私はこの話を島の人に聞いたときに、ずいぶんと野蛮で残虐な話だと思った。しかし、礼文観光を終えて昼過ぎのフェリーに乗り稚内へ向かう船のデッキで、港付近の海面で波に揺られる昆布を見ながら、そのまま日本海の波に揺られて徐々に遠のく礼文島を眺め、もう一度アザラシ退治について考えてみると、違う角度が見えてきた。
確かに、カラスが窓を破って家中の現金や金目のものを奪い取って食べてしまうのなら、カラスが窓を突き破ってきた瞬間に私は退治しようとするだろうと、妙にひとりごちた。
そう納得する頃には霧に遮られていた利尻島が見えていた。デッキには人が出てきて、恐らく人生で何度も来ることのない利尻島を競うように写真におさめている。私は礼文に来る前に寄った利尻にどこか親近感がわき、観光バスで島を一周したのと島の半分ほどを自転車で走っただけなのに、もう土地勘があるかのような感覚だった。それはきっとつい先ほどまでいた礼文との比較でそうなのだろうが、この感じだと稚内に到着した時は我が家に帰ったような安堵感かもしれない。
私が乗ったフェリーは利尻経由で稚内に向かう便で、乗客のほとんどはこの利尻で降りていく。私が乗船する船にはざっと5組くらいの団体観光ツアーが乗り込んだようだが、これらの人も礼文の宿にはエアコンがないのに利尻の宿にはあるとか、礼文には一つしかなかった信号機が利尻にはたくさんあることに驚くかもしれない。
私はいっせいに船から降りゆく観光客を見送ったと思ったら、今度はいっせいに乗り込んでくる観光客を、一人取り残されたデッキで迎えることとなった。その際デッキの手すりに腕をのせていると、皮膚でもはがれ落ちたのか、白い粉のようなものがパサパサ肌から落ちていく。なんだろうと白いものをよくよく観察してみると、どうやら塩のようだ。デッキの端のところにずっと立っていると、顔や髪や、めがねをかけているときはメガネにも強い風によって運ばれてくる波しぶきが小さな粒をつくってふりかかってくるのだが、そのしぶきの水分が蒸発して塩だけが残ったのだろう。舐めてみると当然のようにしょっぱいこの塩に、どこか利尻こんぶの風味を感じながら、利尻礼文の旅も終わろうとしていた。
利尻も礼文も風が強いので、都会のようなおしゃれは難しいだろうと私は思った。なにより百貨店もブランドショップもない。しかし、観光バスで礼文の島をまわっている最中も、年寄りの男女らがなにやら屈んで作業しているのを何度となく見かけた。そこは海の中でもないし昆布干しや貝ムキの作業場でもなく、地面の何かを探しているようだった。きっとここの人たちは働き者なのだと思う。
この昭和初期のような香りの残る礼文は、利尻とはひと味違う趣だった。
利尻の港を離れるにつれ、礼文の時のように波は大きくなっていった。船は弧を描くように右に、左にとゆっくり揺れながら進んだ。時間が経つにつれて、ホテルや民家や橋などがそれぞれ見分けがつくくらいくっきり見えていたのも、山の木々の種類の違いがそれなりに区別できていたのも、徐々に霧の中に消えていき、ふと気がつくと利尻山のおぼろげなかたちだけが海の上で浮き上がっていた。
その光景は、30分前に数百人の観光客が上陸して観光で賑わっているなどとは想像できないひっそりしたものだった。
利尻がそれでもおぼろげに見える頃、礼文はとうに姿を消していた。とてつもなく巨大な一期一会はこうして終わった。
稚内行きのフェリーからの利尻山
北海道本当が見えてきたところ