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2011年10月11日火曜日

トランペットを吹く男

十勝岳は望岳台より先に進んでややもするとうっすら雪が積もり、下界にいたときに山頂の方に雪があったのはここから始まっていたのかと寒さに身体が震えた。低く生える高山植物も雪をかぶりかたちがよくわかるのは大きな岩ばかりで、まるで下界のしがらみとは無縁だった。

福島から人が去り、宮城や岩手から去った人が戻ってきても尚福島からは人が去っていく頃、私は十勝岳の望岳台に立っていた。おおよそ福島で起きていることとは関係なく日々の営みを続ける北海道の人たちのなかに身をおくと、気になるのは拓銀がつぶれて以降続く不況くらいで、ベクレルやミリシーベルトという単位にこだわる生活からはすっかり開放されるのだった。

私が望岳台から振り返って下界を見下ろすと、岩の転がる下り坂の向こうはうっすら赤や黄色の色づく樹海が広がり、そのさらに左側の広がりには人里が雲の隙間から差し込む日差しを浴びて、そこだけスポットライトを浴びるように照らされている。もくもくと立ちこめる灰色雲の切れ目がはっきりわかる下にちょうど望む絵画の演出のようなこの風景は、樹海の右手に太くそびえる虹と相まって、その意味を見いだそうとすると私にはとても不思議に思えた。

それはその夜の買い物公園で見かけた光景のようだった。

その夜9時過ぎに、私は買い物公園を一条から五条まで散策がてら歩いた。不況のためか地方都市の日常の光景なのか、通りはネオンの消灯と共に繁華街の様子までも消えたかのように閑散としていた。そこには酒の臭いを撒き散らす会社員の5、6人の集団を見つける以外は酔っ払いの姿もなく、通りには若者が数人たむろするくらいで、歩く人といえばみな足早に終バスに乗り遅れないようバス停に向かう人ばかりだった。


私も足早に歩く人たちに紛れてホテルへと向かうのだけれども、暗い寒空にもかかわらず途中のベンチで妙にどっしりと腰を下ろす恰幅のいい男性の姿を見つけた。私はそれを生きた人だと思ったために驚いたのだが、よくよく見ると買い物公園名物の彫刻の一つだった。トランペットを吹く男の彫刻の前にはそれに耳を傾ける猫の彫刻がある。そしてこの二つの彫刻は、閑古鳥の鳴く買い物公園で生きた人以上に私にはリアルに映るのだった。

私は山側に向き直ると、時折疲労から立ち止まることがありながらも十勝岳を登り続けた。すると、いったん山の陰に隠れて見えなくなっていた避難小屋が再び視界に入ってきた。吹雪で見えない頂上のなかで目指すべき避難小屋が見えてくるのはなんとも心強く、歩く意欲が湧いてくる。しかし、山を横切るようにしばらく歩いて再び頂上へと向きを変えた途端に、目の前の足下の雪はこれまでより一段と深くなった。そのことがわかるや否や、登山を中止したいとの心の叫びが聞こえるように足の疲労がたまっているのを感じて、私はあとひと踏ん張りというほどの位置にぽつんと見える避難小屋まで歩くのを断念した。

同じ寒さでも、昨日の旭岳にはもっと登山客がいて、完全冬山装備の人からタウンシューズの人まで服装はまちまちだった。旭岳の雪の下の茂みでは、すでにシマリスが冬眠でもしているような懐の深さで私たちのことも迎えてくれた。夫婦池や姿見の池など点々とある池には十勝岳同様曇り空に遮られて山の姿を映すことはなかったけれども、人の心を映すような澄んだ趣があった。

それでも人々は雪降る寒さにかじかみ足早に山を去りゆくのだが、旭岳の登山客の多さは人里にいるようで、登山客に十分な安心感を与えているようだった。

私が姿見の池を越えたところで見つけた山小屋はオキーフの絵に出てくる小屋のような暖かみのある存在感だった。実際石室の中に入ると、中は外の吹雪から完全に遮断された静けさでほのかな暖かさを含んでいた。それはたどり着くことのなかった十勝岳の避難小屋がかえりみられることのないようにぽつんと雪の中に建っているのとは対照的だった。

私は数日後、昼間でも閑散とした買い物公園を歩きながらこの二つの小屋を思い返したとき、雪山を登るような苦境のなかで十分な冬支度もなく福島を離れる人たちのことが頭に浮かんだ。こんな不況で打ちひしがれた街でも福島を離れる人々にとっては石室の暖かさを感じるかもしれないと思いながら、昼の日差しで照らされたトランペットを吹く男の彫刻を通り過ぎた。