先日行った恵比寿ガーデンプレイスは街行く人の数がめっきり減り、三分の一ほどになったろうか。そんな閑古鳥の鳴くガーデンプレイスにある東京都写真美術館に、この日の晴天を吸収するように踏み込んだのだけれども、写真はさほど好きでもないのにタダ券が手に入ったという理由だけで展示室に入った私は、いつもと同じ感想を胸に展示室を出ることとなった。
何枚もの肖像写真などを見て絵画に比べてきわめて感動の少ないことに今回もがっかりして、灼熱のガーデンプレイスを去ったのである。
その日の日中の山の手線もずいぶん人が減ったなあと思ったが、今日の京王線も同じ感想だった。恵比寿では特に外国人の姿が見られなくなったが、どうやら日本人もどこかしこに散っていったきり戻ってこないか、新たな人口が入ってこないようだ。
新宿駅も以前であればぶつかるほどに人が溢れていたのが、今はスイスイ歩ける。私はそんな新宿駅を西口に抜け、そのままランチを求める会社員らが目を眩しそうに瞬かせながらオフィスビルから出てくるのを何人も通り過ぎると、東郷青児美術館に入った。『モーリス・ドニ』展が開催中なのだ。
ドニは家族の風景をたくさん残した画家で、展示室には妻や幼い子供たちをモデルにした多くの絵が並んでいた。
のどかな展示室ではドニの長男の生後4ヶ月の死だけが重い影を落としていたものの、家族の死以外に不幸というものはおよそ見られなかった。ドニにとって家族とはどこまでいっても幸せそのものだったようで、この展示はドニが生きていたらご満悦だったかもしれない。
しかし、そこにはチーターの跳躍や熊のケンカのようなダイナミックさはなく、私にはどこか物足りなかった。それが、その後ドニの作品に続いて出てきた収蔵品コーナーのセザンヌ、ゴッホ、ゴーギャンの絵にいくと違った。その中に描かれているのはいずれもりんごだったり、ひまわりだったり、並木道だったりと、人間の脈動と変わらぬいたって静かな生命活動であるにもかかわらず、目を奪われる躍動感なのだ。
数十枚のドニの絵を見て盛り上がった私の欲求不満はこの三枚の絵によりあっけなく拭い去られ、私は満足して美術館を後にすることができた。
恵比寿も新宿も人は減ったけれども、東郷青児美術館にはすばらしい収蔵品がまだ残っていることに、それが東京の本当の底力なのか昔とった杵柄であるだけなのかはわからないが、いずれにしろ大都市の魅力を見出せた気がした。