被爆した人々の言葉はどれも、なぜ自分だけが生き残ってしまったのかと苦悩を語ってます。
実際にあった原爆という現実を、戦争を知らない今の世代の人たちに伝えることが困難であることを承知で、でも自分は忘れない存在であることを示さなければならないと、最後のところで伊藤俊治氏が語ってました。
次に見たのが山本一の『越後の棚田 原風景に佇むとき』という写真集です。写真はどれも力作で美しいものばかりです。立松和平がはじめのところで棚田について書いてるのですが、その文章も内容も美しいです。棚田は概ね狭いので、機械が入らず人が一本ずつ植えることも多いとか。
田圃には当然水が必要で、山の上に必ず残す森林が水源なのですが、一人でそこから水を引くことは到底できず、水利組合などの共同作業で行われることが多いのですが、こうして村という共同体が必要になると。
そしてそこから「村八分」という言葉が生まれたとすると、美しい棚田の景色と似ても似つかわしくない人間模様があるということでしょうか。新潟県関川村沼集落の村八分裁判がありましたね。ただこの写真集はそうした人間模様を掘り下げるものではなく、労働する姿を美しい風景の「点景」として、誇りとして撮ってます。
棚田ではありませんが、毛越寺の庭園を整えているのだと思います。
『十二夜』の冒頭の方で、シェイクスピアが「哀れにも生き残ってしまった」人たちと、海で遭難して生き延びた人のことを表現してますが、いろいろな写真集を見てその言葉を思い出しました。