カミホロ荘は国道291号線沿いにある十勝岳温泉郷の宿だ。今回はここの日帰り湯に入ることにした。
ここに来る前に同じく十勝岳温泉郷の吹上野天風呂にも入ったが、母と共に15時頃行ったときには他に6人ほどが入っていた。みな吹上の湯で膝や腰や糖尿を治したとお湯自慢に花が咲いていた。私はというと、熱くてピリピリくる酸性のお湯に久しぶりに入ったのと足下の凍る中で着替えたのとで、十分入浴したしさあ服を着るぞとお湯から出たときにスッテンと雪積もる石の上で転んでしまった。入浴者の服がわんさか置いてあったところに尻をついたから良かったが、真冬の北海道の寒さに慣れない方、着替の際は足が凍ることを注意してほしいと伝えたい。
カミホロ荘に戻ると、ここのお湯はph2、9の酸性のお湯で、ほぼ無職透明で舐めてもあまり酸っぱくない。露天にしか入らなかったがそこに広がる景色は幽玄で、何時間でも見ていられる世界だった。カミホロ荘に向かう前あたりからちょうど外が吹雪いてきたため、露天でも手前の木々以外は空も見えないまったくの白銀の世界だった。ただただ雪を積もらせた裸の木々が宙に浮くように目の前に聳えている。露天のヒバとヒノキでできているという壁には樹氷のような雪の文様が斜めに入って、厳しい寒さを物語っていた。手でなぞると簡単に落ちゆくその雪の流れは空気を切る風によりとてもシャープにラインをつくっている。水滴が立っているような様相を見せるそんな露天の壁は、一度は蔵王の樹氷を見たいと思っていた私にとってとても嬉しい発見だった。一緒に入浴していた実際に蔵王の樹氷を見たことがあるという母が、樹氷ってこんな感じよと言ったとき、私は十勝岳と蔵王二つの雪の世界を満喫した気分になって大満足を得た。
内湯には7~8人入っていたと思うが冬の露天の寒さを警戒してかこんな絶景だけれども他に客は一人しかいなかった。でも、地元の見飽きている人でない限り、この露天の景色と壁の樹氷もどきを是非見てほしいと思う。因みに加温はしているが加水はしていないらしい。
2011年2月16日水曜日
上空からの景色 羽田~旭川
雪の降った翌日の朝は、アスファルトの表面が奇妙なかたちをつくって凍っている。自動車のタイヤに何度も踏みつけられてできた不規則な溝がそのままかたどられたように跡になっていたり、ほんの緩やかな傾斜で陰になっていたところには、積もった雪が日差しに取り残されたように凍っている。都内でしばれるという言葉を使うことなどまずないのだけれども、この日の早朝はこの言葉がピッタリだった。
しかし北海道のゆったりとしたリズムとは違い、地面が凍ってそれを愉快がる小学生が不注意にも転んしまい、けれども珍しいのかそれすら楽しんでいる傍らでは、コスモポリタンな東京の大人たちはやはりなんの関係もなく朝から忙しく、家を出るときにはめていた手袋を、早足な歩みで駅に着く頃には丁度脱ぎたくなる運動強度を強いられる。そのため建物の陰に駐車されている、フロントガラスが完全に霜で覆われ凍えきった自動車が、都内ではそんなことはまずないのに、前もってエンジンを暖めるために誰も乗らぬままエンジン音を響かせているのに気づいても、身体の暖まり具合と空の明るさに比べて、何か遅いウォーミングアップのように感じてしまう。でも、これから行く北海道ではこんな光景だらけなのを思うと、自分が過ごした幼少の頃からの体験があふれるように思い出され、胸が膨らむのだった。
ここしばらく雲で姿を隠していた富士山も、こういう寒く晴れた日にはくっきりと望むことができる。その前に控える南アルプスは、神前の獅子のように生まれてこのかた離れることがなく、どんなときも一体となっているのが家族のように見える。人間社会も、たとえそれがいつ噴火するかもしれない脆弱な基盤に基づいているに過ぎないとしても、このようなかたちがあれば無縁社会を語ることもないかも知れない。でも多くの人は、この日の私にとっての南アルプスのような、富士山の引き立て役としての評価では満足できないだろう。
駅構内を急ぐ途切れることなき通勤通学の人々。この人たちが12時間後には男女共に内転筋の働かなくなった足を広げ、仰向けになっていびきをかいて居眠りするほどに疲れきっているのだと思うと、コスモポリタン東京で生きることの大変さを思い知るのだった。それでも雇用の多い東京には多くの人が集まる。私はどんどん雇用の失われる北海道へとほんの数日だけれども、そんな東京で吸い上げられたお金で行くことにしよう。
青の光を輝かしいまでに放つ空に向かって飛行機は旅立つ。その意気込みはエンジン音の大きさで十分に伝わってくる。文明の利器を駆使した飛行機が上空に行くと、レゴでできたような町並みに映る関東平野は海との境まで見渡せ、空港までの凍った道は嘘のように太陽光に包まれている。この日の海と空の境目は、見分けがつかないほどに一体となっていた。
そんな光景も猪苗代湖が近づくと、それでも海岸沿いに雪景色はないものの、山間部では雪が冠のように重くのしかかり、平地の田畑をも覆っていた。渓谷を流れる川はその周囲に田畑と集落を従え海まで続いている。そしてその海は、関東平野の景色と同じく空と見分けがつかないまま私の目の前の窓の向こうの青空につながっている。
東京というコスモポリタンを離れると、グローバルという世界に目が三角になって向かっていく先進国の支配的な都市は跡形もなくすっかり消え去り、自然の営みの中にこっそりと集落をつくって土を掘り起こすことで食べ物を得る昔ながらの生活が見えてくる。東京にいると忘れてしまいがちだが、実は日本のほとんどの地域はこういう暮らしなのだ。
そこでは洞穴で暖をとるようななかむつまじさとプライバシーのなさが共存して現代人には警戒する人も多い。そして上空からその美しさを眺める私も、きっと警戒する人間の一人だろう。雑踏の中で互いを無視しあうことに慣れた人間は、寂しい習性ではあるが、わかりやすい目標のない世界でのコミュニケーションが下手なのかもしれない。
山形上空に来ると、完全に雪国だった。山頂から渓谷の隅々まで行き渡る雪。私がこれから向かう大雪山の雪はもっともっとパウダースノーなのを思うと、胸が躍る思いだった。
それが北海道上空へと来ると、想像以上の感動があった。それは山形上空とは規模においても厳しさにおいても全く別物だった。集落というような営みは少なくとも私の乗ったこの日の飛行航路からはなく、点々と農家が一軒ずつ己の田畑を見守るように建っている。自然の厳しさは東北とは桁違いなのが、飛行機の中からでもわかる。低温に凍てつく空気のなかに見える水分の結晶。空気を含むふんわりとした山の雪は、何日も寒さが続いてきたことを物語る。田畑に積もる雪も、完全に眠っているような静けさだ。それは紛れもなく亜寒帯の景色だった。
そして、故郷に戻ってきた喜びを何度でも飽きることなく私にもたらす魅力を変わらず持ち続けてくれていた。
しかし北海道のゆったりとしたリズムとは違い、地面が凍ってそれを愉快がる小学生が不注意にも転んしまい、けれども珍しいのかそれすら楽しんでいる傍らでは、コスモポリタンな東京の大人たちはやはりなんの関係もなく朝から忙しく、家を出るときにはめていた手袋を、早足な歩みで駅に着く頃には丁度脱ぎたくなる運動強度を強いられる。そのため建物の陰に駐車されている、フロントガラスが完全に霜で覆われ凍えきった自動車が、都内ではそんなことはまずないのに、前もってエンジンを暖めるために誰も乗らぬままエンジン音を響かせているのに気づいても、身体の暖まり具合と空の明るさに比べて、何か遅いウォーミングアップのように感じてしまう。でも、これから行く北海道ではこんな光景だらけなのを思うと、自分が過ごした幼少の頃からの体験があふれるように思い出され、胸が膨らむのだった。
ここしばらく雲で姿を隠していた富士山も、こういう寒く晴れた日にはくっきりと望むことができる。その前に控える南アルプスは、神前の獅子のように生まれてこのかた離れることがなく、どんなときも一体となっているのが家族のように見える。人間社会も、たとえそれがいつ噴火するかもしれない脆弱な基盤に基づいているに過ぎないとしても、このようなかたちがあれば無縁社会を語ることもないかも知れない。でも多くの人は、この日の私にとっての南アルプスのような、富士山の引き立て役としての評価では満足できないだろう。
駅構内を急ぐ途切れることなき通勤通学の人々。この人たちが12時間後には男女共に内転筋の働かなくなった足を広げ、仰向けになっていびきをかいて居眠りするほどに疲れきっているのだと思うと、コスモポリタン東京で生きることの大変さを思い知るのだった。それでも雇用の多い東京には多くの人が集まる。私はどんどん雇用の失われる北海道へとほんの数日だけれども、そんな東京で吸い上げられたお金で行くことにしよう。
青の光を輝かしいまでに放つ空に向かって飛行機は旅立つ。その意気込みはエンジン音の大きさで十分に伝わってくる。文明の利器を駆使した飛行機が上空に行くと、レゴでできたような町並みに映る関東平野は海との境まで見渡せ、空港までの凍った道は嘘のように太陽光に包まれている。この日の海と空の境目は、見分けがつかないほどに一体となっていた。
そんな光景も猪苗代湖が近づくと、それでも海岸沿いに雪景色はないものの、山間部では雪が冠のように重くのしかかり、平地の田畑をも覆っていた。渓谷を流れる川はその周囲に田畑と集落を従え海まで続いている。そしてその海は、関東平野の景色と同じく空と見分けがつかないまま私の目の前の窓の向こうの青空につながっている。
東京というコスモポリタンを離れると、グローバルという世界に目が三角になって向かっていく先進国の支配的な都市は跡形もなくすっかり消え去り、自然の営みの中にこっそりと集落をつくって土を掘り起こすことで食べ物を得る昔ながらの生活が見えてくる。東京にいると忘れてしまいがちだが、実は日本のほとんどの地域はこういう暮らしなのだ。
そこでは洞穴で暖をとるようななかむつまじさとプライバシーのなさが共存して現代人には警戒する人も多い。そして上空からその美しさを眺める私も、きっと警戒する人間の一人だろう。雑踏の中で互いを無視しあうことに慣れた人間は、寂しい習性ではあるが、わかりやすい目標のない世界でのコミュニケーションが下手なのかもしれない。
山形上空に来ると、完全に雪国だった。山頂から渓谷の隅々まで行き渡る雪。私がこれから向かう大雪山の雪はもっともっとパウダースノーなのを思うと、胸が躍る思いだった。
それが北海道上空へと来ると、想像以上の感動があった。それは山形上空とは規模においても厳しさにおいても全く別物だった。集落というような営みは少なくとも私の乗ったこの日の飛行航路からはなく、点々と農家が一軒ずつ己の田畑を見守るように建っている。自然の厳しさは東北とは桁違いなのが、飛行機の中からでもわかる。低温に凍てつく空気のなかに見える水分の結晶。空気を含むふんわりとした山の雪は、何日も寒さが続いてきたことを物語る。田畑に積もる雪も、完全に眠っているような静けさだ。それは紛れもなく亜寒帯の景色だった。
そして、故郷に戻ってきた喜びを何度でも飽きることなく私にもたらす魅力を変わらず持ち続けてくれていた。
山形市内に入る頃のはず
アップにした山頂
さらに飛行機は進む
ずっと向こうをこうして飛行機が飛んでいった
青森あたりか
北海道上空は雪雲が多かった
2011年2月14日月曜日
シュルレアリスム展
国立新美術館に行くために六本木に来た。新美術館の南側には政策研究大学院大が隣接し、北側には日本学術会議が構えている。そして国立新美術館では『シュルレアリスム展』が開催中だ。
第一章『ダダからシュルレアリスムへ』のダダとは、家庭を含む全存在を否定するところから始まっているのだが、特に団塊世代以上の人たちにとって受け入れがたいであろうこの手の思想のせいもあってだろう、ハプスブルグ展ならば長蛇の列の中高年のお客さんが今回はめっきり少なくて、混雑は全くなくじっくり絵を見られた。やはり、理性の統制をなくして美学上、道徳上からも離れたところで追求する表現は中高年層には興味の対象外のようだ。
エルンストの『視覚の内部』、マグリットの『秘密の分身』などが特に私の気に入り、中でもミロの『シエスタ』は良かった。夢の中を表すような青をベースにした一つ一つの筆の流れの中にポツン、ポツンと抽象的な形が入ったこの絵は、本当にシエスタそのもので、ミロはその要素をとてもよく抽出して描いていると思う。どちらかというと安らかなシエスタだと思うが。
その後、すぐ近くの乃木坂沿いを歩いて妙に黒ずんで古びた煉瓦の塀が気になったと思ったら、旧陸軍大将の乃木邸であることがわかった。そこは現在乃木公園になっていて自由に出入りできる。厩屋なども昔のまま残っていてその生活ぶりを垣間見ることができ、ここでも嬉しいことに猫発見だ。旧乃木邸の庭に猫とは随分絵になるではないか。寄ってよかった。
第一章『ダダからシュルレアリスムへ』のダダとは、家庭を含む全存在を否定するところから始まっているのだが、特に団塊世代以上の人たちにとって受け入れがたいであろうこの手の思想のせいもあってだろう、ハプスブルグ展ならば長蛇の列の中高年のお客さんが今回はめっきり少なくて、混雑は全くなくじっくり絵を見られた。やはり、理性の統制をなくして美学上、道徳上からも離れたところで追求する表現は中高年層には興味の対象外のようだ。
エルンストの『視覚の内部』、マグリットの『秘密の分身』などが特に私の気に入り、中でもミロの『シエスタ』は良かった。夢の中を表すような青をベースにした一つ一つの筆の流れの中にポツン、ポツンと抽象的な形が入ったこの絵は、本当にシエスタそのもので、ミロはその要素をとてもよく抽出して描いていると思う。どちらかというと安らかなシエスタだと思うが。
その後、すぐ近くの乃木坂沿いを歩いて妙に黒ずんで古びた煉瓦の塀が気になったと思ったら、旧陸軍大将の乃木邸であることがわかった。そこは現在乃木公園になっていて自由に出入りできる。厩屋なども昔のまま残っていてその生活ぶりを垣間見ることができ、ここでも嬉しいことに猫発見だ。旧乃木邸の庭に猫とは随分絵になるではないか。寄ってよかった。
旧乃木邸
乃木邸庭にいた猫
とてもいい声の猫ちゃんだった
同じ時のなかで スーザン・ソンタグ
2004年に71歳で亡くなったスーザン・ソンタグ。ソンタグの新刊本の書評が週刊東洋経済に載っていると夫に聞かされ、ソンタグを一度も読んだことのない私はそれを機に図書館で借りられるだけのソンタグの著作を借りてきて、なんの計画もなくとりあえず読み始めたのが『同じ時のなかで』だった。
読み始めると、随分と持って回った言い方で若干読みにくい文体だと思ったが、徐々に慣れてきてソンタグの人物像が見えてきた。自分の信じる原理、原則に常に忠実であろうとする思考、執筆への態度。悲惨な世界の紛争、特にアメリカが関わる戦争の現実から目を背けずに、アメリカ人というアイデンティティを維持したまま首を突っ込んでいく勇敢さ(時にそれが精査を欠き悪影響も及ぼして敵をつくることにもなっているらしいが)。とてつもない文学好きであり、読んていて本当に驚くが異常なまでによく勉強していて、文化から遠い環境のなかで育って読書と出会ってからは貪るように本を読んだというように、二次元から入った人独特とも思えるような文学への愛情と情熱。
彼女の意見全てに賛成ではないし、どちらかというと意見を異にするところが多いとの感想を持ったが、とても一途で愛すべきところのある人だ。そのため、ソンタグが戦争を語る時、同時に多くの死についても語っていて読者の私はその重い現実を一緒に考えさせられることになるのだが、最後の訳者あとがきでソンタグ自身の死について『「骨髄移植を目指しているんだけど、もし適合する骨髄がなければ、長くて一年半の余命ですって」と、訳者の目を正視せずに語った』と読んだ時に、ソンタグが語っていた他の出来事以上に私の心に大きく刺さるものがあった。
自分ではそんなつもりはなかったが、300ページほどソンタグを読んだだけで、これほどソンタグを近く感じる様になったことに驚く。私にとって、それがソンタグの魅力なのかもしれない。
読み始めると、随分と持って回った言い方で若干読みにくい文体だと思ったが、徐々に慣れてきてソンタグの人物像が見えてきた。自分の信じる原理、原則に常に忠実であろうとする思考、執筆への態度。悲惨な世界の紛争、特にアメリカが関わる戦争の現実から目を背けずに、アメリカ人というアイデンティティを維持したまま首を突っ込んでいく勇敢さ(時にそれが精査を欠き悪影響も及ぼして敵をつくることにもなっているらしいが)。とてつもない文学好きであり、読んていて本当に驚くが異常なまでによく勉強していて、文化から遠い環境のなかで育って読書と出会ってからは貪るように本を読んだというように、二次元から入った人独特とも思えるような文学への愛情と情熱。
彼女の意見全てに賛成ではないし、どちらかというと意見を異にするところが多いとの感想を持ったが、とても一途で愛すべきところのある人だ。そのため、ソンタグが戦争を語る時、同時に多くの死についても語っていて読者の私はその重い現実を一緒に考えさせられることになるのだが、最後の訳者あとがきでソンタグ自身の死について『「骨髄移植を目指しているんだけど、もし適合する骨髄がなければ、長くて一年半の余命ですって」と、訳者の目を正視せずに語った』と読んだ時に、ソンタグが語っていた他の出来事以上に私の心に大きく刺さるものがあった。
自分ではそんなつもりはなかったが、300ページほどソンタグを読んだだけで、これほどソンタグを近く感じる様になったことに驚く。私にとって、それがソンタグの魅力なのかもしれない。
2011年2月12日土曜日
ヴィジェ・ルブラン
ブリジストン美術館恒例の土曜講座に行ってきた。内容は3月1日から三菱一号館美術館で開催予定の『ヴィジェ・ルブラン展』についてで、学芸員の安井 裕雄 氏が話す。
ヴィジェ・ルブランの野心に満ちた自画像はパンフレットで見てもとても印象的だが、それを裏付けるような生き方が見事だ。
目利きの画商と結婚して、マリー・アントワネットに気に入られ肖像画を依頼されるようになったかと思うと、アントワネットのコネでアカデミーの会員にもなってしまう。この出世をモノにする処世術とそれに伴う他者の負の感情をものともしないタフな野心に、美しい自画像の笑顔の奥の彼女の本性がある気がしてとても興味深い(当時最大のライバルだったのはラビーユ・ギアール)。
バリバリの王党派を最後まで貫くもフランス革命を無事逃れて行った先々でまたまた王侯貴族の肖像画を描き残すあたりは、アントワネット時代と変らない。王侯貴族の扱いがよっぽど上手いのだろうが、やはり王党派であることを貫く強さには一目置いてしまう。
その後夫が亡くなり娘、弟が亡くなった後も22年生き延びて87歳で大往生したヴィジェ・ルブラン。この人生を生きた人の自画像を見ずにはいられないと思わせる魅力を感じる講演内容だった。安井氏、おもしろいぞ。
ヴィジェ・ルブランの野心に満ちた自画像はパンフレットで見てもとても印象的だが、それを裏付けるような生き方が見事だ。
目利きの画商と結婚して、マリー・アントワネットに気に入られ肖像画を依頼されるようになったかと思うと、アントワネットのコネでアカデミーの会員にもなってしまう。この出世をモノにする処世術とそれに伴う他者の負の感情をものともしないタフな野心に、美しい自画像の笑顔の奥の彼女の本性がある気がしてとても興味深い(当時最大のライバルだったのはラビーユ・ギアール)。
バリバリの王党派を最後まで貫くもフランス革命を無事逃れて行った先々でまたまた王侯貴族の肖像画を描き残すあたりは、アントワネット時代と変らない。王侯貴族の扱いがよっぽど上手いのだろうが、やはり王党派であることを貫く強さには一目置いてしまう。
その後夫が亡くなり娘、弟が亡くなった後も22年生き延びて87歳で大往生したヴィジェ・ルブラン。この人生を生きた人の自画像を見ずにはいられないと思わせる魅力を感じる講演内容だった。安井氏、おもしろいぞ。
2011年2月11日金曜日
新宿歴史博物館
朝起きた時の冷え込みはつい1~2週間前に暦と共に去ったものと気が緩んでいた分、それに向き合うのに多少の時間と勇気を要した。それでもめげずに前日行こうと決めていた新宿歴史博物館に行くために、もう今年は着る必要もないかと思って箪笥の奥深くにしまいこんだセーターを引っ張り出し、そのちくちくした触感に真冬の再来を面倒に感じながら腕を通した。
新宿歴史最博物館へは都営新宿線曙橋から7分ほど歩いて行けるのだが、急行に乗ったために曙橋には停まらず、次の市谷から歩くことになった。
靖国通り沿いには程なくして、いかにも警備の厳重な防衛省の門がお目見えし、その数十メートル先にはピカピカのビルが聳える。そのビルにはいかにも官僚カラーのスーツを着た男たちが個体の区別がつかないほどに誰もがそっくりな面持ちでひっきりなしに入っていった。
その防衛省の通りを挟んだこちら側の歩道を新宿方面へ歩く私の左手には緩やかな勾配の坂に住宅地がひしめていて、その一画にポツンと博物館があるのが地図上では確認できる。そして私は三栄町にある博物館に行くのに最初に目に入った坂道から迫っていった。
坂町を貫くその坂は坂道坂という。何の変哲もないように見えるこの坂を数十メートル上ると、ジャーンと何かの機会音がして、あまり聞いたことがない音としての違和感として、私のほんの少しの関心をひいたのだが、それはしばらくしてもう一度、より近い位置で耳に届くと、どうやら生き物の声、そう、猫の鳴き声として私の耳に届き、喜びへと大変換して私の関心をさらっていった。随分とダミ声のこの猫は痩せてはいるが人懐っこく、通りの脇に水とご飯の器があり、この辺りで世話されているようだ。あまりに誰にでも懐くようなので、誰でも信用しすぎるんじゃないよと諭してお別れし、博物館探しを再開した。
ところがどうにもこうにも民家続きでたどり着かない。でも坂町の隣の三栄町に博物館はあるのだから遠くではないはず。このクネクネに入り組んだ路地をくまなく歩けばいずれ見つからない訳がないと歩きつくしていたら、それまでとは全く雰囲気の違う、観光用に整えられたと思われる石畳のきれいな坂道に出た。そして案の定新宿歴史博物館発見。津の守坂というこの坂を下りたところにはが曙橋の駅があり、この坂はつまり最寄りの坂で、迷わず辿り着けるようになっているらしい。
博物館の方は、近現代の新宿だけでなく、石器、縄文、弥生時代からの人々の営みがテーマとして取り上げられた内容だった。大昔の人は今の人より信心深かったとの説明書きがあり、死ぬ前から木や石にいろいろと自分の足跡を残したものが展示されていたが、どうしてどうして現代人も足跡だけは残したがるものだぞと、偶然読んでいたスーザン・ソンタグの『同じ時のなかで』を思い返してそんな感想を持った。展示の最後の方の明治になると、新宿で生まれて生きた夏目漱石が出てきた。先日漱石誕生の石碑のあるところを実際に通りがかったところだったので、妙に親近感が湧いた。
博物館を出て津の守坂を下り曙橋へ向かうと、靖国通りの向こうに中央大学市ヶ谷キャンパスが現れた。このキャンパスには2010年度新司法試験合格者数第二位と一見頑張っている法科大学院も入って落ち着いた佇まいを呈している。ところが合格者数第二位といっても50パーセントにも満たない合格率が実情だ。相当に年増になるまで勉強にだけ励んですっかり社会から取り残されたところで半数以上の人が不合格とは、自己責任とはいえ憤懣やるかたなしだろう。このツケが多くの人にとって他人事とはいえ結局社会全体にまわってくると思うと恐ろしい。
法科大学院制度をつくった人たちの腹積もりを聞いてみたいものだと思いながら曙橋から地下鉄に乗った。
新宿歴史最博物館へは都営新宿線曙橋から7分ほど歩いて行けるのだが、急行に乗ったために曙橋には停まらず、次の市谷から歩くことになった。
靖国通り沿いには程なくして、いかにも警備の厳重な防衛省の門がお目見えし、その数十メートル先にはピカピカのビルが聳える。そのビルにはいかにも官僚カラーのスーツを着た男たちが個体の区別がつかないほどに誰もがそっくりな面持ちでひっきりなしに入っていった。
その防衛省の通りを挟んだこちら側の歩道を新宿方面へ歩く私の左手には緩やかな勾配の坂に住宅地がひしめていて、その一画にポツンと博物館があるのが地図上では確認できる。そして私は三栄町にある博物館に行くのに最初に目に入った坂道から迫っていった。
坂町を貫くその坂は坂道坂という。何の変哲もないように見えるこの坂を数十メートル上ると、ジャーンと何かの機会音がして、あまり聞いたことがない音としての違和感として、私のほんの少しの関心をひいたのだが、それはしばらくしてもう一度、より近い位置で耳に届くと、どうやら生き物の声、そう、猫の鳴き声として私の耳に届き、喜びへと大変換して私の関心をさらっていった。随分とダミ声のこの猫は痩せてはいるが人懐っこく、通りの脇に水とご飯の器があり、この辺りで世話されているようだ。あまりに誰にでも懐くようなので、誰でも信用しすぎるんじゃないよと諭してお別れし、博物館探しを再開した。
ところがどうにもこうにも民家続きでたどり着かない。でも坂町の隣の三栄町に博物館はあるのだから遠くではないはず。このクネクネに入り組んだ路地をくまなく歩けばいずれ見つからない訳がないと歩きつくしていたら、それまでとは全く雰囲気の違う、観光用に整えられたと思われる石畳のきれいな坂道に出た。そして案の定新宿歴史博物館発見。津の守坂というこの坂を下りたところにはが曙橋の駅があり、この坂はつまり最寄りの坂で、迷わず辿り着けるようになっているらしい。
博物館の方は、近現代の新宿だけでなく、石器、縄文、弥生時代からの人々の営みがテーマとして取り上げられた内容だった。大昔の人は今の人より信心深かったとの説明書きがあり、死ぬ前から木や石にいろいろと自分の足跡を残したものが展示されていたが、どうしてどうして現代人も足跡だけは残したがるものだぞと、偶然読んでいたスーザン・ソンタグの『同じ時のなかで』を思い返してそんな感想を持った。展示の最後の方の明治になると、新宿で生まれて生きた夏目漱石が出てきた。先日漱石誕生の石碑のあるところを実際に通りがかったところだったので、妙に親近感が湧いた。
博物館を出て津の守坂を下り曙橋へ向かうと、靖国通りの向こうに中央大学市ヶ谷キャンパスが現れた。このキャンパスには2010年度新司法試験合格者数第二位と一見頑張っている法科大学院も入って落ち着いた佇まいを呈している。ところが合格者数第二位といっても50パーセントにも満たない合格率が実情だ。相当に年増になるまで勉強にだけ励んですっかり社会から取り残されたところで半数以上の人が不合格とは、自己責任とはいえ憤懣やるかたなしだろう。このツケが多くの人にとって他人事とはいえ結局社会全体にまわってくると思うと恐ろしい。
法科大学院制度をつくった人たちの腹積もりを聞いてみたいものだと思いながら曙橋から地下鉄に乗った。
坂町坂の猫ちゃん
2011年2月10日木曜日
目黒~白金散策
目黒駅を西口に降りて、フクジュソウ、マンサクが咲き始めたという二月の自然教育園に行ってみた。自然教育園は、いずれはスダジイなどの常緑樹の林になると言われているが、現在はクロマツなどの松が、樹齢300年あまりの木も含めてその優美な肌を空に向けている。
スダジイとアカガシのアーチ
ひょうたん池
ひょうたん池ではカエルがまだ冬眠中なのかとても静かだ。しかし、頭上で繰り広げられているツピツピツピツピとシジュウカラのオスがメスを求めるさえずりは、春を呼ぶ声に聞こえて晴れ晴れした気分をもたらしてくれる。
ヤブツバキの木には、メジロやヒヨドリが蜜を吸いにやってくる。このヤブツバキはなるほど賢くて、受粉に役立たない昆虫の目にはあまり入らない赤い色の花を咲かせる。鳥たちにはよく見える赤い光線を発するヤブツバキから顔中花粉だらけの鳥たちが飛び立っていくという無理のない利害の一致は、とても朗らかでついついヤブツバキの木の下で長居してしまう。
ヤブツバキ
朝は雪が降っていたのにすっかり晴れ渡った自然植物園では、一見ほのぼのした鳥たちの求愛があちこちで見られる。しかしその最中もマツ林と落葉樹、常緑樹の世代交代が行われているというのが嘘のような静けさだった。
フラットブレッドと温野菜
その後外苑西通りに出て松岡美術館方面に向かったが、その前に寄ったのが『禅』というカフェだ。白を基調とした店内は小奇麗で、広さの割に天井が高めなのと通りに面した壁が全面ガラス窓のために、10テーブルもないスペースだがとても広く感じる。このカフェにはフラットブレッドというパンやピザの原型という品があり、私はそれを注文した。
ピザよりもさらに薄いパリパリの生地の上に香ばしいチーズが振られたこのフラットブレッドは絶品だった。温野菜とドリンクがついてランチだと680円というお手頃価格も嬉しい(量を食べたいという人は物足りないかもしれないが)。1000円のランチだとフラットブレッドがカレーやパスタになる。ドーナツも売りらしいので、今度来店の際にはそちらも試したい。因みにギフトもある。店員さんの説明もとても丁寧で良かった。
その後行った松岡美術館では、先日の泉屋博古館と同様中国の青銅器があった。中国には生存しないライオンを妄想で描いてカエルのようになった文様などを見た後に常設展に移ったのだが、この美術館の創設者で収集家でもあった松岡氏はガンダーラ・インド彫刻を多く集めたようで、それらが展示されている。コレクションのうちのヒンズー教のシヴァやビシュヌに4本手があるものをいくつか発見して、なぜこれほど手があるのかと考えてみた。猫の手も借りたいというように、ヒトは二つの手では足りないと感じているのかもしれない。
因みにこの辺りは高級住宅街と言われるが、確かに外苑西通り沿いには小洒落たマンションが多く、その一歩奥には妙にセキュリティの厚い一軒家がチラチラ見える。そして当然散歩している犬は、飼い主同様オシャレな服を着ている。
因みにこの辺りは高級住宅街と言われるが、確かに外苑西通り沿いには小洒落たマンションが多く、その一歩奥には妙にセキュリティの厚い一軒家がチラチラ見える。そして当然散歩している犬は、飼い主同様オシャレな服を着ている。
以下自然教育園の植物たち
まんりょう
せんりょう
むくのき
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