いつの頃からか、あるいは古今東西を問わずか、大衆の娯楽の陰には仕掛け人が見え隠れするものですが、蔦谷重三郎が18世紀後半の江戸文化まっただ中で、版元の枠を超えてプロデューサーとして手腕を振るっていたことを、今回の展覧会で知りました。
生まれも育ちも吉原という地の利を生かして版元として繁盛していた様を追っているのがサントリー美術館で開催中の『蔦谷重三郎展』。
江戸の文化に興味があるのか蔦重が好きなのか、はたまた蔦重の元から世に出た写楽や歌麿見たさか、館内はゆっくりかつスムーズに見てまわれましたが、思っていたよりお客さんが多くちょっと驚きました。人気あるんですね。
蔦重が手がけたという本や絵巻物には、相撲や歌舞伎、遊女などが登場し、江戸の人々の楽しむ様子がよく描かれてます。100年後にこれを見た人が、この時代の暮らしがわかるようにとの意図で残されているものがあることに驚きましたが、何か当時の人々の誇りが伺える気がして興味深いものがありました。
当時繁盛して目立っていたこともあって、寛政の改革では見せしめのようにきつく扱われた蔦重。そうなることが分かっていたと思うのに敢えてやってるところに(勝手な推測なので実際のところはわからないが)、蔦重の気位を感じました。
パロディものも多い蔦重の手掛ける本は、あまりの達筆で何が書いてあるのかよく読み取れないにもかかわらず、絵や装幀の感じからその小気味良さが伝わってきます。名プロデユーサーと言われるのもわかるところです。
数ある展示品からは、江戸時代の大人たちが楽しそうに過ごす姿が垣間見え、それだけ見ると、随分楽しく良い時代ではないかと思えてしまいます。現代ならば、サービス残業してヨレヨレの世代です。数百年かけて高齢化し、仕事への姿勢や年のとり方が随分変わったのだなあと高齢化社会を実感しました。あるいは昔から、仕掛ける人と消費して楽しむ人は分かれているのかもしれません。
人間や動物や自然の表情を線で捉える日本画には関心するばかりでした。
美人画も多数ありましたが、今の美人観とは違うものの、美人として描いていることだけはちゃんと伝わってくるし、よく見ると鼻筋が通って優雅に見えて、確かに美人に見えてくることに絵師の腕の良さを感じます。翻って歌舞伎の女方は、女性らしい所作とゴツゴツした骨格とがどうしても皮肉られて描かれていることに、なぜ昔からこういう扱いなのかと考えてしまいました。
江戸時代を一緒に楽しめる『蔦谷重三郎展』でした。