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2011年9月24日土曜日

鐘のなる朝より

台風の後の都内はグッと気温が下がり秋の気配が深まった。私はその気温の低下に身体が馴染まないのか、せっかく押入れから出してきた羊毛布団を何度も蹴飛ばし、しばらくして身体が冷えてはかけ直すというのを数時間繰り返し、真っ暗な部屋のなかでとうとうスズメの鳴き声を聞くこととなった。

いつもなら寝ている時間なのに、光をほぼ完全に遮っていた遮光カーテンを開けると曇り空の下にほのかに明るい世界が広がっていて、久し振りに見るこの辺の明け方をなかなか悪くないなと見直すと、私はいつも夕方に歩くコースを散歩に出かけた。

夕方と同じくらいの明るさのなかを、夕方より格段に少ないけれども犬の散歩をする人がいるのをちらほら見かける。私が間近ですれ違った一組は気温14度のせいだろう、飼い主はすっかり上下長袖で朝の冷え込みを拒絶していた。しかし犬の方は夏に刈り上げた毛がまだまだ生えそろわないというのに寒さを物ともしない元気ぶりで、さぞ飼い主も大変そうに見えた。

そんな犬と飼い主を追い抜くと、私は東の空低くにある太陽を眺めて今日は姉の39歳の誕生日であることを思い出した。私は太陽に向かって手を振るとおめでとうと言い、そのまま橋の方へと向かった。

この橋を渡るといつもの私は西側に見える富士山に向かって土手を歩く。そして私はそのことを、富士山に向かって歩く方が川の風景もきれいだし何より富士山を望む眺めがいいからだとずっと思っていた。それが今日は反対方向である東側の川の下流に向かって歩き始めたのだった。そして私は、これまで自分が富士山を目指して歩いていたのは実は沈みゆく太陽を追うためであったことに気づき、今日は太陽を求めて足が自然に日の昇りゆく東側の空に向いていることを自覚した。

こうして私が自分にもたらす太陽の影響の大きさに畏怖の念を抱いていると、同じく太陽に影響されてか薄い茶色の肉付きのいい首輪をつけた大柄なメス猫が一軒家の縁側からおもむろに出てきて土手の下の道をゆたゆた歩き始めるのに気づいた。しかしこの猫は私が東に向かうのに対して反対の富士山のある西へと向かい、どうやら太陽よりもっと大きな影響をもたらす何かに突き動かされているようだった。

猫を突き動かしているのはゴハンだろうか、しかしあの毛のきれいさでは外でゴハンをもらっているようにも見えないのになどと考えながら土手を歩いていると、太陽はいつの間にか先程よりずいぶんと高いところに位置しているように感じた。川面ではカモや白鳥などの水鳥がそれぞれに活動している。そして名前のわからない灰色っぽい大きめの数羽の鳥がとても優雅に水面すれすれを低空飛行していた。

土手のアスファルトの道ではスズメが何羽も私の進行方向にいて、何かをついばんでいた。そしてこちらから私がスズメたちに近づき、向こうからも散歩者が近づくと、スズメたちは台風にさらわれるように一斉に川の方へと飛んでいった。そうしてスズメがいなくなったかと思うと、遠くからお寺の鐘の鳴る音が聞こえてきた。時計を見るとちょうど6時だった。

鐘が6時の時を刻む頃には徐々に外に人が出てきて、土曜の朝を私と同じように過ごしていた。お寺の鐘は一度鳴ったかと思うと念を押すようにもう一度鳴り、注意深く時を告げていた。この鐘の音と太陽を、39歳を迎えた遠くにいる姉も耳を澄まして聞き、じっくり眺めているだろうと思いながら、久しぶりの早朝散歩を終えた。

とてもさわやかな朝だった。