フレンチレストランのソムリエをしている奥さんは、私たちが引っ越してしまったのか、健康を害したのかなどといろいろ心配してくれていたようだが、実はそれは我々も同じなのだった。
大震災後巷の消費はすっかり落ち込み、そこに放射性物質がからんで人々の外食ムードは一気に萎れた。私は都内を歩いていても以前行ったことのある店が閉店したのをいくつか見かけた。そしてそのたびに、わりと家の近くにある馴染みのこのフレンチレストランについて思うのだった。食材はきちんと調達できているだろうか、客足は私たち同様遠のいているのではないか、と。
それがお店に行ってみると、18席ほどのテーブルは満席で、玄関からチューボーを横切る時には恰幅のよいコックの亭主は相変わらず肉付きがよく、その奥のテーブル席を切り盛りするソムリエの奥さんは以前同様ハツラツとしていた。
私たちはこの様子にほっと一安心し、メインが肉魚両方つくコース料理を注文した。
カボチャのスープに始まりハーブティで終わるコースは、外食の際に食材の産地はどこかと何かと気にしてしまう私の重い気がかりを終始忘れさせてくれるおいしさで、味の良さでこんなにも心理が左右されることに私は驚きを隠せなかった。ストレスがかかっている時こそこういう贅沢は必要なのかも知れない。
私がそんなことを実感していると、夫はそれを気付いたのかもっと頻繁に来たほうがいいと言う。私も賛成だった。そしてとても優秀な夫婦の仕事ぶりに頭が下がる思いだった。
来年の私の誕生日には再びこの店に来るだろうと思いながら、私たちはスープに続いて豚肉のパテ、メインの金目鯛とホタテ、そして榛名鶏と食べ進めていった。彩と味わいを添えるミョウガやコーンがまた格別に美味しかったことを思い出すが、デザートを食べながら飲むハーブティのおいしさは温泉から出た後のようなほっこり感で、ストレスがかかってもより強いもので感覚を刺激すれば少なくともいっときはストレスから開放される効果があることをまざまざと実感した。
そしてその効果は数日経っても続き、それでも外食はしたくないとの私の体内に出来上がった抗体は戦意を見せてどこかの飲食店の店裏に茨城産のトマトのダンボールがゴロンと置かれているだけでこの抗体は戦おうとするのだけれども、それでも時にはおいしいものを楽しむ精神的メリットを学習し、おいしいものを食べているときは食材への不安は気にしないという回路が脳の中に出来上がっていることも実感するのだった。
これが生きる知恵だろうかと思いながら、ハーブティーを手に窓の向こうのフレンチレストランの方を眺めた。