部屋のフローリングや歩道を歩く感触とはまるで違う足元が気になりふとしゃがんでみると、小さな小さな雑草が土から顔を出していた。そのさまは、高層ビルから都会の雑踏を眺めたようなものでもあり、紛争地域の写真のワンシーンのようでもあった。
向こうの木からか、折れて飛んできたらしい枝が無造作に何本も転がっている。すっかり水分を失い干からびて色あせた葉が幾種類も重なり合い、こちらも無造作に散っている。でも、それらが土に帰ろうとしている最中で、その土から生えてくるとても小さな草や花が元気な様子を見せていて、先日出くわしたフェルメールの『地理学者』に出てくる地球儀を何周もしているような感覚に襲われた。
離れたところにある木のテーブルとベンチでは、10歳くらいの女の子二人がキビキビとした口調で遊んでいる。一人がテーブルの上にのって校長先生の真似をして挨拶しているのに対し、もう一人が校長はそうではないとダメ出しをしているのだが、彼女たちの年頃の世界では校長先生がとても大きな存在のようで、寒さも忘れてずっと真似している。あの行動の背景には憧れがひそんでいるのだろうか。もしかしたら、あの子たちは教師を目指すかも知れない。
とはいうものの、アフガニスタンのダンシング・ボーイはそういう理由で続いているのではないだろうことがやりきれない。
もう少し離れたところには干からびた葉がもっと散乱しているのだけれども、そのなかで去年も遭遇した、春の幸せの訪れを知らせるヒメオドリコソウやオオイヌノフグリが一面に広がっていて、旧友に再会したようなインパクトをもたらしてくれた。それは久しぶりの感動だった。そして随分強いんだなあと関心した。