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2011年10月2日日曜日

虹のある美瑛

昨日に続き今日も雨は降っていた。

車で美瑛に向かうと、ジャガイモやそばの収穫を終えたパッチワークの丘は花が風になびいていた夏の景色とは打って変わって昨日からの雨を含んだ黒い土が剥き出しだった。それでもうねる波のような丘に続く田畑の幾何学的なかたちはそれほど人工的とは思えず、棚田のように人里と一体になっていた。そして、私の目に最も目立っていたひまわり畑は黄色い花が満開で、その近くにかかる虹を一瞬見逃すところだった。

冷たい雨のなかにかかる虹はその珍しさと相まって、ひまわり以外にそれほど目を奪うもののなくなった美瑛の丘に君臨するようにかかっていた。地元の人はいざ知らず、観光客らしき人は車を止めてわざわざ外に出てきたり、そうまでしなくても窓を開けたりしてその虹に見入っていた。

それでも、多くの人が足を止めるこの自然現象も私の足を数分とめるに終わり、私はより地中に根を張るようなどっしり感のある十勝岳へと向かった。

この季節の十勝岳は、望岳台のあたりまでは多くの観光客も足をのばすだが、さらにその上までとなるとこの雪と寒さでは抵抗があるらしく、歩き続けるのは私たちだけだった。旭岳が森林限界を超えても数々の植物が地面を覆っているのとは異なり、十勝岳はまったくの岩山である。寄り添うもののないこの岩だらけの山は、寒さと雪の中ではあまりに登るが心細いようだった。

しかし、一見殺風景な十勝岳は、前方を向いて歩いてみるとほどなくして桜島のように優しい様子をした山であることを発見するようになる。そして、少し休んではまた登り、少し休んではまた登りと、なぜか足を前へと進ませる。ここに来るまでに見たほのかな紅葉と薄茶色っぽい岩の色、そして雪をかぶった山の色は、まるで火山の熱とダイレクトにつながる温かみを帯びているようだった。

母と夫と私の三人は、他に誰もいない登山道を岩に塗られた黄色い印だけを頼りに目標の避難小屋近くまで歩いた。休んでは歩くを繰り返すも、私は体温が低下を始め足の動きも鈍くなってきたことを感じ、私たちはやはり冬将軍の前に避難小屋までたどり着く前に下山を余儀なくされた。そして、下りに方向を変える前に下界を見下ろすと、右側に見える一番高い山が旭岳だと母が言うのだが、すでに周囲は雪煙が白く大気を埋め尽くして向こうの旭岳は眺めなかった。

母は身体が冷える前に下りるのがコツだと、私たちより歩きなれているはずの十勝岳の道を私たちを残してとっとと降りていった。太り気味の夫はウィンドブレーカーを自分の汗でぐっしょり濡らして、私は望岳台に戻る頃にはすっかり手足が震えながらも、みな無事下山できた。

この日十勝岳の頂を望むことは一度も出来なかった。しかし、麓から山につながる景色は下界を見下ろしたときに雲の隙間から漏れ落ちる日光がスポットライトを当てるようにそこだけ街を照らし、まるで絵画のような眺めでとても美しかった。

こうして私も登山の魅力をほんの少しだけれども垣間見るのだった。


美瑛のひまわり畑


虹のかかる美瑛


十勝岳望岳台にはこうして雪があった


頂上の方はさらに雪

下界を見下ろした時の風景

一目散に下山するピンク色の服を着た母

鬱蒼とした曇り空

雲の切れ目がはっきりわかる

避難小屋の手前あたりはこうして大分雪が積もっていた