストーブがあり、その傍には薪が積まれてあり、安心とくつろぎの空間です。猫と犬がいて、写真も飾ってあります。これは、脱サラ成功版と言えるのではないでしょうか。冬はあまりお客さんが来ないそうですが、10年以上営業を続けてます。また来年も顔を出したくなる『おち庵』です。
さあ、シロサギ再び、と言っても、日が暮れ始めてお尻のコンクリートが冷たく感じられてもう腰を上げたい私。対してシロサギははるか下流までてくてく歩いてました。なんかいいもんあったかい?と聞きたくなるシロサギさんの歩みでした。
北海道は下手すると半年は雪の中。そんな雪国では、どんなにガーデニングを頑張っても半年は雪景色を見ることになり、ガーデニングへのモチベーションが下がってしまうのではないかとの懸念が湧いてきました。雪吊りしても縄が雪の重さでちぎれてしまうのではないかとか。それでも最近は、上野ファームや紫竹ガーデン、三浦庭園など、ガーデンがいくつもできました。うちのガーデンは・・・・・・(現在畑)。
家に帰る途中、ちょっと前を歩くおばあさん二人組が通り過ぎる人たちによく挨拶してます。近所付き合いのない私は誰が近所の人かもわからないのですが、こうしてまだまだ地域密着型コミュニティがあることを知りました。でも、とてもよくご近所のことを知っているらしく、それが逆に怖くも感じられますが。
読んでいた本は『失われた時を求めて9 囚われの女Ⅰ』の、ワーグナーや19世紀の作家たちのことを主人公マルセルがあれこれ考えているところです。『ミシュレについて・・・・・・その最大の美しさは作品そのものよりもむしろ作品に対する彼の態度のなかに、・・・・・・』の箇所を読んでいて、そういえばヴァージニア・ウルフは彼女の小説よりも日記の方が面白かったなあと思い出しました。ヴァージニア・ウルフの「ズバリ言うわよ」といった感じで、知人友人その他についてズケズケ書いてます。
シロサギさん、また明日。
2010年9月23日木曜日
大雨
今日は朝から雷がなり響いて大雨が降り、気温も一気に下がりました。降った雨がアスファルトの地面に落ちると飛沫となって跳ね上がるほどの強さです。そのためか、外を歩く人の姿もまばらです。
この夏に行ってきた平泉のことをちょっとは調べてみようと大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』なる書籍を読んでみました。が、三代で終わった奥州藤原氏、結局あまりよくわかりませんでした。
シルクロードの始まりは砂金のとれる平泉なりと著者が豪語しているのと、平安の当時は極楽浄土思想がはやっていて、平泉でも毛越寺のような極楽浄土庭園ができたりしたなどなどでしょうか。
オヤジギャグ連発の著者でした。
BS世界のドキュメンタリー『いのちを救いたい ~モザンビーク 助産師奮闘記~』では、モザンビークの医師不足が深刻であることが伝えられてました。そのために、助産師が帝王切開の手術を施せるよう研修を受け実務にあたる制度ができたのですが、大変な日々に向き合う助産師エミリアの姿、ヘトヘトです。それでもやりがいをもって取り組むエミリアでした。
この夏に行ってきた平泉のことをちょっとは調べてみようと大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』なる書籍を読んでみました。が、三代で終わった奥州藤原氏、結局あまりよくわかりませんでした。
シルクロードの始まりは砂金のとれる平泉なりと著者が豪語しているのと、平安の当時は極楽浄土思想がはやっていて、平泉でも毛越寺のような極楽浄土庭園ができたりしたなどなどでしょうか。
オヤジギャグ連発の著者でした。
BS世界のドキュメンタリー『いのちを救いたい ~モザンビーク 助産師奮闘記~』では、モザンビークの医師不足が深刻であることが伝えられてました。そのために、助産師が帝王切開の手術を施せるよう研修を受け実務にあたる制度ができたのですが、大変な日々に向き合う助産師エミリアの姿、ヘトヘトです。それでもやりがいをもって取り組むエミリアでした。
2010年9月7日火曜日
銀河鉄道の夜
真ん中を走るモノレールを銀河鉄道999にみたててみたのですが、
ちょっと無理があるでしょうか。ベランダからの夜景です。
夜空を見てるとあまり星は見えませんが、
ヘリコプターだったり飛行機だったりと何気に夜でもいろんなものが
あっちこっちに飛び交うのがわかります。
NHKで見たウィーン・フィル管弦楽団を振るクリスティアン・ティーレマンは
とっつあん坊やのようでした。バイロイトでは姿が見えないので、
指揮を見ながらの演奏は初めてです。
演奏はそれなりに良かったと思います。
連日の昼間の猛暑はボディブロウのように
徐々に身体にダメージを与えますが、
夜の暑さはこの辺りは大分マシになってきました。
でも朝起きると、
この暑さを今日一日生き抜けるのだろうかと思う厳しさです。
しかも天気予報を見るとそれがエンドレスに続くんです・・・絶望的。
何より、高齢のうちの猫に生き延びてもらうよういろいろ工夫しないと。
奥野修司著の『ナツコ 沖縄密貿易の女王』を読みました。
当時の沖縄や現在の基地問題にいたる沖縄を
知るヒントにもなる本です。
38才で亡くなるナツコですが、これがノンフィクションだというのが
ずっしり重いです。
2010年8月23日月曜日
川の流れ
闇夜が明けると一気に気温が上がる。あれだけ鳴いていた虫たちは昼の太陽のもとでも鳴いている。同じ虫なのか、それとも既に息絶え違う虫が鳴いているのか。夜より音の多い昼間は、その音を出すほとんどの原因が人なので、他の生き物たちは迷惑かもしれない。でも、こうしてずっと同じ空間で生きてきているなら慣れているかも。
何時間か前には暗闇と安全や宣伝のための灯しかなかった空間に、今は橋があり人が活動し草木がこれほどの面積を保ち電信柱が点々とあるなんて、なにかのマジックのようだ。
本当に、マジックなのかもしれない。
今日の川は流れが早く、水もいつもより深かった。上流の方で雨が降ったのだろうか。いつどこで降った雨がこうして流れてきたのかと思うと、網走沖で見たオホーツク海の流氷がアムール川の淡水であるような、そんな地球の広さを感じる。
『静かな大地』という池澤夏樹の小説では、登場人物たちは淡路島から北海道の静内に移住していた。
最初の方しか読んでないが、相当苦労したらしい。
この目の前のいつもより早い川の流れは何をもたらすんだろう。
何時間か前には暗闇と安全や宣伝のための灯しかなかった空間に、今は橋があり人が活動し草木がこれほどの面積を保ち電信柱が点々とあるなんて、なにかのマジックのようだ。
本当に、マジックなのかもしれない。
今日の川は流れが早く、水もいつもより深かった。上流の方で雨が降ったのだろうか。いつどこで降った雨がこうして流れてきたのかと思うと、網走沖で見たオホーツク海の流氷がアムール川の淡水であるような、そんな地球の広さを感じる。
『静かな大地』という池澤夏樹の小説では、登場人物たちは淡路島から北海道の静内に移住していた。
最初の方しか読んでないが、相当苦労したらしい。
この目の前のいつもより早い川の流れは何をもたらすんだろう。
2010年7月21日水曜日
猛暑続き
暑い~。
エアコンつけない主義だったのが、とうとうつけてしまいました。
ここ数日、暑さのため猫がすっかり私から離れて、
玄関のタイルの上、そう、家のなかでどちらかというと
一番冷たいところに寝転びつづけていたのが、
エアコン冷房32度設定にしてつけ始めた途端に、
私の腕の上に来て一緒に昼寝してくれました。
ただ、32度設定では腕の上に来ると暑いらしく、
数分で位置を変えられましたが。
猫との仲も元に戻ったところで、
映画『ミス・ポター』を見ようと思います。
ああ、外は蒸し風呂で恐ろしい・・・。
ベランダの手摺など、熱くて触ってられないんですよ~。
目玉焼きができる熱さです。
エアコンつけない主義だったのが、とうとうつけてしまいました。
ここ数日、暑さのため猫がすっかり私から離れて、
玄関のタイルの上、そう、家のなかでどちらかというと
一番冷たいところに寝転びつづけていたのが、
エアコン冷房32度設定にしてつけ始めた途端に、
私の腕の上に来て一緒に昼寝してくれました。
ただ、32度設定では腕の上に来ると暑いらしく、
数分で位置を変えられましたが。
猫との仲も元に戻ったところで、
映画『ミス・ポター』を見ようと思います。
ああ、外は蒸し風呂で恐ろしい・・・。
ベランダの手摺など、熱くて触ってられないんですよ~。
目玉焼きができる熱さです。
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