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2011年2月16日水曜日

上空からの景色 羽田~旭川

雪の降った翌日の朝は、アスファルトの表面が奇妙なかたちをつくって凍っている。自動車のタイヤに何度も踏みつけられてできた不規則な溝がそのままかたどられたように跡になっていたり、ほんの緩やかな傾斜で陰になっていたところには、積もった雪が日差しに取り残されたように凍っている。都内でしばれるという言葉を使うことなどまずないのだけれども、この日の早朝はこの言葉がピッタリだった。


しかし北海道のゆったりとしたリズムとは違い、地面が凍ってそれを愉快がる小学生が不注意にも転んしまい、けれども珍しいのかそれすら楽しんでいる傍らでは、コスモポリタンな東京の大人たちはやはりなんの関係もなく朝から忙しく、家を出るときにはめていた手袋を、早足な歩みで駅に着く頃には丁度脱ぎたくなる運動強度を強いられる。そのため建物の陰に駐車されている、フロントガラスが完全に霜で覆われ凍えきった自動車が、都内ではそんなことはまずないのに、前もってエンジンを暖めるために誰も乗らぬままエンジン音を響かせているのに気づいても、身体の暖まり具合と空の明るさに比べて、何か遅いウォーミングアップのように感じてしまう。でも、これから行く北海道ではこんな光景だらけなのを思うと、自分が過ごした幼少の頃からの体験があふれるように思い出され、胸が膨らむのだった。

ここしばらく雲で姿を隠していた富士山も、こういう寒く晴れた日にはくっきりと望むことができる。その前に控える南アルプスは、神前の獅子のように生まれてこのかた離れることがなく、どんなときも一体となっているのが家族のように見える。人間社会も、たとえそれがいつ噴火するかもしれない脆弱な基盤に基づいているに過ぎないとしても、このようなかたちがあれば無縁社会を語ることもないかも知れない。でも多くの人は、この日の私にとっての南アルプスのような、富士山の引き立て役としての評価では満足できないだろう。

駅構内を急ぐ途切れることなき通勤通学の人々。この人たちが12時間後には男女共に内転筋の働かなくなった足を広げ、仰向けになっていびきをかいて居眠りするほどに疲れきっているのだと思うと、コスモポリタン東京で生きることの大変さを思い知るのだった。それでも雇用の多い東京には多くの人が集まる。私はどんどん雇用の失われる北海道へとほんの数日だけれども、そんな東京で吸い上げられたお金で行くことにしよう。

青の光を輝かしいまでに放つ空に向かって飛行機は旅立つ。その意気込みはエンジン音の大きさで十分に伝わってくる。文明の利器を駆使した飛行機が上空に行くと、レゴでできたような町並みに映る関東平野は海との境まで見渡せ、空港までの凍った道は嘘のように太陽光に包まれている。この日の海と空の境目は、見分けがつかないほどに一体となっていた。

そんな光景も猪苗代湖が近づくと、それでも海岸沿いに雪景色はないものの、山間部では雪が冠のように重くのしかかり、平地の田畑をも覆っていた。渓谷を流れる川はその周囲に田畑と集落を従え海まで続いている。そしてその海は、関東平野の景色と同じく空と見分けがつかないまま私の目の前の窓の向こうの青空につながっている。

東京というコスモポリタンを離れると、グローバルという世界に目が三角になって向かっていく先進国の支配的な都市は跡形もなくすっかり消え去り、自然の営みの中にこっそりと集落をつくって土を掘り起こすことで食べ物を得る昔ながらの生活が見えてくる。東京にいると忘れてしまいがちだが、実は日本のほとんどの地域はこういう暮らしなのだ。

そこでは洞穴で暖をとるようななかむつまじさとプライバシーのなさが共存して現代人には警戒する人も多い。そして上空からその美しさを眺める私も、きっと警戒する人間の一人だろう。雑踏の中で互いを無視しあうことに慣れた人間は、寂しい習性ではあるが、わかりやすい目標のない世界でのコミュニケーションが下手なのかもしれない。

山形上空に来ると、完全に雪国だった。山頂から渓谷の隅々まで行き渡る雪。私がこれから向かう大雪山の雪はもっともっとパウダースノーなのを思うと、胸が躍る思いだった。

それが北海道上空へと来ると、想像以上の感動があった。それは山形上空とは規模においても厳しさにおいても全く別物だった。集落というような営みは少なくとも私の乗ったこの日の飛行航路からはなく、点々と農家が一軒ずつ己の田畑を見守るように建っている。自然の厳しさは東北とは桁違いなのが、飛行機の中からでもわかる。低温に凍てつく空気のなかに見える水分の結晶。空気を含むふんわりとした山の雪は、何日も寒さが続いてきたことを物語る。田畑に積もる雪も、完全に眠っているような静けさだ。それは紛れもなく亜寒帯の景色だった。

そして、故郷に戻ってきた喜びを何度でも飽きることなく私にもたらす魅力を変わらず持ち続けてくれていた。

山形市内に入る頃のはず

アップにした山頂

さらに飛行機は進む

ずっと向こうをこうして飛行機が飛んでいった

青森あたりか

北海道上空は雪雲が多かった