旭岳に向かう途中にある湧水の流れる遊歩道。
澄んだ空気は格別だった。
ロープウェーを降りるとこうして雪が積もっていた。
それでも姿見の池目指していざ出発。
満月沼
姿見の池
靄がかかり旭岳は映らず、、、
こうした泥濘の道を歩くこと1時間半くらい。
無事姿見の池をまわって帰ることができた。
木々が程よく色づく頃、すでに旭岳には雪が積もっていた。そして、シマリスがその懐で冬眠にでも入ったかと思うような低木がまるで苔が生えるように地面を覆いつくし、リスがいるはずのその下は雪で覆われてなかなか覗くことができなかった。
そんな低木の花道を歩き続けると、姿見の池までたどり着くのに幾つかの池を通ることになる。私は池が出現するたびに、せっかく来たのだからとポケットからカメラを取り出し池の姿と池に映る旭岳の姿を撮ろうとするのだけれども、手はかじかみうまくシャッターを押せず、せっかく写真を撮ったものの池には靄のかかる上空しか映っていなかった。
寒さの支配する静まりかえった旭岳には夏に来た頃に比べてがっくりと登山客は減っていた。それでもいくらかの観光客がそれぞれに寒さ対策をしてロープウェーを降りると、登山道を歩き始めた。そのなかで姿見の池まで行くものは僅かではあったけれども、そこにたどり着いた人らは必ずといっていいほど記念の鐘を鳴らしていた。
私がその鐘を鳴らそうと弓なりにしばれたロープを引っ張るも、なぜか鐘を鳴らすことができなかった。私はそれを、きっと今しがたロープが凍ったためだと思いあきらめて下山を開始したが、その後団体観光客が歓声とともに鐘を打ち鳴らすのを背後で聞いて、どうしたものかと訝しく思った。
なにかすっきりしないものが胸に残りつつ下山の道を歩き続けると、ロープウェーの駅舎が見える頃にはみぞれが滝のように降り落ちては顔にぶつかり、鳴らすことができなかった鐘への心残りを払拭していくのだった。
東京からの観光客らしく、私は真新しいトレッキングシューズをこの日履いて泥濘のなかを歩いた。今年初めて体験する霙は、このトレッキングシューズを買ったときの喜びとどこか似ていた。