ページ

2010年11月26日金曜日

紅葉の日

陽光刺すも、ほんのり光を感じるだけで決して暖かくはない晩秋の早朝のベランダに立つと、日が暮れてからどれだけこの時が始まるのを待ちわびて、その習慣が始まってから期待が裏切られることなくずっと満足し続けられることに底知れぬ感動が湧いてくる。それが薬の効果のように曖昧でプラセボのようだったとしても、ずっと以前の昔から変わらない日の出と日の入を、その光が届かないところ以外の地球上のすべてが経験する当たり前のこのリズムを、自分もこうして享受しかつ生きる道しるべとしているらしいことがありがたくてならない。

太陽が真上に上る少し前に散歩に出ると、数日前より多い枯葉の上をシャッシャッと歩くことになり、足元のクッションが増すに連れて頭上から注ぐ光が強く多くなる。そしてそれは随分よくできたサイクルのように思える。風が吹くと雨が降るような音がして、それと同時にパラパラ舞い落ちてくる葉があり、その葉を帰り道にまた踏みしめて歩くことになるのかと思いながらちょっと別の方に向かってみると、もう土と一体化していく葉っぱたちがある。きっとずっと以前に落ちた葉で、次のサイクルに入ったのだろう。いずれにしろ足元を柔らかく保ってくれて、時に足を奪われ転ばされてしまうのだけれども、触っても決して手を傷つけることのないその葉の重なりは、転んでもいいクッションになってくれる。

すべての葉が落ちて土と一体になると、鳩が飛び立つときに羽がつくる風で落ち葉が舞うこともなく、風が吹いても音をならす葉がなくて寂しい気がする。だが、その分遮られることなく降り注ぐ陽光を凍てつく空気の中で一身に受けられるのだから、よくよくうまく出来ているものだと思えてならない。
(今年の紅葉より~10月の大雪山、11月の宮島、都内各所~)