生命科学研究所ではバイオの、公益文化大学院では社会の公益を実現すべく企業やNGOなどのマネジメント等の研究が行われており、これは教育・研究段階で言えば致道館の舎生にあたると思われるが、時代が移り徂徠学を重んじた当時とは大きな移り変わりである。ところがいかんせん使われる言葉が、藩校では「戦国時代の戦術」だったり教えは孔子だ孟子だだったりで、研究所や大学院では「戦略」だったり「理念」だったりと、姿かたちを変えても求めるところはとても似ている。
そんな新旧の鶴岡に触れ、丙申堂の南の内川沿いに建つ天主堂の黒い聖母マリア像に会いに行った後、もう一度公園内を散歩しようと緑茂る中へと入っていった。すると、先ほどもいたカモの親子が、でもよく見ると先ほどのカモたちとは違うカモの親子が、陸に上がって休んでいた。二羽の子ガモはずっと親ガモの腹の下に隠れ、天敵から身を守っているようだった。親子はひとしきり寝心地を確かめたところで、私が眺めている数分の間にすっかり眠りについた。それでもカラスが飛んできたりと異変があると、親ガモはすぐに目を開いて警戒を怠らないのだが、子ガモたちは安らかに眠り続けている。池では他にも10羽ほどの子ガモがあっちウロウロこっちウロウロと人の子供のように落ち着きなく動き続け、こちらのほうもしばらく眺めていると、二羽の親ガモがどこからか子ガモのいるそばの水面に降り立った。その後はきっと、池の私がいるところとは反対側に行ってしまったようで、どうなったか目で追うことができなかったけれども、目の前の三羽の親子は引き続き、やや無防備にも見えるが大空の元で眠り続けていた。
午後の3時も過ぎると、鶴岡公園には高校の部活動の生徒たちがスクールジャージでランニングに訪れる。彼ら彼女たちは藤沢周平の母校である鶴岡南高校の生徒か、その隣の鶴岡工業高校の生徒だと思われるが、まだまだはちきれんばかりの元気さがあった。
公園の一角にある見頃を迎えたバラ園でも、日差しが弱まった昼下がりには、笑いながらランニングをする高校生ほどには動かなくなった近所のおばあちゃんたちが、憂いの数の皺を表情に浮かべて、何話すわけでもなくベンチに集まってきていた。私がカモに夢中になっていた池のほとりのベンチでもそういえばそうだった。
鶴岡公園は皇居や大阪城公園に比べ人の数は各段に少ないが、地元に根付いているようで、近所の人たちは時間になるとどこからともなく現れ、適当な時間になると家へと帰り、次の日に再び同じ場所で会うのを待つのだった。
日本のどこにでもあるそんな光景がここ鶴岡にもあり、私は初めて来た気がしないような感覚に襲われながら、借りた自転車を返しに鶴岡駅へと戻った。
鶴岡公園のバラ園
研究所・大学院の敷地内にある「百けん濠」という
レストランで食べたランチ
右上のうどんのようなものは麦切りという。
うどんとあまり変わらないが鶴岡ではそう呼ぶらしい。
天主堂
親ガモの下に子ガモが二羽いる
大分落ち着いてきた模様
池にはこんなに子ガモが
親子で眠りについたカモ