大工場のような東大付属病院は、東大キャンパスの東隣にあった。
一般外来棟の外観にはよくできた彫刻が壁の上のほうにいくつも並ぶように彫られ、そのユニークな彫り物の細かさに感心しながらも、私はこれが病院経営の何に必要なのかと不思議になった。しかし、外来棟の前にあるバス停にバスが到着してそこから数十人もの患者やその家族らが降りてくるのを見たとき、その考えが変わった。
東大病院の権威と威信を象徴するように彫られた、おそらくは何がしかのメッセージにもなっているであろうこれらの彫刻を、藁をもすがる気持ちでやってきた患者が見たならば、そのご立派ぶりに反感をもつ人が一方ではいるかもしれない。しかし他方では、どこか権威に裏づけされたかのような安心感を患者が抱くというプラセボ効果が働くかもしれないのである。
しかし、それらの彫刻は仏像のように手を合わせて健康回復を願いたくなる造形ではなく、どちらかというと、太陽に向かって存在を誇示するように壁の一部を占拠していた。そしてそこから出てくる彫刻からの思いは、隣に建つ研究棟の思惑のように見えるのだった。
そんな東大付属病院のバス停のある通りを渡って東大キャンパスに戻ると、構内の芝生には猫がいて、その芝生の周囲を大型犬を連れた老女が散歩していた。芝生には他にも学生や親子連れが来ていて、昼のひと時をくつろいで過ごしていた。
芝生の近くには下り坂の土の道があり、それは三四郎池につながっていた。池のほとりには人がまばらで、若い学生たちは芝生以上の自然を求めていないことを物語っていた。それでも近所の人らしき女性がコイにパンくずをあげたり、男子学生が一人カモと戯れていた。
この三四郎池から赤門までは目と鼻の先である。
私は東大付属病院を出てから数十分ほどの道草を終えて往来の激しいこの赤門を出た。すると本郷通りを目の当たりにするのだけれども、その時には東大病院のあの大工場の光景はすっかり別世界となっていた。