半年ほど前に熊野に行った際、大日越を終えた日につぼ湯に行ったのだが、その時の30分の印象があっという間の入浴だったとの記憶で、大いなる期待を抱いて熊野まで行って物足りなさを土産に帰ってくるのは寂しいものだと、なぜか最近振り返ることがしばしばあった。
ところが、入浴直後に記した記録には疲れがとれて大満足と書いてある。このギャップを、記憶とは変なものだと思いながら面白く思い、一方で泊原発が営業運転を再開するとの報道をテレビで見て、心がざわつくのを感じた。しかし夫が、北海道知事の高橋はるみは元経産相のお役人だと罵るように私に伝えてくるのを聞き、そうか、またしてもそういうことかと、ただでさえ連日の猛暑で萎れた身体に加えてがっくりと肩は落ち、そのままトボトボと、この気分を一掃すべく図書館へ出かけた。
何か健康的な気分になれる本はないかと途方もなく並ぶ本を物色し続けておもむろに目に留まったのが、『温泉と健康』という岩波新書からの一冊だった。私は北海道の原発より北海道の温泉について考えようとその本を手に取ると、とたんに泊原発三号機の営業運転再開を推し進める高橋はるみを思い出して胸くそが悪くなったが、それでもなすすべもなく、世の中常ならずと思いながら本のページをパラパラめくってみた。
この本の著者阿岸祐幸は本のなかで、大学レベルで温泉気候医学を専門に研究する施設がなくなってしまったことを憂いている。しかし、それでも日本には温泉医療物理医学会があり、それなりの数の医師が温泉療法について勉強している現実がある。それらの医師たちが医学的根拠のまだまだ乏しい温泉療法を敢えて学ぶ理由とはなんなのかと私は不思議になった。
それは私が原発ニュースから逃避するように図書館に来て温泉の本を手にとるように単純な理由なのかもしれないし、西洋医学だけでは成し得ない統合医療を目指しているのかもしれない。そして、そこはかとなく温泉療法医でもある私の婦人科の主治医の顔が頭に浮かんだ。