これでは青函トンネルではないかと不服に思い始めた頃にはうつらうつらして、暗闇に包まれ居眠りしていた。そしてパッとトンネルを抜け出て明るくなるとハッと起き、どこかと思ったらすでに越後湯沢だった。早稲の稲は緑色を伸ばし、あたり一面美しい田園風景が広がっている。どんどん米所に近づいていく気配がそこには確かにあった。
新幹線「トキ」は新潟に着き、続いて酒田に向かうべく、今度は特急「いなほ」に乗ることに。
いなほはトキに比べるとゆっくり進み、一つ目の停車駅である豊栄では、大型店の後方のアスファルトを歩く首輪をつけたスリムな白黒猫を発見した。猫はボディがほぼ真っ黒で、足のところだけほんの少し白く、そのホワイトソックスの足で、何を狙っているのか、抜き足差し足で前へと忍び寄るのだった。
そんな猫の姿も最後まで見届けることはできなかったけれども、ややもすると水田だけではなく畑も見え始め、農民がほっかぶりをして農作業にいそしむ姿があちらでもこちらでも見られた。どの家の人も外に出てきているのではないかと思うほどの人口密度で、どの人も前かがみの姿勢で歩き、年季の入った働き者の様相を呈していた。
それが特急いなほが加治駅を過ぎる頃にはそれまで遠目で眺めていた山が近づいてはっきりと緑の様子が見えるのだった。そしてその山の麓まで続く田んぼの一枚一枚はこれまでより大きくなり、庄内平野へと続く米作りの威力を見ることとなった。
その後特急は海沿いを走り始めた。それに気づいた山側席に座席を指定していた私はガラ空きの車両の海側席へとうつり、久しぶりに見る日本海の静かな波と沿岸に連なる岩に見入っていた。鶴岡近くまで続くこの海の景色は、太平洋側が津波でさらわれたことを思うととても貴重に思われた。海と山に挟まれた水田地帯は、カカシが時々人目を引くくらいで何の変哲もない景色だけれども、これほどそれ以外に何もないことが、東京で暮らす私にはバカみたいに珍しく思えた。
シロサギが水田に降り立ちなにやら物色している姿が多く見られる果てしない庄内平野を特急いなほは17時半過ぎに酒田に着いた。17時も過ぎると車内はひんやりとし始め、東北に来たことを実感させられるのだった。
いなほを降りて目の前にある改札から酒田駅を出ると、11万人ほどの人口を抱える町としては思いのほか何もなかった。中心街は違うところなのかとも思った。酒田についてあまり下調べしてこなかったことをこの時すでにやや後悔し、一泊にするか二泊にするかでじっくりまわりたいから二泊にしたこともやや後悔するのだった。
ホテルにチェックインしてから晩御飯を食べに外出したが、案の定行き詰ることに。居酒屋は何軒も営業中のところがあるのだが、お酒を飲まない私は、特に一人旅なので入る勇気が湧かない。おいしい海の幸はおあずけである。そして居酒屋以外ではとなると、本当になにもないのである。喫茶店やラーメン屋さんの看板が出てはいるが軒並み店内は暗く、閉店している。駅のお土産やさんでおこわが売られていたのでまだあるかと行ってみると、もう売り切れ。駅の売店のサンドウィッチや弁当も売り切れ。仕方ないので駅前の地図を見て近くのコンビニに行くことに。数百メートル歩いたところにファミマがあり、これではホテルの自販機でオレンジジュースでも買って飲むくらいしか栄養補給の手段がないではないかと途方に暮れる私を救ってくれた。
そしてかわり映えしない米国産豚肉使用のコンビ二とんかつ弁当を米所酒田でむなしく食べ、やたらと居酒屋の看板に焼き鳥とあるから鳥が名物なのかなどと疑問を抱きながら、寂しい一日目となった。明日は本間邸などを見てもう一泊酒田に泊まるのだが、これならとっとと鶴岡に移動してしまったほうが良かったかもしれないと思えてくるのだった。
しかしこれだけ夜になるとどこにも行けないと、早ね早起きの習慣がつくかもしれないとの期待もわいた。
上越新幹線・越後湯沢近く
水田がいっぱい
特急いなほからの車窓
海が見えてきた
海と水田の風景
トンネルへ
山間に入ったところ
鶴岡あたり
向こうの山々が幽玄だった