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2011年2月11日金曜日

新宿歴史博物館

朝起きた時の冷え込みはつい1~2週間前に暦と共に去ったものと気が緩んでいた分、それに向き合うのに多少の時間と勇気を要した。それでもめげずに前日行こうと決めていた新宿歴史博物館に行くために、もう今年は着る必要もないかと思って箪笥の奥深くにしまいこんだセーターを引っ張り出し、そのちくちくした触感に真冬の再来を面倒に感じながら腕を通した。

新宿歴史最博物館へは都営新宿線曙橋から7分ほど歩いて行けるのだが、急行に乗ったために曙橋には停まらず、次の市谷から歩くことになった。

靖国通り沿いには程なくして、いかにも警備の厳重な防衛省の門がお目見えし、その数十メートル先にはピカピカのビルが聳える。そのビルにはいかにも官僚カラーのスーツを着た男たちが個体の区別がつかないほどに誰もがそっくりな面持ちでひっきりなしに入っていった。

その防衛省の通りを挟んだこちら側の歩道を新宿方面へ歩く私の左手には緩やかな勾配の坂に住宅地がひしめていて、その一画にポツンと博物館があるのが地図上では確認できる。そして私は三栄町にある博物館に行くのに最初に目に入った坂道から迫っていった。

坂町を貫くその坂は坂道坂という。何の変哲もないように見えるこの坂を数十メートル上ると、ジャーンと何かの機会音がして、あまり聞いたことがない音としての違和感として、私のほんの少しの関心をひいたのだが、それはしばらくしてもう一度、より近い位置で耳に届くと、どうやら生き物の声、そう、猫の鳴き声として私の耳に届き、喜びへと大変換して私の関心をさらっていった。随分とダミ声のこの猫は痩せてはいるが人懐っこく、通りの脇に水とご飯の器があり、この辺りで世話されているようだ。あまりに誰にでも懐くようなので、誰でも信用しすぎるんじゃないよと諭してお別れし、博物館探しを再開した。

ところがどうにもこうにも民家続きでたどり着かない。でも坂町の隣の三栄町に博物館はあるのだから遠くではないはず。このクネクネに入り組んだ路地をくまなく歩けばいずれ見つからない訳がないと歩きつくしていたら、それまでとは全く雰囲気の違う、観光用に整えられたと思われる石畳のきれいな坂道に出た。そして案の定新宿歴史博物館発見。津の守坂というこの坂を下りたところにはが曙橋の駅があり、この坂はつまり最寄りの坂で、迷わず辿り着けるようになっているらしい。

博物館の方は、近現代の新宿だけでなく、石器、縄文、弥生時代からの人々の営みがテーマとして取り上げられた内容だった。大昔の人は今の人より信心深かったとの説明書きがあり、死ぬ前から木や石にいろいろと自分の足跡を残したものが展示されていたが、どうしてどうして現代人も足跡だけは残したがるものだぞと、偶然読んでいたスーザン・ソンタグの『同じ時のなかで』を思い返してそんな感想を持った。展示の最後の方の明治になると、新宿で生まれて生きた夏目漱石が出てきた。先日漱石誕生の石碑のあるところを実際に通りがかったところだったので、妙に親近感が湧いた。

博物館を出て津の守坂を下り曙橋へ向かうと、靖国通りの向こうに中央大学市ヶ谷キャンパスが現れた。このキャンパスには2010年度新司法試験合格者数第二位と一見頑張っている法科大学院も入って落ち着いた佇まいを呈している。ところが合格者数第二位といっても50パーセントにも満たない合格率が実情だ。相当に年増になるまで勉強にだけ励んですっかり社会から取り残されたところで半数以上の人が不合格とは、自己責任とはいえ憤懣やるかたなしだろう。このツケが多くの人にとって他人事とはいえ結局社会全体にまわってくると思うと恐ろしい。
法科大学院制度をつくった人たちの腹積もりを聞いてみたいものだと思いながら曙橋から地下鉄に乗った。
坂町坂の猫ちゃん