コンクリートやアスファルトは雨などで放射性物質が洗い流されやすいが、草むらや茂みなどにはそのまま残ってしまう。この悲しい事実のために、福島原発から放射性物質がばら撒かれるまでは私が都内で数少ない楽しみの一つにしていた大名庭園を含めた公園めぐりが、すっかりよそよそしく縁遠いものとなってしまった。しかしそこまで放射性物質を気にしていない人の方がはるかに多いようで、花見や芝生でのごろ寝を楽しむ姿を方々の公園を横切る際にしばしば目にするも、その光景自体も遠い存在に感じられることに、大地震後もう30年くらい生きたような感覚に陥りながら、まだ6月だというのに我慢ならない暑さのなかを、新千歳行きの航空券を引き取りに旅行代理店に行くべくすでに太陽の熱を含んで熱い玄関の扉を開けて外に出た。
一日のうちで最も暑いこの時間帯は小学生の下校時間が重なるために、向こうからは小学生のバラバラに歩く波がやって来た。小学生たちもさすがに参ったという顔をしているが、友達同士で歩いている子供らは、それでも人生の楽しい時間を、子猫のじゃれあいのようにピョンピョン跳ねながら、互いに遊びの的となって送っていた。
都内に残された数少ない緑が私の昼寝のベッドとならなくなった今となっては、地方に旅に出るたびに汚染されていない緑がこれまで以上に貴重に感じられありがたみが増すのを、劇的に効果を発揮する新薬と出会ったように喜ぶのだが、新薬が高価で長期間の服用に経済的不安を感じるように、数日も経てば再び東京に戻ることを、家に帰る楽しみと共に、放射性物質のストレスを常に抱える生活が戻ることに不満に近い不安を感じるのだった。とはいっても、さすがにとうの昔にそんなことは覚悟ができているのである。そんな覚悟の元、日傘でなんとか直射日光を遮り、サウナのような大気につつまれ旅行代理店への歩みを続けた。
代理店の人はいつもどおりに忙しそうで、私が抱える不安などまったくもって生活の中にないようだった。10年20年後の発病より今現金を得ることが先決なのだからそれもそのはずである。
私はもっと手軽に放射性物質の恐怖から自分をごまかしだまし続けられると思っていたが、現実には自分が思っているよりよほど強く失われた大地を憂いているようなのである。それでもそこでの生活は実現を続け、それは船旅のように一時的なものならばいいのだけれども、船旅にしては長すぎる年月であることもよくわかっている。そして、たとえこの汚染された土地を離れたところでこの苦痛から完全に開放されることもないこともまたわかっているのである。
そんなたどたどしい人生のなかでも、一息つくために夏の暑さを逃れるべく北国への航空券を買っているくらいだから、旅行代理店に来る途中で出くわした小学生たちにもまだまだ負けない行動力があるのかもしれない。
最近読んだカミュの『ペスト』が大戦後のフランス他各国で受け入れられ求められたように、今の日本ではレディ・ガガが大衆の心を掴んで引き止めてくれるのかと思いながら、代理店内で手続きを待つ椅子の隣に座るおじさんが、ずっと中国語を声に出しながら勉強しているのを聞いていた。このおじさんは、この夏中国脱出を図るのだろうか。