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2011年10月18日火曜日

ラヴェルの音楽に乗って

窓際から、パチパチとポップコーンがフライパンの上で弾けるような音が聞こえてきた。湿度は40度。窓辺では大豆が干してあり、乾燥して茶色くくすんだ大豆のさやが我慢しきれなくなって真ん中の筋のところから裂けてきたのだ。

パチ、パチっと鳴るなかで時にコロコロと大豆がさやの外に飛び出す音を聞いて、晴天続きでよかったと思いながら、私はおもむろに豆の取り出し作業を始めた。東京のこの季節の乾燥を幸運に思ったのはこれが初めてだろう。

爽やかな音は楽しさを装い、それにつられて私はとても気軽に作業に取りかかった。ところが、カラカラに乾いた大豆のさやは狂気のように鋭く、作業を始めて早々に、素手で幾つものさやを取り除くのは困難だと判断することになった。そこで使い捨てのビニール手袋を両手にはめ、右手が疲れると次は左手でというふうに大豆の取り出し作業を進めていった。

背後ではラヴェルのバレエ音楽が流れ、ふと気づくと、さやを割る音が音楽の拍子に合い、それが幾度となく続くと、まるでオーケストラに参加しているような気分になってくる。それでも、オーケストレーションへのこだわりの強いラヴェルは私の出す音など決して認めるはずがないだろうと思いながらも、やはりさやを割る音が拍子に合うとどこか楽しいのだった。

窓の外からは乾燥した秋の風が流れてきて枝豆を乾かし、私の肌や粘膜も乾燥させる。私は豆を乾かすために一方で窓を開けながらも、その数メートル離れた他方では加湿器をつけるという矛盾を抱えていた。そしてそんなことをしながらも、どうにかこの季節を楽しんでいるようだった。

初めに枝豆を窓際に並べた時は、我家の猫は初めてのものを警戒してかそこに近づこうともしなかったのが、一週間ほどたった今日ではとうとう枝豆の上にどっかり寝転ぶ始末である。いくら毛が生えているとはいえ、狂気のように鋭くなった枝豆のさやが痛くはないのかと心配したが、ややもすると猫はその場を離れたので、やはり寝心地はよくなかったようだ。

そんなふうに猫が枝豆に慣れ、本来はここは自分の場所であることを誇示するようになる頃、私は半分ほどの枝豆をさやから取り除き、この後処理が必要な枝豆の量がぐっと減った。おかげで窓際を占領していた枝豆の上を股がなくても窓の外に出られるようになった。

私は天候の変化など、ひとつひとつの違いを巧みに利用しながらのこの営みが、ラヴェルのオーケストレーションのように考えぬかれたもののように思え、いたく感心していた。そして、去年よりも気候をうまく利用できるようになったとの実感を得ながら、枝豆がなくなったところに座ってじっと窓の外を眺める猫をベランダへと出してあげるのだった。