福岡空港を降りたときは、そのモダンなつくりや規模が新千歳空港を思わせると思った。しかし、その後地下鉄で天神に向かって、天神駅からやや離れたところにあるホテルでチェックインを済ませた後に、再び渡辺通りを天神駅に向かって歩いていくと、札幌の大丸や三越より巨大な大丸と三越を眺めながら歩くことになって、東京よりほんのりと、、そして北国札幌よりもはるかに暖かいこの町に、札幌というより東京のゴミゴミした空気を感じ始めた。
私はそんな福岡がどんな街かもっと知りたくて、天神から中州を抜けて祇園、博多駅までぶらつくことにした。
地元の人はそうそう駅と駅をまたいで歩かないと聞くが、確かに駅を離れてしばらくすると、人通りはまばらになる。それでもめげずに小雨降る中を旧福岡公会堂貴賓館の洋風建築を通り過ぎてさらに歩き進めると、昼時のはまだ閑散としている中州の歓楽街が現れた。すすきのより大きく歌舞伎町より小さく見えるこの歓楽街は、木枯らしと共に新聞紙が飛ぶような雰囲気で、橋を渡ったところに博多総鎮守の櫛田神社があるとは夢にも思わない光景だった。
中州の歓楽街もその向こうに位置する祇園地区も、大通りから路地裏まで人通りはまばらとはいえ、この櫛田神社は名門の貫禄を醸しだし、参拝客の心をつかんでいるようだった。その証拠にここだけ観光客が後を絶たない。そして、ここの特別大きいわけでもない拝殿は懐の深い様子を存分に抱き、私が参拝するのを他の観光客同様暖かく迎えてくれるのだった。そして傍らに飾られた山笠の、人形師たちの誇りを誇示する装飾は、それをつくっては解体し、つくっては解体しと、破壊と再生のリズムを刻んでいた。
私はこの山笠を見たときに、博多が札幌と似ているとの印象を完全に払拭するに至り、札幌だったら通りでしばしばアイヌに因む木彫りが飾られているのを見るのに、ここ博多では山笠という至って和風な人形飾りを見て、北海道と比べて長い和人の歴史を痛感するのだった。そして祇園近くの東長寺が空海創建のお寺であるとの説明書きを読んだときは、さらにその印象を強めた。
その後博多駅まで歩くと、駅周辺が以前に比べて便利になったと聞いたけれども、ざっと見ただけの私にはやはり天神の方がお店が多くて便利ではないかと思えた。そしてその後、きっと天神に泊まる方がなにかと便利だとの予想をたててホテルを予約した天神へと戻り、妙に豪奢な老舗の岩田屋をちょっとのぞいてこの日の観光を終えた。
夜食べた啓燻亭の長浜ラーメンはとてもおいしかった。どこがおいしい店かもわからず適当に入っただけだったが、そうめんのように細い面に魚介のダシがよくからみ、空腹の胃に流れるように入っていった。ドレッシングのようにあっさりしたスープは最後の一杯まで飲めるさわやかさで、長浜の人が短時間で食べられるようにと工夫した細めんと共に疲れた身体にしんみりと溶け込んでいった。博多散歩の後にはもってこいの一品である。