ページ

2011年11月2日水曜日

九州新幹線より

佐賀から熊本に向かうのに、九州新幹線を利用することにした。母がとにかく九州新幹線に乗りたい、九州新幹線に乗りたいと言っていたので、どんなものかと楽しみに。

あけてびっくり、東京ではよくのぞみを利用するが、この九州新幹線の豪華ぶりはなんたることか。
ホームに入ってきたところ

こんな柄の椅子

この車内の落ち着き

木目

といったふうに、ずいぶん内装にこだわっている。椅子も広くてよかとよ~。
佐賀から熊本までは、途中久留米などが都市らしい景観だったが、それ以外はひたすら田畑でのんびりした車窓だった。内装があまりに違うので、のぞみとは乗っている感じがまったく異なるが、九州の人は新幹線といえばこれだと思って人生を過ごす恩恵にあずかるようである。

佐賀バルーンフェスタより

伊万里のホテルといい、佐賀駅前のホテルといい、部屋のカップが磁器なもので、コーヒーを入れて飲むのが一際おいしく感じた。焼き物目当ての観光客には嬉しいはからいである。そして、そんなはからいに胸を胸をときめかせながら、私はバルーンフェスタの初日を待ちわびた。

フェスタの始まる前日の夜は、駅前から延びる大通りでパレードがあった。佐賀駅まで来たものの夜は特にやることもないので、私も18時から始まるそのパレードを見に行くことにした。人口24万人の町を盛り上げる盛大な催しである。

ボーイスカウトやら消防署やらの鼓笛隊の演奏と共に、バルーンを上げる炎をつくる設備を載せた車が走り、夜空に向かってボーボーと炎を噴き出しながら観客らの歓声を呼んでいた。私は10メートルくらい離れたところで炎が上がるのを見ていたのだけれども、これだけ離れていても炎の熱がこんなに熱く感じられるものかと、バルーンを上げる競技者の忍耐に驚いてしまった。

一人この地を訪れた観光客の私がそうしている一方では、地元の子供が鼓笛隊で演奏中の友達か兄弟姉妹のところに駆け寄り携帯の画面を見せていた。自分が撮った画像を見せたくて終わるのを待ちきれないのだろう。その様子はまるで演奏者以上の白熱ぶりだった。

他にもパレードに参列している人と観客たちのなかにこうした光景が見られ、ホンダなどの大手資本の名前が目立つ中でも地元の人々に楽しまれている祭りであることに、大手資本の社会貢献を垣間見られた気がしてちょっとほっとした。

前夜祭のパレードは佐賀銀行本店前で終わり、翌朝の7時からは佐賀駅から程近い嘉瀬川河川敷で一回目のバルーン競技が始まる。


私はそれを、宿泊する佐賀駅前のホテルの窓からでも見られるようにと、バルーンフェスタが見える眺めのいい部屋をホテル側に頼んでおいた。しかし、フロントの人は、一応見えやすい部屋を用意したがホテル側にバルーンが飛んで来ないと見えないだろうと言う。と言うことは、やはり早起きして河川敷まで行かないと見えないということかと、早起きを億劫に思っていた私はやや気が重くなった。

ところが、朝起きてみると、6時にセットした目覚ましを聞き逃したようで、気づいた時には6時半を過ぎていた。これではもう7時の開始時間には間に合わない。そこで、ゆっくり朝食を食べてから部屋へ戻り、15時からも競技があるのでそれを見に行けばいいと開き直って、ベッドに寝転んで二度寝でもして疲れをとろうとうとうとしていた。

するとしばらくして、窓の向こう側からボーボーっという前夜のパレードで聞いた炎を噴く音が聞こえてくるではないか。この静かな町佐賀で、あまりにものものしいぞと窓の外を見ると、いくつものバルーンが河川敷から2駅ほど離れた佐賀駅まで飛んできた音なのだった。それに気づいた時は、すっかり眠気が消えて胸が躍った。

ビルの上にフワッと浮くように空のなかに佇む幾多ものバルーンは、ホテルの窓からは競技者の姿は望めず、あたかもそれだけが人の手によらず存在しているようだった。それも、バルーンに合図でも送るようにゴロゴロと轟き音を響かせながら巡回してくるヘリコプターがやってくると、バルーンたちは渡り鳥の大移動のようにゆらゆら河川敷の方に戻っていくので、やはり統制のとられた競技なのだとその後実感するのだけれども、いかにも不思議な存在感だった。

しかしその後、そんな夢見心地な幻想の世界を打ち破る出来事に見舞われることを、このときの私はまだ知らない。

私はバルーンが近づいてきて河川敷に戻っていくまでの一時間半ほどをずっと窓辺で眺めていた。そしてその間のほとんどをバルーンのいる上空や河川敷、そしてその向こうに連なる小高い山の稜線を眺めていた。しかし、小学生の一行がホテルの下の歩道をガヤガヤと通り行く声に耳を取られてふと下を向いたとき、初めてホテルの9階の高さに気づき、そこから窓を開けて身を乗り出してバルーンを眺めていることが急に恐ろしくなった。そして心拍数が上がるのを感じた。

それでも私は気を取り直して脳の中で知らぬが仏作戦を実行し、ここが9階の高さであることをしばし忘れることにして、再度窓から、今度は遠慮がちではあるけれども身を乗り出してバルーンを目で追い続けた。

上空で不思議な存在感を放つバルーンをスリル満点の高層階から眺めるという貴重な体験ができた佐賀は、焼き物にプラスしてとても楽しい思い出となった。

前夜祭のパレード
炎が上がる

パンダも乗っている
炎に着ぐるみ、さぞ暑かろうて

翌朝のバルーン競技の様子
ビル街まで飛んできた

河川敷の方

どんどん河川敷にバルーンが戻っていく

オフィス街ではまだこうしてバルーンが
中央右のバルーンから炎が出ている

拡大してみるとこう

競技が終わる9時頃の河川敷上空
バルーンがいっぱい

2011年11月1日火曜日

有田の方より

松浦鉄道で伊万里から有田へ揺られること20数分。稲の刈られた水田や畑のなかに瓦屋根の農家の集落が点在する光景が続くと、小高い山に囲まれるように有田の街が現れる。

昨日は人口150万人ほどの福岡を抜けて佐賀県に入ったところだったが、佐賀に入った途端に広がるほのぼのとした田園風景が随分と好ましいものに思え、伊万里の静けさも気に入った。そんな伊万里で一泊して朝の9時頃に有田へ行こうとこぢんまりとした伊万里駅で私は電車を待っていた。

すると、すぐそばのバス停で老人たちが病院にでも行くのか、ポツリポツリと現れては程なくして来るはずのバスを待ちにやって来る。そして、誰かの知り合いが通りがかると大声で挨拶を交わすのがこちらまで聞こえる。

老人を勇気付けるような朝の大声の挨拶がする道路の向こう側では、幼稚園の子供たちがおそろいの制服を着ながら先生に引率されて賑やかに歩いていた。彼らが歩いている歩道は伊万里焼の破片がモザイクのようにちりばめられ埋め込まれたもので、そんな高価なものの価値などまだわからないながらもその上を歩いて育つ子供たちが私にはとても愉快に思えた。

こんな小さな頃から伊万里の上を歩くも、伊万里の地元の人たちは伊万里焼にはあまり興味がないと、私が乗ったタクシーの運転手さんは言っていた。私がこのあたりの棚田がきれいだと言っても、私が北海道出身であることを言うと、こっちの人は北海道の広い田畑の方がすごいと思いますよとの反応だ。

確かにそんなものかもしれない。しかし、それが有田に行くとやや状況が違った。

有田では街の多くの人が焼き物で生計を立てている。駅前にある有田の100近くの窯元の商品をそろえたお店で私の接客をしてくださった方も、夫と息子が焼き物作家として身をたてていると話してくれた。その女性は焼き物の見方について熱く語ってくださり、焼き物の知識のない私には大いに役立ったのだが、同時に不況で買い手がつかなくなって困っているとの街の現状も知らされ、私は手ぶらでお店を出られない心境に追いやられた。

そして、100近くある作家の商品が並んでいる中でも、当然その女性の息子か夫の作品を買う心理にされ、私はそれほどお金に余裕がないので、息子の作品で型でとった湯飲み茶碗を一つ選んだ。まだまだすべて手づくりの器には手が出ないのがちょっと悲しいところである。

それにしても、この買い物は焼き物で食っていく人たちの術中にすっかりはめられた結果なのだろうか。そして、東京から来たなどと言うと、完全にカモにされてしまうのだろうか。

伊万里と有田は十数キロしか離れていないのだが、伊万里は大川内山一帯にしか焼き物の雰囲気は感じられなかったのに、有田は町全体が焼き物ムードなのが、日本の磁器発祥の地有田の意地なのかもしれない。

有田のとある焼き物店にいた招き猫
とても大人しく、触わられても平気

九州陶磁文化館にあるカフェにて
伊万里三昧のテーブル
高菜チャーハン

九州陶磁文化館から望む上有田方面

有田にある橋には焼き物のプレートが

こっちの橋も

2011年10月31日月曜日

大宰府から大川内山の方

天神から西鉄で太宰府までは30分もかからないが、はじめの15分ほどを過ぎた頃には町並みが高層ビルから一軒家へとさま変わりし、その向こうに小高い山が見えてくる。と共に気温もやや低くなり、太宰府で電車を降りると呼吸をするたびに冷たい山の空気が肺を洗うように流れていった。


参道の両脇に建ち並ぶ梅ヶ枝餅などを売る風情ある空間をしばし歩くと、山に向かっていくように歩くためか冷たい空気がより似つかわしく感じられ、ほどなくして太宰府天満宮の境内へと入った。すると社殿に向かって赤い橋が渡る上を巨木が覆い、その木の幹に沿って目線を落とすと、数メートルに渡って木が土上に太い根をはっているのが見られ、その圧巻な姿は多くの参拝客の目を引くものだった。そして、生きることへの執着心を物語るように巨木の皮からは緑色の草が無数に生え、その先端からポタポタと水を落としていた。

そんな躍動感ある天満宮から数百メートル離れた光明寺に行くと、様子が一変する。そこには京都のお寺にあるような庭園美の世界が広がっているのだ。

なぜ石をこんなふうに配置するのか、小石の渦をこう巻くのかと、これだけの工夫を凝らす庭園を不思議にも思ったが、それは多くの人が部屋を装飾するのとまるで似ていると私には思えた。凝って凝ってとうとう自分の世界観を現すようになるまで凝るのである。そして、私はほんの先端だけ色づいたイロハモミジを美しいものだと思いながら、しばし計算されつくしたこの庭園を見入っていた。

我が家のベランダの向こうにもこんな広がりがあればと思ったが、東京では望めないので、実家の旭川で大雪山を借景に何かつくってみたいものである。
太宰府天満宮の巨木

光明寺境内

庭園




福岡から伊万里へ移動して大川内山に行った
伊万里の大川内山にかかる橋はやはり伊万里焼

橋の向こうに陶工の墓がある

大川内山は山の麓にある


大河内山周辺はのどかな田園地帯

2011年10月30日日曜日

福岡市街地の方

福岡空港を降りたときは、そのモダンなつくりや規模が新千歳空港を思わせると思った。しかし、その後地下鉄で天神に向かって、天神駅からやや離れたところにあるホテルでチェックインを済ませた後に、再び渡辺通りを天神駅に向かって歩いていくと、札幌の大丸や三越より巨大な大丸と三越を眺めながら歩くことになって、東京よりほんのりと、、そして北国札幌よりもはるかに暖かいこの町に、札幌というより東京のゴミゴミした空気を感じ始めた。

私はそんな福岡がどんな街かもっと知りたくて、天神から中州を抜けて祇園、博多駅までぶらつくことにした。

地元の人はそうそう駅と駅をまたいで歩かないと聞くが、確かに駅を離れてしばらくすると、人通りはまばらになる。それでもめげずに小雨降る中を旧福岡公会堂貴賓館の洋風建築を通り過ぎてさらに歩き進めると、昼時のはまだ閑散としている中州の歓楽街が現れた。すすきのより大きく歌舞伎町より小さく見えるこの歓楽街は、木枯らしと共に新聞紙が飛ぶような雰囲気で、橋を渡ったところに博多総鎮守の櫛田神社があるとは夢にも思わない光景だった。

中州の歓楽街もその向こうに位置する祇園地区も、大通りから路地裏まで人通りはまばらとはいえ、この櫛田神社は名門の貫禄を醸しだし、参拝客の心をつかんでいるようだった。その証拠にここだけ観光客が後を絶たない。そして、ここの特別大きいわけでもない拝殿は懐の深い様子を存分に抱き、私が参拝するのを他の観光客同様暖かく迎えてくれるのだった。そして傍らに飾られた山笠の、人形師たちの誇りを誇示する装飾は、それをつくっては解体し、つくっては解体しと、破壊と再生のリズムを刻んでいた。

私はこの山笠を見たときに、博多が札幌と似ているとの印象を完全に払拭するに至り、札幌だったら通りでしばしばアイヌに因む木彫りが飾られているのを見るのに、ここ博多では山笠という至って和風な人形飾りを見て、北海道と比べて長い和人の歴史を痛感するのだった。そして祇園近くの東長寺が空海創建のお寺であるとの説明書きを読んだときは、さらにその印象を強めた。

その後博多駅まで歩くと、駅周辺が以前に比べて便利になったと聞いたけれども、ざっと見ただけの私にはやはり天神の方がお店が多くて便利ではないかと思えた。そしてその後、きっと天神に泊まる方がなにかと便利だとの予想をたててホテルを予約した天神へと戻り、妙に豪奢な老舗の岩田屋をちょっとのぞいてこの日の観光を終えた。

夜食べた啓燻亭の長浜ラーメンはとてもおいしかった。どこがおいしい店かもわからず適当に入っただけだったが、そうめんのように細い面に魚介のダシがよくからみ、空腹の胃に流れるように入っていった。ドレッシングのようにあっさりしたスープは最後の一杯まで飲めるさわやかさで、長浜の人が短時間で食べられるようにと工夫した細めんと共に疲れた身体にしんみりと溶け込んでいった。博多散歩の後にはもってこいの一品である。

福岡の方へ

家の外に出ると日差しが強いと感じたけれども、空はうっすら白みがかり薄い雲が上空一面を覆っているようだった。福岡の天気は雨とあったが東京は晴れている。それを私は旅行の始まりとしては申し分ないと思いながら羽田へと向かった。


空港では高くそびえる電灯が等間隔で建ち並ぶのと合わせるように、幾台もの航空機が電灯に頭を向けてこれからの旅立ちを待機していた。そして搭乗口にはすっかり厚着が板につき始めた人々がやってきては席を埋め、前方にあるテレビを見たり、背後からやってくる動く歩道のアナウンスを聞き流したり、静かな売店に目を向けたりして過ごしていた。

私は寒さが強まる日々のおかげで風邪をひいて旅行を迎える羽目になったけれども、旅行中に風邪が悪化しないようロビーにいる乗客たち同様厚めに着込んでいた。すると空港内を急ぎ足で搭乗口まで歩いているうちにすっかり体温が上がり、搭乗を待つ椅子に座る頃には上着を脱ぐほどに暑く感じた。

私は電灯が一糸乱れぬ様子で並ぶのを眺めながら上着を一端脱ぎ、身体が元の温度に戻るのを方々から届くアナウンスを聞きながら、飛行機がの離陸が10分遅れることを知ったためにゆったりと待つことにした。

しばらくしてロビーの椅子が半分埋まる頃には身体の汗が引いて、私は今度は寒さを感じるようになった。そこで、一度脱いだ上着を着ようと袖に手を通すために視線を袖の垂れた位置まで落とした。すると再び窓の向こうに視線を戻した時に、ちょうど一台の航空機が目の前を通り過ぎていくのが見える。私はこのゆっくり直進する飛行機を見て、急に旅立ちへの興奮が呼び起こされた気がした。

そんな影響をじっと停まり続ける飛行機からは受けなかったことを当然のように思いながら、間近で動く飛行機の躍動感にすっかり感化され、私は数十分遅れで離陸した飛行機に乗ると雨の降る曇り空の福岡へと降り立った。

羽田よりグッと人の往来の少ない福岡空港は、どこか千歳空港に似ているように思われた。そして、その後天神に向かうために乗った地下鉄も、東京から着いたばかりの私には札幌の地下鉄のように空いているように感じるのだった。

2011年10月26日水曜日

ipodtouchより

ipodtouchを買って数日が経った。はじめは使いにくく感じたタッチパネルにやや慣れてきたものの、ミスタッチが多くてどうにも不便。しかし、igoogleとgmailが使えてその利便性に惚れ込みつつもある。


昼間の晴天が通り過ぎようとあたりが薄暗くなってくる頃、私はスタバでドリップコーヒーを片手に、もう一方の手ではipodでスタバのメニューを検索していた。ここでもやはり便利なものだと感心し、その後ひとしきり持参した本を読んでから夕方の混雑の時間帯を迎えた店を出ることにした。

外に出ると、西の空には夕焼けが山の稜線をくっきり浮き上がらせていた。その上にはお寺の襖絵に出てくるような横長の雲が次から次へといくつも連なっている。何度となく見てきたこの光景も、手のひらにおさまるほどの視野を強いられるipodtouchに目を奪われ続けた後では妙に感動が大きくて、それはきっと視神経の緊張がとれていくことによるものだと私には実感された。

身近なところの空に目線を移すと、見上げて見える木々の枝からはどうにも割り切れないかたちと動きを見せる葉がゆらゆら風に揺られていた。ほのかな愛情を誘うこの木々の葉は昨日とは違う色を見せ、生きていることを周囲にそこはかとなく訴えかけているようだった。

ipodtaouchで疲れた私の目と耳は、まさにこの光景を欲していて、気温がぐんぐん低くなる秋の日暮れの道をしばし散歩することにした。その後身体が冷えてきたことを感じた私は家路へと向かうことにし、文明と自然の両者を享受するこんな贅沢な日々がずっと続いてくれたらいいものだとつくづく考えていた。