目覚めてカーテンを開けると11階のホテルの窓からは、キタラホールでのコンサートを終えて昨日の夜9時過ぎにはまだゆっくりと大きな円を描いてまわっていた観覧車がぴたっと静止して周囲のビルの中に溶け込んでいた。青色を放っていたネオンも今は空の水色に変わり、すぐ西側には低い山の稜線が見えたのが大都市札幌とはいえ北海道らしかった。
昨日行った中島公園は、札幌駅を南口から出てまっすぐ伸びる通りをどこまでも進むと数十分でたどり着くところに位置する。新宿駅とと新宿御苑くらいの距離だろう。
この公園は藤棚のどでかさといい、小石川後楽園や六義園の池に比べて野放図に広がる菖蒲池といい、どことなく回遊式日本庭園の様相を見せるのだけれども繊細さとは遠いつくりで、そのおおらかさがどこまでいっても北海道らしく、そういえばこういう風土のなかで自分は育ったものだと思い出すことができる要素がたくさんあった。
公園内には豊平館という洋館があり、この洋館は水色を地色とするさわやかな建物で、北国北海道のすがすがしさが投影されて、東京から着いたばかりの私の目には優しく映った。
中島公園の中ほどにあるこの豊平館まで来ると、ここ札幌の通りを歩いてきて一度も出会ってない猫にそろそろ出会うのではないかとの期待が膨らむ。そして豊平館近くの木に覆われた芝生で、黒猫ちゃん二匹が新参者の私につぶらな瞳を向けていることに気づくのだった。近くには他にも5匹ほどのトラ猫、三毛猫などがピョンピョン跳ねて、近所の人々がごはんをあげていた。この公園にもやはり地域猫はいた。そしてその後黒猫ちゃんらはおばちゃんと、池のほとりで魚や艶のいいカモたちを眺めていた。
私がここ中島公園に来た目的は、PMF2011という国際教育音楽祭のコンサートの一つを聴くためである。
ハイドン、ドヴォルザーグ、モーツァルトと三人の作曲家による弦楽曲が演奏されたが、4人(最後のモーツァルトだけ5人)の素晴らしい演奏家たちによるそれぞれの曲は、作曲家が変わるごとに色を変え、まったく違うテイストを見せた。誰が演奏してもモーツァルトはモーツァルト、ハイドンはハイドン、ドヴォルザーグはドヴォルザーグであることが彼らの偉大さに思え、最後にはそんな作曲家と演奏家に惜しみない拍手がもたらされた。
この音楽のためか、この日の夜はとても寝つきがよかった。窓の外の観覧車のゆったりと円を描く動きも脳に睡眠促進効果をもたらしたのかもしれない。
旭川出身の私にとってろくに来たことのない札幌はリトルトウキョウとのイメージが強かったが、それでも東京よりずっと落ち着く街のようである。