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2010年9月24日金曜日

フランダースの光

ちょっと肌寒いなか、文化村で開催中の『フランダースの光』展に行ってきました。数週間前に見に行った同じくベルギーの画家を集めた展覧会『アントワープ王立美術館コレクション展』が全体として暗い印象だったのに比べ、『フランダースの光』の方はアントワープと地理的にはものすごく離れているわけでもないのに、パンフレットの絵が明るいので不思議に思い、興味を持ちました。

フランダース地方の小さな村ラーテムに画家たちがコロニーをつくって活動していたのですが、彼らは膨張する都市の喧騒を離れて田園のなかに制作の場を求めました。ラーテムはそこに集まった画家たちの出身地である文化都市ゲントから遠くないというのが良かったようです。


ただ、なぜコロニーをつくるのでしょうか。フランソワーズ・サガン著『サラ・ベルナール』のなかで、サラが、私たちの時代は才能がある人しか舞台に立てなかった・・・才能がない人はすぐに観客席に座らされたものよ・・・と言ってましたが、サラと同時代を生きたはずのこの画家たちは、コロニーをつくることによって少なからず傷の舐めあいをしていた感があるように思います。ユートピアを求めたのでしょうか。
この展示では時代順に象徴主義、印象主義、表現主義の三つの章に分けています。私がパンフレットで見て明るいと思ったのは、第二世代の印象主義の時代でした。光を追い求めただけあって、明るいんです。どおりで。この時代には、大原美術館のコレクションを築いた児島虎次郎や太田喜二郎もいます。二人はエミール・クラウスに師事してました。

第一世代は深い精神性を描く象徴主義です。精神世界を掘り下げるとこんなにも暗くなるのかという暗さです。アントワープを見に行ったときと同じ暗さがここにあります。ヴァレリス・ド・サードレールの『静かなるレイエ川の淀み』の川と空が同じ色に見えるところまで同じでした。あまり細かく見ないからそう見えるのかもしれませんが。

第三世代では新たな造形を求めて表現主義やキュビズムが出てきます。が、戦争を経て新たな潮流が過ぎていき、1920年末にこのコロニーは自然消滅しました。時代の変遷がここにもありました。