太陽が頭上近くから差し込む昼時に、うまい具合につくられたビルの影に入り込んで信号待ちをしていると、私のそのちょっとした日差し対策を来る人来る人が真似をして、ビルの影にはわらわらと信号待ちの人だかりができた。都心の夏の一コマである。
そうまでして、労働意欲を鼓舞するような立派な門構えのビルから出てきたこの人たちは何をしているかというと、ランチタイムの栄養補給である。この労働者たちが熱中している仕事は、その多くはあってもなくてもいいで片付けられるとはいえ、都心のスーツ族はいかんせんやる気満々で、収穫期の農民に負けないほどいつもいつも働き者である。
そんな血気盛んな労働期の男女も、帰りの電車では姿かたちが崩れるほどにぐったり眠りに落ち、ある者は明日の労働を、ある者は今日の反省を、ある者は仕事をやめることを夢みている。
有名な絵のキャンバスに塗り込まれた一筋の絵の具ほどの効果ほども社会にもたらすかもたらさないかわからない労働者たちは、それでもチューブにおさまったままの絵の具とは違い、影となり日向となりなにがしかの表情を見せ、社会全体に一筋の効果をもたらすことを何気なくわかっているのである。
一見無目的なその効果は、地層の重なりが山を築くのと等しくこつこつとした営みで、大きな山のような社会をいつの間にか築いている。
ビルの影に集まって、私も一つの薄い層であるのも悪くない心地だと思った。
そんな折、母から電話があり、美瑛の景色が素晴らしいとの報告があった。千葉からはるばる北海道に移り住んで苦節30年の母は、彼女なりに地層の連なりから何かを感じているようだった。