朝から台風の空模様で、午後になると大粒の横なぐりの雨が窓ガラスを叩き始めた。寝ている猫の目も覚ますこの風雨は時間を追うごとに強くなり、夕方近くなるとテレビの音も聞き取れないほどに勢いを増した。
この台風の風に乗って私の思いは東海へと進み、まだ降り立ったことのない名古屋を越えて長崎へと向かった。バラやチューリップが家々や観光名所の花壇を埋める去年の5月のことを思い出したのだ。
猫の額ほどの出島の小ささに驚きながら、出島より海側にある出島ワーフでトルコライスを初めて食べたときは、海外との窓口が海に空にとたくさんある現在との差に愕然としたものだ。そして、長崎港の向こうを眺めては蝶々夫人の気持ちを考えてみたけれども性格があまりに違うので憤り、雨の多い軍艦島に無事上陸できたことを喜んだ。
新地に行ってみると、集会でも開いているのか中国人らしき人たちが湊公園にゴソゴソと集まっていた。まだまだチャイナタウンは健在である。それがグラバー園に行くと明治の雰囲気で、一見何食わぬ顔をして建つ洋館もどこかものものしい。このしたたかさの渦巻く丘の上には修学旅行生などの観光客がとにかく多くて、蝶々夫人の音楽が果てしなく流れるムードのなかで長崎港を見下ろしていた。
それも私が長崎で最初に行った平和公園では様子が違った。グラバー園にいるのと平和公園にいるのとでは不思議と私の気分も違うのだけれども、平和でなかったからこそつくられた平和公園の中は、神社や寺の境内のように厳かでありながら人が歌の練習を始めるほどにアットホームだった。木の茂みには猫がいて人の手によりゴハンが置かれていることに、より平和なものを感じ、この土地で地域猫がご近所トラブルになることなど私には想像もできなかった。
こうして長崎のことをあれこれ回想している間にも窓の外の雨と風は強くなり、わずかに開けている北側の窓から入る風が室内の扉をバタバタ動かすようになった。猫の方を見てみると、半日もこの状態で過ごしてきたことに慣れきったようで、布団の上で目を閉じてぐっすり寝ていた。
いずれ中国の旧正月を祝うランタンフェスティバルの時期にもう一度長崎を訪れたいものである。