標茶の雨は夏とはいえ冷たい。
列車が来るまで2時間半あるので、二階建てより高い建物などそうそう見あたらない道東の小さな町標茶の駅前周辺に暖をとれる適当なカフェがあるなどとの期待はしなかったが、なにかないかと駅前の地図を見てみた。すると、一つだけある『コーヒーたいむ』というカフェらしき名前のお店があった。
しぼんだ期待が一気に膨らみ早速お店の前に行ってみると、営業は11時からとある。これでは開店まで一時間ほどこの雨のなか待つことになってたまったものではない。確かに冷たい雨の中を歩いていると、傘ではガードしきれない雨が腕や手に降り注いで東京ですっかりふやけた身体がシャキッとするように感じるのだが、いかんせん寒い。本当に寒い。そして寒さのために恐らく風邪をひいたようだ。
仕方なく駅に戻ると、駅待合室は外からの風が改札から入ってきて変わらず空気が冷たい。そこで駅舎の隣のバス待合所で過ごすことにした。
待合所には先客がいて、おばあちゃん二人がテレビを見ながら田舎の人独特の気さくさな様子でおしゃべりしていた。その気さくさは、他者が部屋に入っても気にしないで同じトーンで話続けるというものなのだけれども、不思議と無遠慮とは思わないし不愉快には感じられない。それどころか随分アットホームで、その和やかさが私にまで伝播されてくるほどの強力さである。
その温かみに後押しされてか、ここの待合所は暖房もついてないのになぜか暖かい。なぜだろう、もしかするとこのおばちゃんたちの体温が部屋まで暖かくしているのではないだろうかと推測し、私は荷物を椅子におき、電池の切れかかった携帯をここで充電できなかったら大変なことになると思い、本当はいけないのはわかっているのだが近くのコンセントで充電させてもらった。
そんなことをしていると、おばあちゃんらはバスが来たわけでもないのに出て行った。どうやらただ暇をつぶしていただけだったのかもしれないが、乗客でもないのにそういう待合所の利用の仕方があるのがこういう町のおおらかさなのだろうと、10時も過ぎているのになぜここの売店は閉ざされたままなのかわからない覆いの掛けられたみやげ物を眺めた。
すると、さきほどのおばあちゃんよりもっと年配のおばあちゃんが一人入ってきた。こんにちはと私が軽く挨拶すると、田舎の人らしく気さくに話しかけてきてくれて、このおばあちゃんが2時間ほどここでバスを待つことを知ることになった。
私たちが二人とも長時間待ちであることがわかり、さきほどのおばちゃん二人が帰るときに消していったテレビを、さすがに1時間も2時間も話し続けるのは互いに疲れるだろうと、番組を流すことをおばあちゃんにすすめた。するとおばあちゃんはテレビが新しくなってリモコンが使えないという。
私は電源ボタンを押して無難にNHKにチャンネルを合わせ、おばあちゃんが楽しめそうな番組がやってることを期待した。すると、若い人が大自然の中で結婚式を挙げている番組が流れていて、次にバス待合所に入ってきたおばちゃんと二人で仲良く見始めた。そして私にも、ほれ、見てみなよ、と声をかけてくれたけれども、私はテレビの結婚式より、この東京にはなかなかいない気さくなタイプのおばあちゃんの方がよほど新鮮だった。
4つほどある横長の大きな木の椅子が並んでいる中で、途中から私がテレビに夢中のおばあちゃん二人に背を向けてパソコンをカチャカチャやっていると、いつの間にかおばあちゃんとおばちゃんはテレビのまん前に移動し画面に見入っていた。ここまで楽しんでくれて、テレビをつけてあげたことが私はやや誇らしく思えた。
おばあちゃんと何を話したか忘れてしまったほどに他愛のない話だったが、待ち時間が短く思える良さがあり、2時間半の待ち時間も苦痛ではなかった。
駅員さんは、あまりの大雨で時間通りに列車が来るかわからないですよと言っていたが、自然に左右されるのが当たり前のこうした旅は、このゆったりした風土と静かな町並みには似つかわしいものだった。
閉ざされ続けていた売店はというと、大型観光バスの到来と共に店員さんがやってきて開店に切り替わった。そうか、この時を待っていたのかと、田舎の効率性に関心し、私は大勢の観光客が一斉にお手洗いに流れ込んで行く音を聞いていた。そのうちの何名かは売店で買い物をしていったようである。
観光バスが再び走り去っていくと同時に、私の列車の時間も迫り、寒い寒い駅舎へと私は移動した。とても温かい標茶のおばあちゃんは、外の寒さを和らげてくれたと思う。これがこういう町に立ち寄るなによりもの収穫に思えた。
駅待合室ではさきほど親切に札幌までの工程を教えてくれた駅員さんが、待ち構えていましたとばかりに大雨で線路が浸水していて列車の発車の見通しがたたない旨を知らせてくれた。乗客が少ないのですべて顔を覚えているらしい。どれくらい遅れるか聞くと、およそ一時間、そしてさらに遅れる可能性もあるとのこと。その時間でお昼でも食べてくると良いですよと言われ、腹は減っていないがここにいても寒いからと、もう営業が始まったはずの先ほどの喫茶店に足を向け、オープンの看板を喜びをもって眺めてコーヒーを頂いた。
本当に一時間後には列車に乗れるのかと降り止まぬ窓の外の雨を眺めながらすっきり味のコーヒーを飲み終え、そういえば、山形県の酒田に行ったときはこの手の喫茶店は駅周辺では皆無でとても不便を強いられたことを思い出した。
酒田のある庄内平野は米どころ。ここ道東の標茶はワイルドで、カフェがあってもちょっと山の中の道路を走ると携帯は圏外になり夏でも寒いので、こんなふうに列車が動かないと大自然の中で凍死するのではないかとの妄想がこの真夏にして頭の片隅をよぎるのだった。