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2011年6月14日火曜日

東京から新潟経由で酒田へ

東日本ぐるっとパスを利用し、新潟経由で酒田、鶴岡に行こうと初めて上越新幹線に乗り込んだ。佐渡のトキに因んでつけられたと思われる「トキ」という名のこの新幹線は、私が乗ったものは二階建てで、私は二階席だったため、さぞ眺めがいいだろうと期待を膨らませていた。ところが、東京駅を出発して高崎を過ぎ、田畑が広がり始めてようやく景色が良くなってきたと思ったら、その期待を見事に裏切りトンネルの中を永遠とも思われるほど長時間走り続けるのだった。

これでは青函トンネルではないかと不服に思い始めた頃にはうつらうつらして、暗闇に包まれ居眠りしていた。そしてパッとトンネルを抜け出て明るくなるとハッと起き、どこかと思ったらすでに越後湯沢だった。早稲の稲は緑色を伸ばし、あたり一面美しい田園風景が広がっている。どんどん米所に近づいていく気配がそこには確かにあった。

新幹線「トキ」は新潟に着き、続いて酒田に向かうべく、今度は特急「いなほ」に乗ることに。

いなほはトキに比べるとゆっくり進み、一つ目の停車駅である豊栄では、大型店の後方のアスファルトを歩く首輪をつけたスリムな白黒猫を発見した。猫はボディがほぼ真っ黒で、足のところだけほんの少し白く、そのホワイトソックスの足で、何を狙っているのか、抜き足差し足で前へと忍び寄るのだった。

そんな猫の姿も最後まで見届けることはできなかったけれども、ややもすると水田だけではなく畑も見え始め、農民がほっかぶりをして農作業にいそしむ姿があちらでもこちらでも見られた。どの家の人も外に出てきているのではないかと思うほどの人口密度で、どの人も前かがみの姿勢で歩き、年季の入った働き者の様相を呈していた。

それが特急いなほが加治駅を過ぎる頃にはそれまで遠目で眺めていた山が近づいてはっきりと緑の様子が見えるのだった。そしてその山の麓まで続く田んぼの一枚一枚はこれまでより大きくなり、庄内平野へと続く米作りの威力を見ることとなった。

その後特急は海沿いを走り始めた。それに気づいた山側席に座席を指定していた私はガラ空きの車両の海側席へとうつり、久しぶりに見る日本海の静かな波と沿岸に連なる岩に見入っていた。鶴岡近くまで続くこの海の景色は、太平洋側が津波でさらわれたことを思うととても貴重に思われた。海と山に挟まれた水田地帯は、カカシが時々人目を引くくらいで何の変哲もない景色だけれども、これほどそれ以外に何もないことが、東京で暮らす私にはバカみたいに珍しく思えた。

シロサギが水田に降り立ちなにやら物色している姿が多く見られる果てしない庄内平野を特急いなほは17時半過ぎに酒田に着いた。17時も過ぎると車内はひんやりとし始め、東北に来たことを実感させられるのだった。

いなほを降りて目の前にある改札から酒田駅を出ると、11万人ほどの人口を抱える町としては思いのほか何もなかった。中心街は違うところなのかとも思った。酒田についてあまり下調べしてこなかったことをこの時すでにやや後悔し、一泊にするか二泊にするかでじっくりまわりたいから二泊にしたこともやや後悔するのだった。

ホテルにチェックインしてから晩御飯を食べに外出したが、案の定行き詰ることに。居酒屋は何軒も営業中のところがあるのだが、お酒を飲まない私は、特に一人旅なので入る勇気が湧かない。おいしい海の幸はおあずけである。そして居酒屋以外ではとなると、本当になにもないのである。喫茶店やラーメン屋さんの看板が出てはいるが軒並み店内は暗く、閉店している。駅のお土産やさんでおこわが売られていたのでまだあるかと行ってみると、もう売り切れ。駅の売店のサンドウィッチや弁当も売り切れ。仕方ないので駅前の地図を見て近くのコンビニに行くことに。数百メートル歩いたところにファミマがあり、これではホテルの自販機でオレンジジュースでも買って飲むくらいしか栄養補給の手段がないではないかと途方に暮れる私を救ってくれた。

そしてかわり映えしない米国産豚肉使用のコンビ二とんかつ弁当を米所酒田でむなしく食べ、やたらと居酒屋の看板に焼き鳥とあるから鳥が名物なのかなどと疑問を抱きながら、寂しい一日目となった。明日は本間邸などを見てもう一泊酒田に泊まるのだが、これならとっとと鶴岡に移動してしまったほうが良かったかもしれないと思えてくるのだった。

しかしこれだけ夜になるとどこにも行けないと、早ね早起きの習慣がつくかもしれないとの期待もわいた。

上越新幹線・越後湯沢近く

水田がいっぱい

特急いなほからの車窓

海が見えてきた

海と水田の風景

トンネルへ

山間に入ったところ

鶴岡あたり
向こうの山々が幽玄だった

2011年6月13日月曜日

アクオスよりヨシズ

私が思っていたよりもずっとヨシズは快適で、葦の微妙に光を通す並びが竹林にいるような感覚を想起させ、以外に森林浴のようなリラックス効果をもたらすことがわかった。さらに、窓の上部から立て掛けるためか、ヨシズの掛けられた空間が部屋と続いて部屋の一部のように思われるらしく、部屋が広くなったように感じられるのだった。

そんな窓の向こうのヨシズに満足して数日過ごしていると、高幡不動尊のアジサイが見頃を迎えようとしていた。境内にはカメラを携えた参拝客が、レンズがアジサイにぶつかるくらいにカメラを近づけて、撮影に励んでいた。

すでに梅雨入りして空気はジメッとしている。そしてこれから夏を迎えるのだけれども、山内八十八ヶ所巡りの地蔵の頭には真っ赤な毛糸の帽子が被せられ地蔵たちはどこか周りの風景と一線を画し、どんなにアジサイが山を覆うように咲き誇っても、赤い帽子はその隙間から必ず存在をアピールするのだった。

我が家にやってきたヨシズとはまったく正反対の効果をもつように見えるお地蔵さんの頭の真っ赤な帽子は、それでもヨシズから出てくるような優しさがにじみ出ているのだが、それは作り手を思わせるという意味では同じだった。

我が家の猫は最近私から遠ざかり、何が原因なのか分からぬまま私はがっくり気落ちしていた。もしかしたら、毛糸の帽子を縫うような手間暇が足りないのかと、梅雨入りしてからジメッとした空気の中では離れている方が猫も快適だろうと判断しておろそかにしていた、猫を私の布団の上にいちいち連れていってあげるという行為を再会することにした。すると、ぱったりやめていた私の布団で寝るという行為を、なんとも速やかに受け入れ、想像を絶する手足の弛緩したリラックススタイルで寝続けるではないか。

やはり手間暇かけないと猫の心も離れていくものだと思いながら母から送られてきたコゴミを胡麻和えにすべく洗っていると、ハエのような虫が出てきて私の心臓を刺激するのだった。そしてまた一匹、次にまた一匹と。

遥々北海道からやってきたこの虫に故郷の懐かしさを思いながらも、人の移動距離もさることながら、同じく虫の移動距離もすごいものだと、こうして海外からもいろいろな生物が入ってくる実感をかみしめていた。

グローバルなんて言葉は死語になって構わないのにと、やや過激に偏った意見が胸中に湧いてくるのを感じながら、完全に光や風を遮るわけではないヨシズの曖昧さが、単純な作業の栄光の素晴らしさだと思った。隣に並ぶシャープのアクオスより、その出来の素晴らしさに私は感動している。

2011年6月11日土曜日

ヨシズ到着

夏場の電力不足に備えて、夫は少し前に、南側を向く窓の数だけヨシズを注文した。そしてよその家も同じことを考え注文しているようで品切れが続き到着が遅れていたのが、ようやく届いた。

届いた翌日になると、夫は自分の手柄を自慢するかのようにヨシズをまず自分の部屋の窓に立てかけ、まだヨシズが必要なほどの暑さではないにもかかわらず、どんなものかと無理くり涼しさを体感しようとしているのだった。私はヨシズというものが何かよく知らず、そんなもの立てかけたら視界がなくなるだろうと腹立たしかったが、夫の部屋に行ってみると、中からは外がわりとよく見えるから面白い。これは確かにつかえる。

両国で狩野一信の描いた五百羅漢を見てきたところだけれども、羅漢たちはお風呂に入ったり、六道をみていたり、神通力をつかったりとやることに事欠くことなく人間世界の周辺にいながら、人間たちを見守っているようだった。

我が家にやってきたヨシズも、この夏私たちを日々見守ってくれることになるだろう。

2011年6月9日木曜日

岩間温泉って

北海道在住の母から、岩間温泉を探し当てた、とのメールが届いた。先々週だったろうか、紋別から車で40分ほど内陸に入ったところに位置する滝上町のシバザクラを見に行き、一見の価値ありとの連絡を受けたが、60を過ぎ、地方の不動産業界という超男社会を女一人で渡り歩く、日々孤独でいっぱいいっぱいの母も、そうして生活を楽しんでいるようでなによりだ。

岩間温泉は「探し当てた」という通り、川を渡って丸太を渡ってたどり着く、山奥にある溜まり湯といった趣だそうである。そして、素晴らしいそうだ。

紋別は冬になると流氷が漂着し、流氷船ガリンコ号が観光の目玉だが、この船は夏になるとカレイの釣り船として活躍するという。そして母に、一緒に行かないかと誘われたが、車で不動産経営の愚痴と、女が一人で生きて行くことの大変さの愚痴を聞かされるのが飽き飽きなので、お断りした。しかしHPを見ていると楽しそうなので、一度はチャレンジしたいと思う。


以下、目黒の自然教育園で咲いていたノハナショウブとアサザ
ノハナショウブ


アサザ

アサザ

2011年6月8日水曜日

6月の自然教育園

松岡美術館で見たミレイの『聖テレジアの少女時代』という絵画に出てくる少女について考えていた。天真爛漫な弟に比べて、まだ同じ子供なのに、緊張したような不安を抱えたような表情をして歩く少女だった。子供が厳しい現実に気づいたときの顔はこういうものなのだろうと思うとこちらの胸まで痛くなってくる。そんなことを思いながらが、すぐそばの自然教育園に入った。

雨上がりだったけれども中学生の団体が数名ずつ方方に散らばって、鳥の鳴き声よりも目立つ話し声を響かせながら自由気侭に園内を歩いていた。とても元気だ。ただ、男子はなぜか礼儀正しく、私が通り過ぎるときに「こんにちは」と挨拶をしていく。女子はそんなことをする気配がないのに、なぜ男子は完璧なまでに挨拶をしていくのか、謎は深まったが理由は最後まで分からなかった。

彼らと同じくらい園内を賑わせていたのは、至る所に咲いているドクダミの花である。ヤマアジサイより下方に咲くドクダミは、小さく清楚に花を咲かせ回廊をつくっていた。アジサイより更に高いところにはドクダミと同じく白色を出すヤマボウシが空に向かっていた。

その後池の近くでは絶滅危惧種であるノハナショウブとアサザを見かけた。ここで多くの中学生とすれ違ったが、彼らはノハナショウブの濃い紫にもアサザの鮮やかな黄色にも関心を示さず、クサガメの方に興味を持っていた。色でいえばよほど目立っている花たちだが、水面上に顔をニョキッと出して何かをアピールするような仕草をするカメの方が彼らの目にはよく入るらしい。

頭上では新緑が無数の重なりを見せ、雲から覗く太陽の光を器用に遮っていた。かと思うと、突然光が降り注ぐエリアがあって、眩しさに気を取られるのだった。

道路を走る車の音が隣をずっと追ってくるのが気になる散策だったけれども、ともあれ束の間の自然を楽しむことができる自然教育園である。

2011年6月7日火曜日

狂王とパンジー

夫は出かける時間がいつもより遅かった。そしてそれとは関係なく、私は徐々に体調を取り戻しながらもなかなか布団から出ることが出来ぬままいた。3メートルくらい離れたところに置いてある座布団にふんぞり返るように寝そべって、そんな不甲斐ない私を朝から直視する我家の猫は、一時間後に私がチラッと視線をやると、やはりまだ私を直視し続け、2時間後にも同じように目が合い、3時間後には身体のダルさも大分抜けてきたので、私はようやく猫の元へと起きていくのであった。すると間もなく猫は部屋を変えて、毛づくろいをしたり、外を眺めたりと自分の時間を過ごし始めた。

いつもより遅くはあっても家を出て仕事へ向かった夫は、私にいつものごとく置き土産を用意していた。それは私が興味を失いがちな政治や経済に関する専門誌でことごとくつまらないのだけれども、仕事柄入手しやすいこともあり、毎週のように読まされるハメになる。

今回置いてあったものは「原子力」についてメイン記事が長々と綴られていた。そこに書かれていることはすでにいろいろな情報源で何度も見聞きしたもので、なんら目新しいものではなく、目にするたびに免疫力が弱っていくように感じるほどゲンナリするものだった。

本震では机の下に隠れて怯えながらも余震では精神が乱れることがなくなった、私には気丈に見える我家の猫は、それでゲンナリする私には無関心のようで、向こうの部屋で寝に入ったようだった。

火力発電だ、火力発電、原発がないと電力を賄えないなんていうのは原発利権で食ってる奴らの脅しに過ぎないと、震災後家の中だけでだろうが声を大にして連呼する夫の言葉に、私個人は電力供給が減ってもなんの問題もないと、夫の言わんとするところは分かるが影響力のない言葉に反応することなく私は過ごしてきた。ややマクロな物の見方をする夫と、夫が置いていく経済誌を嫌々読む、社会への期待などまったく失って社会全体への興味などとうの昔に失せた私とでは、もともと意見など噛み合うわけがないのだった。

クローズアップ現代で火力発電所の再稼働のことをやっていたが、夫が言っていたのはこのことねと、原発よりはどんなものもマシと思いながら30分を過ごした。

するともう猫の晩ご飯の時間である。曇で昨日より寒かったために巻いていたトグロをほどいて猫はゴハンを食べにやって来た。その後猫は私が洗濯物を取り込む機を見計らって今日初めてベランダに出るのだが、網戸を閉じられて自分一人がベランダに取り残されると、心細そうな顔をして網戸の向こうから私のいる部屋の中を見ているのだった。部屋の中に居るときは私の見ている目の前で堂々と網戸を破ってベランダに出ていくのに、戻りたい時には網戸を破ってまで戻ってこないことが不思議である。猫のプライドというのは迎えを待つものなのかも知れない。

すっかり日が暮れた外の世界ではほんのわずかだけれどもアジサイが咲き始めた。そして近くの橋に設けられている花壇には、いつの間にか色とりどりのパンジーが風に花びらをなびかせて物想いにふけっていた。

テレビに映る狂王菅直人の顔はどんどん子供っぽくなり、パンジーの見せる表情とは正反対で、満腹になった我家の猫はまったく関心がないように眠っていた。

2011年6月6日月曜日

エコポイントの恨み

ルバーブをジャムにすべく煮込み始めたところで、焦げ付かないよう30分煮込まなければならないのだからと、これだけ時間があれば並行してできるだろうと思い、去年申請書を出したというのに未だ商品が来ぬエコポイントについて、怒りに燃えながらエコポイント事務局に問い合わせの電話をした。

丁寧な口調で応対してくれる男性に、これこれこういうわけでまだ商品が届かないんですけど、と問い合わせると、本人確認を終えて、交換商品の申請がされてない旨伝えられた。そしてそれは届いているはずのハガキかインターネットでできるという。

そうですかと、交換商品は申請時に記入したはずだぞと怒り覚めやらぬまま、ハガキを探してみた。すると、確かにそこには「家電エコポイント交換申請書」なる部分がついていて、返送できるようになっている。なんだ、これを出してないから待てど暮らせど商品が届かなかったのかと、ハガキは50円切手をはらなければならないので、すぐに申請できるというインターネットで手続きを試みた。そして必要な手続きが完了してポイント交換受付のお​知らせがメールにて届き、大分怒りがおさまったのだった。数カ月後、きちんと商品が届いてくれるか若干の不安を抱えつつも楽しみである。

ルバーブを煮込む30分でそんなことをしていたので、最後にレモンを加えたと同時にレモンの香りに凌駕されたルバーブの香りをすっかり楽しみ損ねてしまい、エコポイントの怒りが収束したかと思ったら、今度はルバーブの香りを楽しみ損ねた悔しさが頭をもたげてくるのだった。

その後出来上がっったジャムを冷蔵庫にて保存しヨーグルトに入れて食べたときには、不思議なくらいにコチコチにかたまっていたけれども、味わいはルバーブそのもので、ようやくルバーブらしさを実感した喜びを得ることができた。

こんなことならもっと早くにエコポイントのことを問い合せておけば良かったとやや後悔してしまったのが、平和な日常に思えた。