朝のニュースで、今年は寒暖差が大きかったために紅葉が一段ときれいだとの内容を聞いた。北海道のある町で氷点下20度との観測が出たことを知ると、幼い頃自分が何度も経験したその世界がどのようなものだったかを思い出し、怖いもの見たさで体験したくなるように、例年よりきれいな紅葉とはどのようなものかを体験したくなった。そこで遅い朝食を取ると、午前中指定の宅配便を放ったらかして、比較的近くて落葉樹の多い新宿御苑へ紅葉狩りに出かけることにした。
秋晴れの陽気に包まれる歩道をコツコツコツコツと足音が近づいてきては追い抜いていく。若い女性たちはこれから仕事に向かうようだ。シャシャッシャシャッと買い物袋がすれる音に合わせたもう少しゆっくりした足音は、朝一番で買い物に出て帰る途中の老人だろう。老人はなにより朝が早い。そんな朝の活力のような数々の足音に紛れて十数分の道のりを終えると、ラッシュを過ぎた時間とはいえ緊張感の走る駅に着く。
階段、改札、人混みのすべてが荒波のその構内は、たかだか数十メートルのスペースなのにいつも手強い。電車の警笛の音と自分の前を過ぎていくときにぶつけてくる突風のような風ほど心臓に悪いものはない。そして見知らぬ人の存在は奇襲攻撃のようだ。
幾多の難関を無事通過して電車に乗り込むと、眩しかった陽光が車内にも差し込むことに神経質になったけれども、あるところのブラインドが下りていたためにそこだけ光が減り、ようやく安心して腰を下ろすことができた。静かな電車のなかは話している人がまばらの普段の姿で、座席部分がいっぱいのために隣の人とぶつかるのもいつも通りだ。そしてガタンゴトンという電車の走る音だけが、終着駅の新宿までただただ続いた。
紅葉狩りの目的を果たすべく新宿御苑に入ると、朝方まで降っていた雨のせいで木々の幹は湿り気を帯び、足下を踊るはずの枯れ葉は活動を抑えられていた。それでも私同様に紅葉目当ての人々は多数御苑を訪れて、それぞれに楽しんでいるようだった。
姿がきれいねと話す人たちの向こうには姿の良いモミジの木があるのだし、大勢がカメラを構える向こうには必ず庭園ならではの絶景がある。中高年独特の枯れた声をした指導者らしき男性がいろいろ指図する先には、それに従う同じく中高年独特のしわがれ声の男女たちがいて、楽しそうに嬉しそうに、紅葉と同じくらいに写真撮影を楽しんでいる。恐らく定年後の富裕層と言われる年金生活者だろうが、その話から三脚つきの高いカメラを一式そろえていることは明らかだ。そしてそんなグループの傍らからは絵の具のにおいがすることが多いのも紅葉する園内の風景としては当たり前のようである。世間話をしながら絵描きに励む声からは、やはり年齢を経てきた独特のその声質から、彼らも中高年とわかる。園内は中高年全盛期といえるようだ。
こうした木々を取り囲むさまざまな姿も紅葉狩りを楽しむ一つの要素なのだろうとつくづく思いながら日本庭園を歩いていると、声をひそめようと努力しつつもついつい出てしまった普段より1オクターブ高いであろう感嘆の声が聞こえてくる。そういう時はだいたい猫がいるものだ。そして実際猫がいた。大きさと肌触りが微妙に違う5匹の猫たちが、驚くほど大人しく人を警戒しない様子で日向ぼっこをしている。入れ替わり立ち代わりシャッターの音がするのを聞くと、紅葉に負けない人気者らしい。
「あの赤きれい」という声や、「鮮やかな黄色ね」という声に合わせて赤く色づくモミジの葉や黄色く色づくイチョウの葉を手に取ると、その手の感触と人々の声の様子から私の赤や黄色という色へのイメージが膨らんでいくのがわかる。それはゴッホの絵の中に出てくる黄色やゴーギャンの絵に出てくる赤のようなものなのかも知れない、きっとそうに違いないという思いを胸に、紅葉の素晴らしさを少しは体感した気持ちで新宿御苑を後にした。