ページ

2011年7月7日木曜日

恵比寿にて

カフェにいるピアスをする若い男が、写真家紹介一覧にあった笑顔の顔写真の写真家と同じくらい、展示されている報道写真からかけ離れていて、一瞬、どちらが現実か戸惑った。恵比寿ガーデンプレイス内のエクセルシオールカフェである。ピアス男以外にも、履歴書を書く若者や、妙に活き活きと携帯で仕事の用を済ませる会社員などがこのカフェにはいる。
ここは私の住む多摩地域のカフェよりもはるかに冷房が効いていて、恵比寿のブランド力を見せつけられた感があるが、腐っても東京の意地だろうか。

それにしても、あれらの悲惨な現実だけを世界各国からわざわざ集めて展示する意味とはなんなのだろうと、世界報道写真展を一通り見て思った。この裕福な街の人にこんなに大変な現実があることを教えたいのか、それによって何かを煽りたいのか、写真家のお披露目の場なのか、、、。私にはその理由は掴みきれなかった。そして、報道写真とは、先進国の平和な人が普段見ることのない悲惨なもの、より残忍なものの方が報道価値が高いとされているようであることだけを理解した。
三階では『こどもの情景ー戦争とこどもたち』展が開催中で、このタイトルをこのご時世で見ると、放射能とこどもたちと置き換えたくなるものだと思いながら、過去の戦時中のこどもたちの写真を見た。

こちらは普通の街中の光景で、ここに映るこどもたちはどうなったのだろうとの思いがよぎった。

その後エクセルシオールカフェに行くと、戦時中の写真に映っていたこどもがそのまま元気に生きていればこれくらいだろうと思われる定年後の老夫婦がにこやかに会話している姿を目にした。恐らく戦争を生き抜いたあの人たちは、ほんのわずかだけれどもなにか希望らしきものを私にもたらしてくれた気がした。

このわずかばかりの希望を福島に。

2011年7月6日水曜日

美瑛の景色

太陽が頭上近くから差し込む昼時に、うまい具合につくられたビルの影に入り込んで信号待ちをしていると、私のそのちょっとした日差し対策を来る人来る人が真似をして、ビルの影にはわらわらと信号待ちの人だかりができた。都心の夏の一コマである。


そうまでして、労働意欲を鼓舞するような立派な門構えのビルから出てきたこの人たちは何をしているかというと、ランチタイムの栄養補給である。この労働者たちが熱中している仕事は、その多くはあってもなくてもいいで片付けられるとはいえ、都心のスーツ族はいかんせんやる気満々で、収穫期の農民に負けないほどいつもいつも働き者である。

そんな血気盛んな労働期の男女も、帰りの電車では姿かたちが崩れるほどにぐったり眠りに落ち、ある者は明日の労働を、ある者は今日の反省を、ある者は仕事をやめることを夢みている。

有名な絵のキャンバスに塗り込まれた一筋の絵の具ほどの効果ほども社会にもたらすかもたらさないかわからない労働者たちは、それでもチューブにおさまったままの絵の具とは違い、影となり日向となりなにがしかの表情を見せ、社会全体に一筋の効果をもたらすことを何気なくわかっているのである。

一見無目的なその効果は、地層の重なりが山を築くのと等しくこつこつとした営みで、大きな山のような社会をいつの間にか築いている。

ビルの影に集まって、私も一つの薄い層であるのも悪くない心地だと思った。

そんな折、母から電話があり、美瑛の景色が素晴らしいとの報告があった。千葉からはるばる北海道に移り住んで苦節30年の母は、彼女なりに地層の連なりから何かを感じているようだった。

2011年7月5日火曜日

かかりつけの内科

子供が大人用の自転車に乗るような無理が強いられ始めたのはいつからだろう。しかも、子供は自転車の大きさに見合う成長が期待されるのに、私ときたら老化の一方なのだ。

これでは夫婦喧嘩が増えるのも頷ける。

我が家の猫は人間でいえば70歳ほどだが、仏のようにいつも穏やかだ。ここが私の目指す境地だが、これでは程遠い。

かかりつけの内科に4か月ぶりに行くと、医師は白髪が増え、たいそう頬がこけやつれていた。それでも、こんちは、と元気よく振舞ってはいたが、あの白髪とやせ方とは似つかわしいものではなかった。

世間で生きていれば最後には通過することになる医師の元が、医師にとっては労働の現場であることが人間社会らしいありさまである。

2011年7月4日月曜日

赤いヘビ

東京東部がホットスポットであることを知らされ、私の住む西部はどうなのかと心配しながら、これではわざわざ東部に行くこともなくなるだろう、そして外から都内に遊びに来る観光客が激減するのもよくわかると土日の電車が以前より空いていることを、自分は移動が楽になったからまあいいかと何とか精神的に折り合いをつけ、外食産業で使われている野菜の産地はどこなのだろうと内部被爆を気にし、外食の際は自然と野菜を残すようになったことを憂いながら、東海道新幹線「こだま」でヘビ見つかるとのニュースを見ていた。

ヘビの訪れは何を意味するのか、その辺のことはヘビを捕獲した米原署の警官らが調べているらしいが、このヘビ、見てみると、赤地に黒の縞模様という少々派手な柄で、外食時の野菜の産地を気にする私には目の覚める容姿だった。

赤いヘビは自ら新幹線の車内に入り込んだのか誰かの手により残されたのかわからないが、その後見ず知らずの警官の手にゆだねられ怖くはないのだろうか。

いやいや、もしかすると、思いもよらずヘビを見つけた新幹線の車掌が一番怖い思いをしたのかもしれない。

ヘビの姿のような目に見える怖さと、放射性物質の目に見えない怖さの狭間で、悶々とする気温の高さが思考力を鈍らせる。

今年の夏は手ごわいな。

2011年7月3日日曜日

この世の春

連日の猛暑にやられ、使用期限が6月いっぱいだった源泉かけ流しの露天岩風呂がある都内の温泉の回数券が2枚残っていたのを、結局この暑さのなかで入浴しても熱中症になりかねないと使うことをやめ、暑さと冷房とですっかり体調を崩しているところに、母から豊富温泉に行ってきたとのメールが入った。

なにやら豊富温泉は道北の日本海側にある温泉で、しょっぱく海藻の臭みと石油の臭いがする湯だという。その湯に浸かると妙に温まると母はメールで言うが、こちらの暑さは暖まるどころの話ではない。

私は夜寝るときにベッドのマットレスがまとわりつくように暑いので、ろくに客も来ないのに唯一我が家にある客用敷き布団を、マットレスよりは暑くないだろうとベッドの横のスペースに敷き、どうしても暑くて寝苦しい時はそちらへ転げ落ちて移動できるようにしたところだった。数日前のことである。すると、どうしてどうして何の変哲もないはずのその敷き布団は実際にマットレスよりはるかに涼しい寝心地であることを発見することとなり、この敷布団でなら、寝心地は硬くて身体は痛いがより涼しく寝られると喜び、昼間は三つ折りにしてそのままベッドの横に置いておいた。すると、その涼しさを読み取ってか我家の猫は、猫の大きさにジャストサイズの三つ折りにされた敷き布団にゴロンと横たわり、いつの頃からか一日中そこで昼寝も夜寝もし、好き放題に猫の毛をつけるようになった。

私がようやく見つけた涼しさを猫が一瞬にして横取りする賢さに驚嘆しながら、私は目黒の庭園美術館で開催中の『森と芸術』展に向かった。

節電のため、部屋によって暑くなったり寒くなったりする展示の流れは、それでもゴーギャンの作品を見たときにはカンカン照りの中来てみて良かったと思った。

福島原発によってすっかりダメージを与えられた感を持つようになった首都圏の自然は、とは言ってもそもそも「森」などではなく、もとから物足りなさを私は感じていた。そこに放射性物質が舞い降りれば当然のように行き場はない。そんな悲嘆にくれる日々の中やってきた『森と芸術』展では、ゴーギャンが100年以上前に近代西洋文明に不信を募らせ大自然の野生に何かを見出す姿があった。

私は資本主義社会で不抜けた政府と東電と経産省を見て生きるくらいなら、知床で熊と生存競争する方がマシだと思うようになった。熊相手なら死んでも納得出来る。猫を熊から守れないのではないかとの不安はあるが、今は三つ折り布団の上でこの世の春のように熟睡する猫も、知床に行けば自然と警戒心をもつようになるかもしれない。

北海道の母は今頃豊富温泉を出て寒いくらいに感じられる道北の道を自宅のある旭川に向かっているだろうと思うと、この暑さが奇妙なものに思われた。

その奇妙さとは、それでも東京で暮らすことを選んでいる自分へのものだろう。

2011年7月2日土曜日

冷蔵庫のようなスーパー

連日の暑さよりマシとはいえ、今日は湿度がひときわ高いために不快指数も高くなり、外出がついつい億劫になる。もう窓辺の葦簾は気休め程度にしか感じられないほどだ。そこに、福島で焼身自殺か、などという情報が入ると、脳の働きは一旦停止し心が空っぽになり、その後一気に暗くなる。そのためか、葦簾を立てかけて部屋が薄暗いのが、より暗く感じられた。

それでも私の気分とは裏腹に宇宙のリズムは波動を続け、外に出ると一気に空間は明るかった。

スーパーに行けば自然に産地を選り分けている自分がいることに、まだまだ生きる気力を持っているのだと自分で驚き、冷蔵庫のようなスーパーの涼しさに癒されたところで再び宇宙のリズムで日差しが照り返す通りへ出た。

それにしても、この心の暗雲が放射性物質の半減期が過ぎるまで続くと思うと、恐らく生きている間に平和は来ないことが予想され、福島での自殺が思い起こされた。

まだ産地を選ぶくらいに気力があるんだからと、とぼりとぼりと家に帰った。

2011年7月1日金曜日

アユ釣り

葦簾の隙間から差し入る日差しは、午前中は強かったものの午後になると突き刺す力を弱め、日々太陽と向きあう葦簾に夜以外の束の間の休息をもたらし、葦簾のこちら側にある私の居る部屋の温度の上昇を、ほんの少しだけれども和らげた。

一昨日、ケーブルテレビが深夜近くに映らなくなり、翌朝ケーブル会社に電話で問い合わせると、集合住宅なので共用アンテナの接続を不動産業者に確認してもらうよう言われ、言われたとおりに不動産屋に電話してその旨伝えると、不動産屋はアンテナを確認することを快く引き受けてくれた。そして所々の用を済ませて昨日の夕方家に入りテレビをつけたときには映るようになっていたことに、不動産屋との信頼関係も深まったかとホッとしていたら、夜になると近づく雷と共に再びテレビは途切れるのだった。

そのテレビが今日の朝起きたときにはきちんと映っていて、他の入居者が今回は不動産業者に連絡してくれたのかと自分で連絡しなくても良かったことを幸運に思いながら、テレビに流れるニュースに目を向けた。

相模川で60代と80代の男性二人が死亡とのニュースである。

先日の雨で川の水位が60センチほど上昇していたらしく、投網とアユ釣りをする二人は流れに飲み込まれたようで、私は昨日の帰り道に通った家のすぐそばを流れる川に思いが行ったが、その時の川が茶色の水を含みいつもより水位が高かったことを思い出した。

目の前にかかる葦簾を、これを筏にして川を進めるかと思ってみたが、葦簾だけなら水面に浮いて器用に流れるだろうが、私が乗ればバランスを崩して一気に沈むだろうと思った。でも、鮎を釣るためならやるのだろうかと考えながら、ここでの判断が生死の境目としては重要だと、座布団の上で暑さのために身体を伸ばしきってダラっと寝ている猫を見た。そして、猫はネズミをとれるから、やはり猫のご馳走のためでもやらないだろうと思考が定まった。

しかし80歳だったら。

80歳ならば、葦簾を筏に川を渡ろうと思うかも知れない。窓にかかる葦簾の安定感とは無縁のこの種の老いたが故の無謀さは、脳をはじめとした肉体の衰えとも思えるが、鮭の遡上のごとき勢いを持つものだ。

川辺の葦は、土が見えないほどに生い茂っている。ちょっとした段差をのぞけば概ね水平に流れ最終的に海を目指す川の畔で、空目がけて垂直に伸びる葦は川の流れとは対照的に見える。その葦の一部は刈り取られて我が家の窓辺に、川の水の一分は汚れを除かれてその一部は我が家の水道にきているのだから、異種のものに見える両者が、人のかかわりという点では共に深いものがあるのはよくわかる。

それならば人の一部が川に行っても不思議ではない。川は鮎を餌に人を釣ろうとしているのかもしれない。このやや呪術的発想は的外れに見えて、実はこれこそ大自然そのものなのだ。