ページ

2011年7月3日日曜日

この世の春

連日の猛暑にやられ、使用期限が6月いっぱいだった源泉かけ流しの露天岩風呂がある都内の温泉の回数券が2枚残っていたのを、結局この暑さのなかで入浴しても熱中症になりかねないと使うことをやめ、暑さと冷房とですっかり体調を崩しているところに、母から豊富温泉に行ってきたとのメールが入った。

なにやら豊富温泉は道北の日本海側にある温泉で、しょっぱく海藻の臭みと石油の臭いがする湯だという。その湯に浸かると妙に温まると母はメールで言うが、こちらの暑さは暖まるどころの話ではない。

私は夜寝るときにベッドのマットレスがまとわりつくように暑いので、ろくに客も来ないのに唯一我が家にある客用敷き布団を、マットレスよりは暑くないだろうとベッドの横のスペースに敷き、どうしても暑くて寝苦しい時はそちらへ転げ落ちて移動できるようにしたところだった。数日前のことである。すると、どうしてどうして何の変哲もないはずのその敷き布団は実際にマットレスよりはるかに涼しい寝心地であることを発見することとなり、この敷布団でなら、寝心地は硬くて身体は痛いがより涼しく寝られると喜び、昼間は三つ折りにしてそのままベッドの横に置いておいた。すると、その涼しさを読み取ってか我家の猫は、猫の大きさにジャストサイズの三つ折りにされた敷き布団にゴロンと横たわり、いつの頃からか一日中そこで昼寝も夜寝もし、好き放題に猫の毛をつけるようになった。

私がようやく見つけた涼しさを猫が一瞬にして横取りする賢さに驚嘆しながら、私は目黒の庭園美術館で開催中の『森と芸術』展に向かった。

節電のため、部屋によって暑くなったり寒くなったりする展示の流れは、それでもゴーギャンの作品を見たときにはカンカン照りの中来てみて良かったと思った。

福島原発によってすっかりダメージを与えられた感を持つようになった首都圏の自然は、とは言ってもそもそも「森」などではなく、もとから物足りなさを私は感じていた。そこに放射性物質が舞い降りれば当然のように行き場はない。そんな悲嘆にくれる日々の中やってきた『森と芸術』展では、ゴーギャンが100年以上前に近代西洋文明に不信を募らせ大自然の野生に何かを見出す姿があった。

私は資本主義社会で不抜けた政府と東電と経産省を見て生きるくらいなら、知床で熊と生存競争する方がマシだと思うようになった。熊相手なら死んでも納得出来る。猫を熊から守れないのではないかとの不安はあるが、今は三つ折り布団の上でこの世の春のように熟睡する猫も、知床に行けば自然と警戒心をもつようになるかもしれない。

北海道の母は今頃豊富温泉を出て寒いくらいに感じられる道北の道を自宅のある旭川に向かっているだろうと思うと、この暑さが奇妙なものに思われた。

その奇妙さとは、それでも東京で暮らすことを選んでいる自分へのものだろう。