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2011年8月4日木曜日

都市と農村

昨日の夜きっちり閉めたつもりが、ホテルのカーテンの上の方にできているほんの隙間から朝の日差しが舞い込んでいる。今日も日差しが強いぞとカーテンを開けると、北側にあるはずの窓から眩しいばかりの太陽光がさしてきた。

私はその眩しさに驚きカーテンを一気に閉めた。

その後札幌駅に向かう途中でもこの太陽光は燦燦と地上に降り注ぎ、大通公園の木陰でくつろぐ人を見かけては私も一休みしたい思いに駆られた。

しかし、噴水の水が止んでややもの足りない公園だと思ったのもつかの間、きれいに彩られたいくつもの花壇では、芝生に埋め込まれたスプリンクラーからシャワーのような水が注がれ花々は生き返るように涼しげだった。そして、スプリンクラーの水の向こうにできた虹が、思わぬプレゼントのように私を喜ばせ、この、まったく予想していなかった出来事との遭遇は、昨日一昨日と歩き通しで筋疲労がすっかりたまった私だけれども、駅へ向かう足を軽くしてくれたように思えた。

札幌から旭川へは特急オーロラで向かった。

広い札幌市は、列車が発車してもしばらく住宅地が続いていた。しかしその車窓は、180万人を抱える街としては何か物足りないと感じずにはいられなかった。家々の外装はばらばらで、都市の景観を意識しているようには見られないのだ。このどこか田舎くさい地方都市の様子は、札幌駅周辺しか歩いたことのない私の大都市札幌のイメージを覆すものだった。

明治以降に本格的な開拓が始まって歴史が浅いのはこのように文化的要素の感じられない街づくりの原因としてそれなりに挙げられるのかもしれないが、私はなによりお金がないことがその理由だと思った。

やはり公共事業に頼った都市の限界か。

ただ、特急オーロラが札幌を出て岩見沢に向かい、さらに深川へ至るまでは、北海道らしい大規模な田畑の広がる美しい人里の景色が続いた。点々とある大き目の家は、決して豪華でも特別立派なつくりにも見えないが、札幌市内のてんでんバラバラな家の並びとはおよそ違って田園に馴染んでいた。それは本州にある田園集落の美しさと同じように美しく、本州よりよほど雄大である。

そして旭川市内に入ると札幌郊外で見たのと同じようにてんでんバラバラに家が建ち並び、文化的要素が大幅に減少した景観が始まった。この北国で、本州と同じ、あるいはそれより少ない所得で町並みまで考えた建築を、一軒一軒が考えるなどというのは確かに無理があるが、その無理が旭川駅まで続いていて、私はとても複雑な思いを抱いて故郷に降り立った。

しかし結局、私も年をとって都市よりも農村の方がよく見えるというだけかもしれないが、札幌・旭川という北海道第一・二の都市がこのような現実であることはある意味目をみはるものがある。

そして鹿児島のあの立派な街並みは、大物政治家がよほどお金をばら撒いているのかと頭の片隅で思ったりした。