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2011年3月13日日曜日

2月に見た東北太平洋側の風景

先月旭川空港に行く途中で撮った東北太平洋側の様子です。ずっと向こうの海岸線まで見渡せて地形もはっきりと確認でき、山側には雪があるのに海側には積もっていませんでした。海と空の境界はわからないくらいに同じ色で、とても幻想的でした。ようやく連絡がとれた山形の友人の話では、この日本海側が地震のために壊滅状態だそうです。

2011年3月12日土曜日

東北関東大震災後二日目

大地震があった翌日買出しに外に出ると、スーパー途中の野球場ではカーンと金属バットでボールをたたく音が響き、そのたびに子供たちが湧き上がっていた。そこには大人が付き添い、聞き取れないようながなり声で指示や声援らしきものを出していた。

その数百メートル先にあるスーパーでは、いつもより殺気立った客たちが、カートがぶつかる勢いで互いに食料を探し求めていた。この時点で水は一本もなかった。レジではカップラーメンを大量に買い求める人が前に並んでいた。

近所をいつも以上に救急車がサイレンを鳴らして走るのは、地震のショックで老人などがパニックに陥ったからなのだろうか。

近所にいる外飼いの猫は、地震の翌日もこれまでと同じ艶やかな顔を見せてくれた。自身の家の境界線のぎりぎり中に身を置き、すぐそばを車が通っても塀があって決してそこより中には侵入してこないとわかっているようで、怯えて逃げる様子もなく、凛とした姿だった。

一方で、石巻市の先にある田代島という猫島の猫たちはどうなったのだろうと思った。

妙にチュンチュンチュンチュン何かの鳴き声が聞こえてくると思ったら、ちょっと遠くで小鳥が大量の群れを成して旋回するように飛んでいた。鳥の強みだ。

2011年3月11日金曜日

東北関東大震災・初胃カメラの日に

午前中に胃カメラ検査を受けて、初胃カメラで慣れない私はむせてむせて涙を流しながらの10分間だったが、それでも結局は無事胃の状態を確認でき検査を終えた。

私の次の番のおじいちゃんは、一度目の胃カメラが相当に辛かったらしく、二度目となるらしい今回は鎮静剤を願いでて、そのための点滴をしていた。なかなか繊細なおじいちゃんだ。しかも嫌がるおじいちゃんが検査を逃げ出さないようお目付け役らしきおばあちゃんが隣に無言で座っていた。そしておじいちゃんが検査室に入ると、役目が終わったようでそそくさと帰っていった。

家に帰って猫におかえりの挨拶をしていると、突如激しい揺れが起こった。猫はこういう時に当たり前のように正しい判断をするものだとつくづく思うのだが、私の手をすり抜けて天井のある机や椅子の下にちゃんと身を隠す。本能の賢さはすごいと、こういうときにいつも感心させられる。

この時間も胃カメラ検査は行われているはずなので、検査の最中に地震にあった人は大変だったと思う。気弱なおじいちゃんでなければいいのだが。

その後、都内では電車が止まりバスが止まり道路には人が溢れでて、夫はその中を20㌔近く歩いて途中でなんとか復旧した電車に乗り、夜中近くによたよたで帰ってきた。

夫の話によると◯Xビルでは、この会社の防災責任者っぽい人が、ビル敷地内の芝生内に非難してきた人をこの期に及んで、入らないでください~、と他人事のように追いだそうとして、こんな時にふざけんじゃねーとひんしゅくの声を浴びたそうだ。会社に魂を売った人なのかもしれない。

被災した方々はもちろんだが、原発も気になる。

2011年3月10日木曜日

いつもの公園

部屋のフローリングや歩道を歩く感触とはまるで違う足元が気になりふとしゃがんでみると、小さな小さな雑草が土から顔を出していた。そのさまは、高層ビルから都会の雑踏を眺めたようなものでもあり、紛争地域の写真のワンシーンのようでもあった。

向こうの木からか、折れて飛んできたらしい枝が無造作に何本も転がっている。すっかり水分を失い干からびて色あせた葉が幾種類も重なり合い、こちらも無造作に散っている。でも、それらが土に帰ろうとしている最中で、その土から生えてくるとても小さな草や花が元気な様子を見せていて、先日出くわしたフェルメールの『地理学者』に出てくる地球儀を何周もしているような感覚に襲われた。

離れたところにある木のテーブルとベンチでは、10歳くらいの女の子二人がキビキビとした口調で遊んでいる。一人がテーブルの上にのって校長先生の真似をして挨拶しているのに対し、もう一人が校長はそうではないとダメ出しをしているのだが、彼女たちの年頃の世界では校長先生がとても大きな存在のようで、寒さも忘れてずっと真似している。あの行動の背景には憧れがひそんでいるのだろうか。もしかしたら、あの子たちは教師を目指すかも知れない。

とはいうものの、アフガニスタンのダンシング・ボーイはそういう理由で続いているのではないだろうことがやりきれない。

もう少し離れたところには干からびた葉がもっと散乱しているのだけれども、そのなかで去年も遭遇した、春の幸せの訪れを知らせるヒメオドリコソウやオオイヌノフグリが一面に広がっていて、旧友に再会したようなインパクトをもたらしてくれた。それは久しぶりの感動だった。そして随分強いんだなあと関心した。

『フェルメール 地理学者とオランダ・フランドル絵画展』

文化村で開催中の『フェルメール 地理学者とオランダ・フランドル絵画展』に行ってきた。ここ数年の文化村の展示のなかでも随分と混雑した会場だと思ったが、これがフェルメールの人気なのだろうか。

歴史画と寓意画から始まり肖像画、風俗画、室内画と展開していく今回の展示だけれども、私は風景画が一番好きだった。この時代のオランダの静物画は金持ちたちが威信をかけて家に飾ったそうだが、あの輝きに満ちた剥き出しのメロンやぶどうを見ると、その後の時代の画家たちが描いた静物画に比べ(たとえばゴッホのじゃがいもとか)、確かに大金を誇示してひけらかすというきらびやかな要素が含まれていると思える。

一番の見ものであるはずのフェルメール『地理学者』は、最初見たときは何がそんなにすごいのかと思ったが、壁に貼ってある解説を読むと、この時代にスペインの支配から脱っして海の覇権を握り貿易大国となったオランダにとって必須の地理学をテーマにしたのは、後の時代にもこうして脚光を浴びるには良い選択だったとわかる。この絵画には、何気なくではあるがいたるところに時代の要素が盛り込まれている。

すべて見てまわるのに混んでいることもあって2時間弱かかったが、なかなか面白い展示だった。

2011年3月9日水曜日

渋谷神南から円山町界隈散策

渋谷駅を東口に出て高架下を渡ると宮下公園があり、その手前には昔ながらの古い長屋が残っている。線路沿いにあるその長屋はなんとか横町とか看板が出ていたと思うが、どの店も夜間営業の飲食店などを営んでいるようで、昼間は一軒の店も開いていなかった。京都の町屋顔負けのお隣同士で支えあっているこの建築は、ちょっとの地震でも崩れるのではないかと見ていてハラハラするが、肩を寄せ合う雰囲気は格別の味があり、特にこうしてせわしなさのない静かな時間帯だと、昔懐かしい温かみを感じる。

長屋が終わったところで高架下を西に戻ると神南という町に出て電力館が見える。神南というのは明治神宮の南に位置することに由来するらしいが、一丁目は電力館やマルイなどがある商業地となっている。ここは何度も通ったことがあるのでもう少し歩いたところを再び高架下を東へ向かうとまだ宮下公園が続いている。線路沿いに広がる縦長のこの公園には、昼も夜もいろいろな人生ドラマがあるのだろうと思わせるような場末感がある。それは長屋のあるところから変わらぬこの一体の雰囲気だ。

宮下公園の先端の手前でトンネルをくぐって西側へ行くと神南二丁目となり、NHK放送センター
やNHKホールがある。他にも渋谷公会堂や区役所、税務署、保健所と公共施設が集まっていて、渋谷といっても若者の街っぽさとは程遠い。因みに二丁目は2010年7月の段階では人口がゼロだったらしい。霞ヶ関ほど人も建物も均一化された金太郎飴のような雰囲気ではないが、若者からも生活感からも離れたわりと無表情な一体だ。
 
ところがそこから数百メートル坂道を下って宇田川町まで来ると若者がどっと増える。一気に増えて、交差点では赤信号とともに人がどんどん溜まってくる。この辺りに来るといわゆる渋谷らしい光景が見える。私はこの後109を起点にぐるっとUの字を描くように文化村へと向かい、『フェルメール』展を見に行った。

文化村を出た後は道玄坂と円山町が接っする道を南下した。明治の頃から花街として賑わっていた円山町だけあって、昼間は通る人も少なく今もその名残は十分ある。ところがその一体を過ぎて渋谷駅が近づくと、普通の繁華街になって再び人が多くなる。

せいぜい1キロ四方ほどのエリアでこれほどにいろいろな顔を持つ地区が混在しているのは渋谷ならではの特徴だと思う。人間のあらゆる面が凝縮した街という感想だ。

2011年3月8日火曜日

後楽園から御茶ノ水散策

(先日の続き)
小石川後楽園につく頃には大分雨は弱まったもののまだまだ降り続き、石段続きのこの庭園の受付の人に、今日は滑りやすいので足下に注意してくださいと言われた。

私は要注意の石畳と石段の多いこの庭園を、通天橋の方からまわって梅林に行こうと思った。滑って転んで池にでも落ちないよう細心の注意を払って進むのだけれども、六義園では池の中で微動だにしなかったカモたちが、後楽園では、途中にある西大湖のカモがみな陸にいる不思議さについつい目が行ってしまって足元がおろそかになってしまう。カモたちは芝のなかにご飯になるものを見つけているようにも見えるのだが、本当のところはわからなく、寒くてそれ以上観察しようとも思えなかった。

お目当ての梅林は、六義園に比べて規模が圧倒的で見事ではあるが、雨に濡れてやはりどこかもの寂しかった。花盛りなのに雨と寒さで客がいないことも理由の一つかもしれない。後楽園では積もった雪が大分解け始め、既に散った梅の花びらが雪の下から黒い地面とともに顔を出して淡い美しさを見せていた。それはピンクの枝垂れ梅のところでひときわ目立つ美しさだった。その隣の松の木では、シロサギが大きな羽を広げて地上から優雅に羽ばたき木のてっぺんにとまり、再び羽を畳むところだった。そしてここでもカモたちは池の中ではなく陸上にいた。

後楽園には木曽路を見立てた道があるが、寒さのために私の歩みがいつもより相当に速まっていたようで、暗くて寒い木曽路から池の見晴らせる明るい地点につくまでに随分あっという間だと感じた。

どこを歩いても寒かった後楽園を後に、日中会館の横を通り抜けて外堀通りをお茶の水まで歩くことにした。しばらくすると水道橋駅が見えてすぐそばには東京ドームホテルがある。このあたりにはトヨタの東京支社のビルもある。それが白山通りを渡ると突如学校だらけになり、どこか味のある校舎の工芸高校の隣には昭和一高、手前に元町公園、その2ブロック先には順天堂大学と順天堂医院、東京医科歯科大学と附属病院という大学病院二つが真隣に並んでいる。

東京医科歯科大から御茶ノ水の駅はすぐで、私はそのまま総武線に乗って帰途に着いた。

因みに順天堂大は、婦人科の腹腔鏡手術では日本一を誇っているらしい。