連休の最終日も晴天で暑かった。それでも、近所のサッカー場で小学生がサッカーに勤しんでいるのを通りがかりの人が眺め見るほどの余裕がある。こうした夏の終わりに、中秋の名月なるものの意味が数日ずっと気がかりだった。
そんなことを考えているとは知らない夫は、子供たちがサッカーをする姿を見て、2020年のオリンピック・パラリンピックを都が招致したがっていて、実際に東京になりそうだとつぶやいた。そして私はこんな蒸し暑い東京でやらずに札幌・旭川でやればいいのにと不満をもらした。そうすれば観光客もたくさん来る。
数ある満月のなかでも中秋の名月だけ観月を楽しむ習慣があるのは、毎年やってもいいのに4年に一度しか開催しないオリンピックのようなものかもしれない。敢えてもったいぶることは、それを楽しむ瞬間をより盛り上げるのだろう。
こうして維持された日常を今日も過ごしていたが、やはりこのメリハリは脳の疲れにもいいようだ。