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2011年7月11日月曜日

品川より浜松町

羽田空港に向かうには、品川から京急に乗る方が近いし僅かだが運賃も安いのだけれども、浜松町からモノレールに乗る方が眺めが良いので、私は山手線の品川駅を素通りして新宿からここまで来ると大分乗客が減ってくる浜松町で電車を降りた。


空港行きモノレールに乗り換えると、ここでも乗客はそれほど多くなく、ビルでいうと4階くらいの高さに思えるところを、モノレールは音もなくスーッと走り始めた。そして最初に見えたのが、芝離宮恩賜庭園である。

都内の大名庭園を、こうして遠めからでも眺めるのは何ヶ月ぶりだろう。東日本大震災以降すっかり都心へ来ることが減り、特に放射性物質が集まりやすいとされる公園などには滅多に来る機会がなかった。すでに30度をゆうに超えているはずの庭園内には、それでも年配の方だと思うが、人影がまばらに見られ、夏の訪れを楽しんでいるようだった。

かなりな年配の我が家の猫は、この夏エアコンが大抵の場合28度に設定された家の中で過ごしている。その過ごし方とは、三つ折に畳んだ敷布団を寝床にして、私のことを観察する時も窓の外を眺める時も、一日のほとんどをその上で過ごすというものだった。そんな我が家の猫が、私が北海道に旅立つ日の朝方5時過ぎ頃、どうしたものか私が寝ている頭の真横でスフィンクス座りで寝ているのだった。私はそれに気づいた瞬間、高齢の猫が死を間際にお別れの挨拶に来たのかと心のどこかで覚悟したものがあった。しかし、その後猫は水を飲みに行ったり、少しずつごはんを食べたりして、三つ折敷布団ではなく今度はテーブルのところに敷かれた座布団に座り始めた。そしてしばらくして、ごはんを食べた口から吐き出すのだった。

吐き出して以降は胃がすっきりしたらしく、いつもの三つ折敷布団で優雅に横になり、身体を弛緩させて寝続けていた。ここまでの1時間くらい、私はずっと猫が無事であるかどうかを見ていたので、北国への旅立ちの日としてはすっかり寝不足になってしまった。しかし、猫が無事であることがわかっての旅立ちは寝不足をおして快適なものがある。

家から駅までも、駅のホームもすべてが灼熱で、おまけに電車内までもが節電のためにエアコンを抑えているためにムッとする空気で、家を一歩出るとどこにいても頭が朦朧とするが、これだけ節電で酷い目に遭うと、北海道行きもこれまでより以上に期待の高まるものとなる。

いざ、数日間猫の世話を夫に託して、北国へ。

ありがた迷惑なほどの晴天のなか飛行機が砂漠のような関東平野を過ぎると、水田地帯が広がり始め、今の季節は緑の稲穂がある程度伸びて、上空からの眺めは一面美しい芝生のようだった。この水田の広がりを見ると、日本が稲作国家であることを十分実感でき、先ほどまで続いていた大都市が嘘のようである。

さらにややもすると稲の緑よりもう少し濃い緑の山並みの上を飛行機は通り、奥のほうに静かに活動する猪苗代湖を望むようになる。細切れだった雲は徐々に厚みを増し、地上に大きな影を落としているが、そんな雲が、時に先日徹子の部屋に出ていたレディガガの玉ねぎ頭のようにもくもくと盛り上がり、東北地方の山と水田の落ち着きの中では最も活発に見えるのだった。熱帯夜のコンクリートジャングルから水田ジャングルに来た気分は悪くないものである。

それにしても、眼下の一面緑の山々を見ていると、高校を卒業して大学に入学すべく東京に来たときに高層ビル群を見て、数年後にはそんな思いはそっくり消えてしまうことになるとはいえ、こんな立派なビルで働きたいものだとの野心のような思いを抱いたのが、今ではこんな森の中でどれだけ生きられるだろうと考えるようになっているのだから時間の経過とは面白い。そんなことを考えているうちにも、飛行機は猪苗代湖同様静かな田沢湖と十和田湖を轟音を響かせ通過していった。次には下北半島が右手奥に広がり、津軽海峡、そしてまもなく北海道である。
 
新千歳空港からはJRで札幌に行くのだが、この路線の車窓は私にとってさほど面白いわけではない。目立っているのは知床や大雪山のような大自然ではなく、どこの地方都市にも出現するイオンや線路沿いの家庭菜園などで、大都市札幌に向けて生活感溢れる35分ほどを過ごすことになる。そこでは東北から北海道に渡った途端に雲の様子が変わり、地上が見えないほどに薄く伸ばしたような雲が膜をつくっている自然の光景が、ずっと遠い出来事のようだった。
 
ところが札幌駅の改札を抜けて外に出ると、先ほど広がっていた雲がもたらす雨が上空からパラパラ降ってきた。外気は、猛暑の東京から来た私にとっては、東北までの晴天と打って変わって北国の冷たさだった。
 
昼下がりの札幌の通りは半袖では寒いくらいで、重い荷物を背負って歩くにはちょうどよかった。私は札幌駅から大通り・すすきの方面に向かって、宿泊予定のホテル目指して歩くことにした。
 
赤レンガ庁舎も時計台も見えない通りを直進すること15分くらい。ビルの一階に広々とスペースをとった明るい雰囲気のカフェを見つけた。時計を見ると16時である。昼ごはんを11時頃食べてお腹の減った私はホテルにチェックインする前にここで夕食を済まそうと、入店を決意した。
 
入ってみると、小樽に行ったら必ず行くといいと夫が言っていた『あまとう』や、町村農場、姉が送ってくれたことのある『SNAFFLS』などのスウィ-ツが、ガラス張りのケースにたくさん並んでいて、ケーキも食べようとの意欲を私にもたらすのだった。私は結局『きのとや』というお店のピザとケーキとサラダとコーヒーのセットを注文したのだが、ここの小ぶりのピザがとても美味しいのである。都内で極力外食を控えている私の身体には、この香ばしさは久しくなかったもので、かつ、産地を気にせず食べられることが何よりありがたかった。そして都内の現実の酷さを思い返したが、何より猫が元気でいてほしかった。
 
カフェの冷房は東京では味わえない涼しさ、いや、寒さで、この外気に冷房など必要ないだろうにとすっかり節電モードの脳内で思いながら、満腹になったところでホテルへと向かった。