長野から新緑続きの車窓を眺めること一時間強。途中、姨捨という強烈な名前の町を越えて稲作の盛んな山間の高速道路を走り抜けると、バスは広い盆地に踊りでて、松本バスターミナルへと到着する。前日に過ごした長野市に比べ人口でいうと十数万人少ない松本市だけれども、駅前に建つお店の顔ぶれや人通りは、長野とそれほど変わらないように見える。それは日銀の支店や信州大学の本部が長野ではなく松本にあることなども影響しているのだろう。
そして、松本といえば松本城である。今回私の松本における唯一にして最大の目的地は松本城なのだった。
駅から北方に1キロほどのところにお城はあるのだが、駅からその姿はまったく見えない。私は本町通りを市街地だなあと思いながら女鳥羽川まで400メートルほど歩いた。すると、この辺りから急に城下町っぽい演出が現れるではないか。これはお城の気配がするぞと、今度は大名町通りという名に変わった通りをさらに数百メートル歩き、途中に湧水があれば、バスに乗る前にコーヒーをこぼして汚れた手を洗ってみたりした。そして手が乾いたところで更に進むと、向かって左側に天守閣が見えることとなる。
黒い天守閣は姫路城などに比べ私が思っていたより大きなものではなかったが、とても威厳のある佇まいだった。サツキの庭園も美しく、家が近所ならば散歩だけに来るのも良いと思う。
そんなサツキの咲く庭園を一周して受付を済ませると、待ってましたとばかりに天守閣に入った。すると、中では小学生のちびっ子たちが教師に引率されはしゃいでいた。
どの天守閣もそうであるように、松本城の天守閣の階段も急だった。特に3階だったか4階だったかの階段は梯子のようで、しかも一段一段の高さがあるため、私は手すりを利用して、ロープを腕の力だけで上るように相当腕の力を利用することとなった。ちびっ子たちはまだまだ小さいし膝関節も柔軟なので、これくらい平気で上れるようだが、お年寄りには辛いか、上るのが不可能な階段だと思う。この城が、城として本当に機能していた時代は今のような高齢化社会ではなかったからこそこの階段で良かったのだろうとつくづく思った。確かに階段がこれだけ急だと敵も簡単には上がってこられないが、これでは大将が高齢ならば、我らが大将も上れないところである。
天守閣の中を歩いていてどこからか涼しい風が入ってくると思ったら、それは石落や狭間からで、観光化した今となっては、攻撃のための設備というより換気口のようだった。
階段の手摺が観光客の多くの人が強く握り締めながら上り下りするために、どこもここも人肌に暖かくなっているのが印象的な松本城だった。
長野道「姨捨」バス停近くの風景
「坂北」バス停近く
水田がいっぱい
そして山
こんなところも
四賀バス停付近
松本城
小笠原牡丹
サツキの庭園
天守閣の最上階には二十六夜神という
城を守る神さまがこうしてまつられている。
松本駅近くにあった猫カフェ
窓際に猫ちゃんが、、、