ページ

2011年2月28日月曜日

cafe agos

広尾三丁目にある山種美術館に行った際、明治通り沿いのcafe agosに立ち寄った。場所としては渋谷東の、渋谷と恵比寿の中間辺りのところだ。

オープンテラスもあるが、花粉症のために店内でいただく方を選ぶ。前払いスタイルのカフェで、スタバなどと同じかたちだ。

ざっと見ると女性客の多い全席禁煙の店内には、奥のほうにひっそりと、一人でモクモクと自分の世界を楽しんでいるらしい若い男性が二人ほどいる(オープンテラスは喫煙可だったと思う)。私はチャイラテとクリームソースハンバーグを注文したが、クリームソースハンバーグの方は女性にはちょうどいい量で、普通に美味しいものだった。トールサイズのチャイラテは、やはりスタバと同じくらいの分量で、甘い香りがとても良かった。

お店のキャラクターがブタちゃんのようで、マグカップにブタちゃんマークが入っているのがかわいい。ネコ派の私でも十分可愛いと思えるデザインが決め手のcafe agosだった。

2011年2月27日日曜日

『清永、歌麿、写楽』

山種美術館で浮世絵の数々を見てきた。それらは主に浮世絵の黄金時代と言われる清永、歌麿、写楽の作品だった。

江戸の風俗をよく表している浮世絵は、その内容が現代の風俗と重なったとき、より面白いというのが今の私の浮世絵の楽しみ方だ。市川團十郎が描かれていると、今の團十郎と比較してみたり、隅田川の花火大会を想像してみたりというのは、文化の連続性を感じられて感慨深いものがある。

一通り展示を見た後國學院大學で開かれた『浮世絵の黄金時代ーボストン美術館のコレクション』というセーラ・E・トンプソンという人の講演会を聞きにいった。

ボストン美術館の浮世絵版画室室長であるトンプソン氏は、客の質問がすべて日本語のまま理解できるほど日本語が堪能な人だ。外国人が研究した日本文化について聞くのはちょっと不思議な感じだったが、自分も学生時代に外国の文化についてなんかやってたなあ、特に教授は異国の文化についてフィールドワークをしながらバリバリ研究していたなあと思うと、見慣れてきているはずのものだったことに気づく。

そしてさすがにトンプソン氏は浮世絵についてそれなりに詳しい。所作もどことなく日本人ぽい。結局私にとって、浮世絵というより異文化を研究することに焦点がいってしまった講演会だった。

2011年2月26日土曜日

20世紀のポスター タイポグラフィ

アールデコで統一された旧朝香宮邸では、現在110点のポスターが紹介されている。それらはすべてタイポグラフィという文字による表現に主眼がおかれたものだ。

若い人が目立つ客たちは、「20世紀の」といってもやはりポストモダン以降の作品に注目が行くようで、後半部分の作品に群がっている。そして、そのDTPの専門学校にでも通っているのかと思われる若者たちは、「これTシャツにするとかわいいね~」などと話しながらキャピキャピビジョンが広がるようだ。

そういう広がりのない自分がすっかりおばさんだなと自覚をもつハメになったこの展示で、私はIBMのポスターが妙に気に入った。Iは目でBはハチでMはMのあのポスター。

会場にいた若い子たちの誰かがデザインしたTシャツをいつの日か着ているかも知れないと思うとそれはそれで楽しい空想だった。

2011年2月25日金曜日

白金から麻布十番散策

ランチタイムに白金にあるカフェラボエーム入った。


吹き抜けの空間では丸い木のテーブルとそれを取り囲むキツネ色のイスが所狭しと床を埋め、壁際には四角いテーブルが等間隔に並んでいる。その中を、隈無くジャズの音楽が流れ渡り、私が座ったテーブルの向こうでは架空の動物を表現したような石像が、その口からチョロチョロと水を落としている。チョロチョロと言っても、10メートルくらい離れた私のいるところまでジャズの流れをかいくぐって水音を届かせるのだから、弱くはない自己顕示を示していると言えるだろう。

けれども何より私の耳を奪うのは、店員たちの接客の声だった。その声は時に大きく、時に小さく、状況状況で使い分けられている、とても気遣いのあるかけ声で、休むことなく流れるジャズの音楽同様客に居心地の良さをもたらしてくれる。ホールの店員たちは常に客のテーブルの状態に目を光らせ、食事が終われば速やかに皿を片づけ、食後のコーヒーが減った頃には継ぎ足しに来てくれる。そしてそんな合間にも、新規の客を出迎えメニューを説明し、テーブルが空けば片づけてセットする。猛烈に多忙なランチタイムをこの勢いでこなすのはとてつもない気力と体力だろう。

私は先日これと同じような輝かしい労働環境を目にしたばかりだった。それは胃ポリープの再検査を受けに行った、とある総合病院である。私はこの病院の待合室で長々と2時間に渡って診察の順番を待っていた。

外科内科整形外科などいくつかの診療科の受付を一手に引き受けるこのフロアの受付の前には5人くらい座れる長椅子が10列×2ほど並ぶ。他にもこのフロアには各診療科の前に並ぶ長椅子+その他の場所に並ぶ椅子があり、いずれの椅子にも患者たちが座り、何十人もが自分の順番を待っている。高齢者から、これまで病気など無縁で生きてきた素人患者まで、看護師たちはとてもテキパキと大抵は大声で、ときにプライバシーに配慮する必要があると思われる場合は密やかに声をかけて必要事項を伝え聞き出し、事務手続きを処理していく。その自意識を捨てた仕事ぶりに、私は、白衣を纏う人間に少なからず持っていたある種の不信感、子供じみた根拠なき病院への嫌悪感が和らいだのを感じた。

看護師たちは私が診察を待つ2時間、変わらぬ処理スピードを維持し続けながら仕事をすすめていた。そして、私が診察を終えて受付を待つ間の1時間も、その処理速度と患者への接し方は変わることがなかった。この無我夢中で白衣の労働に挑む姿に、少なからずこの病院への信頼が増したと思う。医師も一昔前のドイツ語でカルテを書く時代とは違い、カタカナで患者にわかるように書いて説明してくれる。医療もサービス業との自覚をもっているようだ。

これだけ多忙な仕事をこなす医師や看護師たちに関心したのだけれども、一抹の不安がよぎった。こんなに多忙で疲れているはずの人が手術するって、大丈夫なのだろうか、朦朧としているのではないだろうか、と。

それでも信じるしかないので手術は任せることにしよう。ただ、カフェラボエームの従業員や検査を受けに行った病院の従業員が帰りの電車で人目もはばからずに爆睡しているのは致し方ないことと思った。どんな姿でもいいからゆっくり休んでください。

有栖川宮公園は池の泥を除いている最中で、若干風情を欠いていた。それが池を越えて枯れ山水の方まで行き、階段を上って梅の咲く広場まで行くと、恐らく一度も拾い集められたことがないと思われるほどに積もった太陽光の暖かみを含んだフワフワの枯葉たちが一面に手を広げて待っている。日当たりの良いこの場所にはベンチが多く、老若男女が群れ集まり、ある人はお昼ご飯を食べ、ある人は本を読み、ある人は子守をしながら、いたって日常の延長を過ごしている。わりと親子連れの多いこの公園は、子供の数と同じくらいの犬がいて、犬の社交場にもなっているようだ。池のカモと同程度に陸において幅を利かせるこの個性豊かな風貌の犬たちは、風貌の強烈さに反していたって人には従順で、人間の子供よりよほど静かだった。

白金から広尾、麻布までは各国大使館がとにかく並ぶ。フランス、ドイツ、中国、韓国、ジンバブエ、ベラルーシとキリがない。そのためもあり、外国人が多く、すれ違う通行人は日本人より外国人の方が多いと思えるほどである。インターナショナルスクールや幼稚園もあり、えらく元気なお兄さんお姉さんが子供を大勢連れて英語を飛びかわしながら遠足している姿も見かける。
 
バブルの匂い残る白金麻布界隈だった。

2011年2月24日木曜日

『ハムレット』 トマ

メトロポリタンオペラで上演された、フランスのオペラ作曲家のアンブロワーズ・トマによる『ハムレット』がNHKで放送されていた。

歌にのっているためか、フランス語であることに違和感は感じられず、ハムレット役のサイモン・キーンリーサイドの熱演に関心しながら楽しむことができた。

幕の最後の方でオフィーリアが死ぬ場面では、死んだと同時に拍手が沸き起こった。映画だったらもらい泣きしそうな場面であるが、オペラだと、特に今回の演出だと、観客の多くはオフィーリアの悲劇よりも歌手の歌と演技のうまさに視点がいっているようだった。

そして私は最近そういう理由で映画よりオペラを好んで観るようになった。悲劇ものはリアリティ満載の映画よりもオペラ仕立ての方が、歌や音楽にも関心がいくので精神的に楽にみられるからだ。

音楽も良かったし、それを指揮するルイ・ラングレも頑張っていたと思う。

この機会にトマのフランス語ハムレットを観られて良かった。

2011年2月23日水曜日

『隠喩としての病』

『隠喩としての病』は、勇ましいソンタグ節みなぎる一冊だった。

自身の癌体験が執筆の動機となったとのことだが、「隠喩としての癌」を越えたところの、自身の癌との格闘の苦しさが伝わってくる文章の数々だった。

因みにベトナム反戦運動の頃から注目されるようになったソンタグの、とてもソンタグらしい癌の隠喩は、「白人種は人類史上の癌である」だと思う。

あと何冊ソンタグの著作を読むかはわからないが、少なくともあと一冊は読んでみようと思える『隠喩としての病』だった。

2011年2月22日火曜日

仏教伝来の道

東京国立博物館で開催中の『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』展に行った後、前々から行ってみようと思っていた旧東京音楽学校奏楽堂に足を運んでみた。

1890年に建てられた奏楽堂の明治から大正、昭和に至るまでの活躍ぶりが一階資料室には展示されている。そして階段を上って二階からは、今では広い方ではないと思える大きさのコンサートホールに入ることができる。

左右にグランドピアノ二台を従え、正面中央にはパイプ数1379本というパイプオルガンが、低い天井あたりまでそのパイプをのばして鈍い輝きを発している。色あせた赤いカーテンの前にある黒いスピーカーからは、レコード時代の音と思われるクラシック音楽が流れ続ける。そして途中からオーソレミオが始まった。

観客の一人もいないなかでこうして音楽が流れると、中規模の芝居小屋ほどのコンサートホールが、誰もいない小学校の体育館のように広く寂しく感じられ、ただ古びた様相だけを呈しているのがなにか時間からとり残されたようだ。ところどころ故障したイスの並ぶこのホールも、コンサートが催されるときは拍手喝采でわくだろうだろうということは、明治、大正、昭和の奏楽堂の資料を展示室で見てくるとわかる。第九のときには舞台も客席もギュウギュウ詰めで、緊張しながらも楽しそうだった。

三浦環がこの奏楽堂で日本人初のオペラ公演によるデビューを果たしたそうだが、この狭い舞台でどうオペラを上演したのかと、これまでに何度かオペラを見たときの舞台と比較すると疑問になってくる。でも当時の洋式音楽ホールの希少さでは、どんな舞台も立てるだけで、観客として入ってみられるだけで、晴れ舞台だろうと想像する。

明治の香り残る、古き良き旧東京音楽学校奏楽堂だった。
奏楽堂 
『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』展の方は東博ならではのなかなかな混み合いようだった。仏像などの展示ガラスには、面白いほど同じような場所に、あまりのガラスのピカピカぶりのためだろうが、そこにガラスがあることを忘れて覗き込もうとしてぶつけたと思われる鼻の跡がいくつもあった。好奇心の強い人が多いらしい。
 
15時からの薬師寺の坊さんの講演会では、噺家のように話のうまい坊さんが約一時間に渡っておしゃべりを披露してくれた。綾小路きみまろのような客のいじり、つい数日前に100名で行ったというインド旅行での珍事件、最後は仏教礼賛で終わるのだが、高齢者が多いことに目をつけて、死がわりと近いことをユーモアに溢れた自虐さで表現して、観客の笑いを誘っていた。
 
平山郁夫のシルクロードの旅について触れる際、旅はコペルニクスが地動説を唱えたことから盛んになったと言っていた。そして例えばコロンブスとか、、、と続き、あまりに大それた旅で結局私には身近に感じられなかったけれども上手く話をまとめていたと思う。
 
平山郁夫の旅の地図を展示室で見ると、日本を出てシルクロードを超え、随分と西方まで旅していることがわかる。私はそんな旅のなかから描かれた『大唐西域壁画』のカラスが妙にリアルに感じられて気に入り、『明けゆく長安大雁塔・中国』の山並みが懐かしく感じられ、『西方浄土 須弥山』の空の色が先日飛行機に乗ったときに雲の上で見た空の色とあまりに同じように感じられ、空想の旅をした満足感が得られた。
 
東大寺の坊さんの話を聞いた時も話のうまさに驚いたが、それに続いて薬師寺の坊さんのこのうまさ。坊さんは講演の特別訓練でも受けているのだろうか。
 
 
 

2011年2月21日月曜日

恋できなかった『火山に恋して』

『同じ時のなかで』はソンタグによる批評や講演をまとめたもので、心を打たれるところが1箇所はあった。そのためそれなりに満足でき、続いてソンタグの『アルトーへのアプローチ』を読んでみた。

アルトーという人をよく知らないこともあり、内容はきちんと理解できなかったと思う。しかしソンタグのアルトー論への熱意は伝わってきて、やはり何か心を打たれるものが少なからずある。なので続いてソンタグの小説である『火山に恋して』を読んでみた。

すると見事に2ページで挫折した。

どこか批評を抜けきれないような、あるいは事象を説明することから抜けきれないような文体が、どうしても小説としては読んでいられなくなってしまう。ソンタグはやはり活動家がふさわしい。

それでもあれだけの字数を書き上げたのだから、文学への彼女の思いは相当強いものだったのだろう。そしてその一本気ぶりが、私にとってのソンタグの魅力であると、ソンタグの著作3冊を読んだところでの感想となった(『火山に恋して』は2ページ+数行しか読んでないが)。

2011年2月20日日曜日

旭川市神居町

この日は三泊四日の北海道の旅の最終日だった。これまでの三日間は温泉巡りに明け暮れた感があったが、ちょっと趣向を変えて旭川市神居町にある画家の松本キミコの画廊である『メゾン・ド・キミコ』に行ってみた。

メゾン・ド・キミコ

神居町には産・官・学が共同で行っている化学物質過敏症患者の研究施設がある。そしてそのすぐそばには松本キミコ氏の『メゾン・ド・キミコ』という画廊がある。そこまで行くには研究所から数百メートル上ることになるのだが、この道が至難だった。

化学物質過敏症患者の研究施設

ゴロゴロに転がる雪の塊に邪魔されるも勢いで乗り越え、轍にはまるも気合いで車をおし出し、結局『メゾン・ド・キミコ』に着くまでに15分くらいかかっただろうか。除雪されているとはいえ、とてつもないサバイバルだった(旭川の人にとってはこれくらい当たり前だと思うが)。

スリムな猫ちゃん

こうして出てきてくれる

跳びかかる準備

ちょっと隠れているよう

画廊に入ってまず私の目を奪ったのは、出迎えてくれる細身で黒色と茶色の混じり合った毛色をした猫だった。この猫と遊びはじめた私はキミコ氏の絵を見ることをすっかり忘れてしまった。この猫は片目しか見えないのだが、シャシャッと床で手を動かすとタタタタっと走ってきてジャレてくれる。画廊で迎えてくれた、キミコ氏のご子息の奥様の説明によると、この猫は3歳とのこと。やんちゃ盛りのようだ。結局作品をじっくり見ることはできなかったが、東京の目黒区にもキミコ氏の施設があるので、作品はそちらに足を運んだ時に楽しむことにしようと思う。

その後神居の町を車で走って見てまわったが、神居神社では人の足跡のみならず犬と思われる足跡があり、どうやら犬との散歩コースになっていることがわかる。そして木々の上の方では何種類かの鳥の鳴き声が聞こえる。これは散歩コースとしては最高だ。
神居神社境内
真っ白の世界

神殿

神居神社からの旭川市の眺め

神社を少し下るとお不動さんがある。外に姿を現す観音さまは、神居の人々の様々な思いを受けとめている不動の存在だ。
お不動さんの観音

このあたりには、その昔山だったところが今ではすっかりなくなったところがあるという。火山灰を運びだしてしまったからだとか。

雪でよく分からないが、ここが昔は山になっていたらしい
こちらは富沢というところの冬景色
田畑の多いところだ

アラジン

その後行ったアラジンというカフェはとても雰囲気のある落ち着いたお店だった。私はナポリタン、母はチョコレートパフェを注文したが、どちらもお店の雰囲気に合う落ち着いたお味だ。珈琲もおいしかった。神居に来られた際は、ぜひとも寄ってほしいカフェである。
ナポリタン

チョコレートパフェ

その後夜の飛行機で東京に戻らなければならなかったので、神居町周辺を散策した後の午後には旭川空港方面へと向かう。

飛行機の時間にはまだまだ早い。でも早くに空港へ向かったのには理由がある。東旭川町にある龍乃湯温泉に寄るためだ。

ここは単純鉄冷鉱泉で、お湯の色が見事なまでに黄土色に近い茶色で、水深五センチにもなると、湯船に入れた手が見えなくなるほどに濃い色をしている。高温の方の湯は、私は1分も入っていられないほどの熱さで、他の人にとっても熱すぎるのか、ほとんど人が入らない。もう一つの湯船はゆっくり入ってたっぷりと汗をかける湯温だったので、長湯したい人にはこちらがおすすめだ。駐車場がほぼ満車だったため、きっと湯船はいものこ洗いだろうと思っていたけれども、休憩室にでもいるのか思いのほか風呂には人が少なくゆっくり入れた。外にはとても小さな露天があるが、こちらは温泉ではないらしい。内風呂の温泉は循環式で源泉掛け流しではないのが残念なところだが、それでも入浴後は身体がぽかぽかになり肌のつるつる感も増したので、アクセスの良さからすると他の遠い温泉に行く時間がない際は再び利用するだろうと思う。

龍乃湯温泉

その後空港に行く前にさらに寄ったのが、旭川空港を利用する際は必ずと言っていいほど立ち寄るレストラン・エスぺリオだ。この日は来店以来初めてカボチャパフェと、リンゴと紅茶のパフェを注文したのだけれども大ヒットだった。油で揚げたカボチャが添えられたたっぷりのソフトクリームの下にはサクサクのクッキーが敷かれている。素材の良さが際だつそのパフェは、しかもお値段400円で(sサイズの場合。mサイズは500円)、驚きのコストパフォーマンスである。もう一つのリンゴと紅茶のパフェも負けず劣らずのコストパフォーマンスを見せてくれ、嬉しい驚きだった。甘酸っぱいりんごに苦みの香る紅茶シロップが混じりあい、たっぷりのソフトクリームと絡めて食べることのおいしいこと。下にはカボチャパフェと同じくクッキーが敷かれ、最後にサクサク感を楽しめるのも良い演出だ。
 
いい思い出をいっぱい詰め込んで、その後またまた東京へと戻った。
りんごと紅茶のパフェ

2011年2月18日金曜日

大雪山から北竜町・サンフラワーパークホテルへ

朝6時に起きて昨日の夜入れなかった硫黄の露天に行くべく石の上に積もる雪を踏みしめながら数十メートル歩くと、露天に着く頃には足のみならず、頭まで冷えてくる。寒い、二月の大雪山の山の中にある露天は「なまら」寒いと、身の縮む寒さをなんとかするためのここでのただ一つの方法、風呂に入ることを実践する。ところが、この硫黄風呂がホッと寒さをしのぐには熱すぎるのである。バシャバシャかけ湯で慣らして何とか入るも一分ほど頑張って我慢の限界に達し外にでる。足がピリピリして痛いが、めげずにもう一度入って大自然の露天風景を意地でも楽しむ貧乏性を発揮するのだが、やはり寒さと湯の熱さに負けて、あっけなく内風呂に戻った。それでも短時間とはいえ、雪の降る露天の経験は何度してもいいものだ。

鹿の谷の部屋からの眺め

鹿の谷の前の道路はこうして温泉(だと思う)が流れていて
凍結しないようになっている。

湯の花が道に溜まっている


『鹿の谷』を出て大雪山連邦から抜け出ると、上川から札幌までのびる高速道路に入り深川インターで降りて、北竜の温泉に向かった。

高速に乗ると、最低時速50キロとの標識が出ていて驚く。ただ、冬の路面状態が悪いときはこれが普通だと母は言う。追い越し車線もないので前の車が50キロで走ると後ろの車もずっと50キロで走ることになる(その後2車線になった)。

しばらく走っていると、マイタケ橋なる橋が出てきた。そして次にはシメジ橋が。これは8キロ先の愛別がキノコの産地であるために付けられた名前と想像するが裏はとってない。その後つくるのが大変だったという2950メートルある愛別トンネルを走り抜けるが、この長さにこの寒さでは確かに大変だったと想像する。

鹿の谷を出てからここまでずっと続く針葉樹と常緑樹のはっきりわかる森林は、雪がかぶり時に強い風が吹くとその雪が舞い、舞台の演出のような効果を観光客の私にもたらし、朝の眠気まじりだったのが、だんだんと目が冴えてくる。

北竜町はひまわりの町で有名で、目につくバス停や街灯のすべてがひまわりの鮮やかな黄色に彩られている。そのため真冬の曇りの日に来ると、ひまわりが売りの町であることを知らない人にとっては違和感があるかも知れないが、そんな違和感を持った人には、私も含めて是非ともひまわりの花咲く季節に来てもらいたい。6月に来た時は菜の花の黄色が局所的に畑を覆っていて、初夏の夏空の青の中で際だって輝き美しかった。

今回ひまわりの咲かない二月という真冬に来たのは、北竜町にあるサンフラワーパークホテルの日帰り湯に入るためだ。
やたらとユーロピアンな建物

でもなぜか入り口にどでかい龍の門が

ここには打たせ湯やミストサウナ、寝湯、そしてひまわりの町だけあってひまわりの種子や油などの成分を入れた湯船もある。しかし私が入りたいのは源泉掛け流しの露天だ。大きな岩で囲まれた大きくも小さくもない楕円形に近い形の岩風呂は、透明感のある茶色っぽい程良い湯加減の温泉で溢れ、大きな湯の花がふわふわ舞っている。母がとにかくここの温泉はしょっぱいんだと言っていたように、海水ほどではないが確かにしょっぱかった。コップ一杯飲むのはきつい塩分濃度かもしれない。ph7、5のアルカリの湯は、保温保湿効果抜群で、湯上がりに何も塗らなくても肌がつっぱらず、身体はいつまでも暖かかった。

そのためか、休憩室はゴロ寝する老人たちでいっぱいだ。良い湯の後はやはり寝て休むに限るようだ。

フロントの方にはソファーがいくつも設置されているので私たちはそちらで休むことに。こちらも広々しているので休むには十分だった。

吹上、幌加、はにうの宿など、この三日でいくつかの温泉に入ったが、また一つ、保温保湿効果抜群の温泉を見つけられた。ここを教えてくれ、運転してくれた母にも感謝だ。

その後旭川に戻って食べた天金のラーメンで私はさらに生き返った。久しぶりにおいしいラーメンを食べられてとても嬉しかった。
店員さんおすすめ醤油らーめん
(大盛りチャーシュー)

旭川~帯広まで 氷瀑祭り

旭川から層雲峡へ向かう道は真冬だというのに、果てしなく向こうに見える稜線の雪景色や道路脇の田畑に積もる雪とは似あわず、アスファルトがまっすぐに顔を見せている。このすっかり行き届いた除雪のお陰で車はいたって順調に進み、一時間ほどで無事層雲峡へと来ることができた。

おしゃべりな母の話をそれまでBGMのように聞き流しながら呑気に乗車していた私は、それまでと何か違うものが視界の隅に入ってくることに気づいた。そして一気にその違和感の方へ目を向けると、北海道で生まれ育った私がもう何度も見ているはずの層雲峡の剥き出しの岩肌が、真冬の冷たい温度のまま冷たい姿を現し、そこには細い木がポツンポツンと生えているのが見える。どこにでも栄養があり、どこからでも植物が生えることを教えてくれるその姿に関心と勇気が湧いてすっかりその光景に目を奪われているうちに、氷瀑祭りの会場が現れた。

氷瀑入り口

上から氷柱が、、、

目の前を川が流れている

幻想の世界

神社もあった

猫の氷像

ところがうわさではよく聞くものの、遠目で見ると巨大な氷の塊の上に中途半端に雪が積もって大した雪像には見えない。そして数人しか観光客の姿も見えない。あれだけ旅行代理店などで宣伝されている氷瀑祭りとはこんなものかとやや期待はずれではあった。それでも一度は身近で見てみようと駐車場に車を停めてあまりワクワクすることなく雪像のそばまで行ってみれば、なにやら巨大氷りの中に入れるようになっている。当然のように中に入る私は、一度落ち込んだ早すぎた評価が急浮上するのを感じた。この頭上から降りる鍾乳石のような氷柱はなんだ。どうやってこれを造ったのかと驚く氷の鍾乳洞が、数百メートル続いているではないか。それは一時の幻想の世界だった。その隣には本当にかまくらのような氷のお家がいくつもあって、中には氷のオブジェがある。そして私はついつい猫のオブジェを撮ってきてしまった。
三国峠

その後この日の宿泊予定の幌加温泉へ向かうべく国道273号線を走って三国峠に入るのだが、眼下の樹海は地面の雪が見えるためか、緑深い季節の頃より飲み込まれるような恐ろしさはなかった。同じ真冬の風物詩でも、層雲峡とは違う効果をもたらしたようだ。
三国峠からの眺め





チェックインにはまだ早いので、幌加温泉を越えてその後も国道273号線を上士幌へと車を走らせるのだが、道路はその後も見事なアスファルトの世界でとても走りやすかった。道の両脇には白樺が葉をすっかり落としてはいるものの、VIPが通るレッドカーペットのようにどこまでも目的地まで私たちを導いてくれるように長々と林立しているのが、本当に導かれているようで、まっすぐ向こうに山頂が望む山が私を呼んでいるように感じる。そんな時、タウシュベツ川棟梁展望所への矢印が見え現実世界へ引き戻された。道路から歩いて180メートルほどのところにある展望所からは、確かに橋が見える。しかしこの橋は、糠平湖の水位が上がると見えなくなるという。確かにそれでは使いものにならないだろう。
国道273号線

白樺林

私は国道から展望所までの180メートルの獣道が楽しかった。鳥たちが群をなすようにあっちへこっちへと舞い、私をからかっているのか遊んでくれているのか何かを訴えているのか、都会の騒音ですっかり聴力の衰えた私の耳には物音のないように聞こえるこの自然のなかで、その美しい声を響かせていた。それはとても美しく、どんな美しい音色の楽器でも太刀打ちできるものではなかった。木々の隙間をぬってできているあちこちに広がる鹿の足跡を見ても、私が太刀打ちできるものではないとつくづく思わせられた。せいぜい私はそんな動物たちに感嘆し、動物園の動物とは違うことに今更のように驚き、その新鮮さに喜び、熊出没注意と看板が出ていても、私の目の前に熊がいない幸運の中で、丸だしの野生を満喫するだけだった。
タウシュベツ川棟梁展望所から

中央右に橋が残る

こんな中を歩いていく

実はここにたくさん鳥がいる

こんな巨木もある

あまり知られていないことかもしれないが、上川から上士幌まではガゾリンスタンドが一つもない。なので上士幌のガソリンスタンドまで走るガソリンが入っているか、当然注意が必要である。だが、上川の最後のスタンドには上士幌までガソリンスタンドこの先なしとの小さな看板が出ているので注意して見てもらいたい。僻地だけあって、こういうことに関しては親切だ。

士幌に着くと、帯広まで三十数キロとの看板が信号機の下に出てくるようになる。すると帯広に一度も行ったことがないという母が突然、ここまで来たなら帯広まで行きたいと言い出す。運転するのはペーパードライバーの私ではなく雪道に慣れた母なので、老体に自らむち打つ母を止める理由はない。そして私たちは急遽国道241号線に入り、帯広へと向かうこととなった。

十勝平野では畑が一面に広がっている。上川盆地より比較的温暖で雪も少ないところだ。国道241号線から見える畑には、十勝平野独特の黒い土の上に雪がまばらに残るだけで、上川盆地のような、全面を雪が覆っている景色はない。その中で豆腐を売っているある農家を見つけた。車を停めてお店に入ってみると、奥からおじいさんが出てきてくれる。豆乳を飲みたくなったため、豆乳はあるか聞いて見るもないという。そこで豆腐を一丁購入した。大雪工房というこの農家では、自家生産の大振袖大豆を使用した豆腐を600グラム370円で売っている。他にも味噌や油揚げ、他品種の豆などが売られていたが、私たちはこの巨大豆腐一丁だけを購入し、きっとここで穫れた大豆であろう周囲の畑を親しみを込めて眺めながら、早速食してみた。あっさりしているのに歯ごたえのある、昔懐かしい豆腐の味だった。
多分豆畑(だと勝手に思っている)

中には豆腐が入っている


その後しばらく車を走らせると、一面畑のなかにポツンとある恐らく小学校のグラウンドだと思うが、話によく聞く手作りスケートリンクを見つけた。けれども子供たちは授業中のためか、誰も滑っていない。
グラウンドのスケートリンク

その後音更町に入り、十勝川温泉の看板があちこちに見えはじめ、車疲れが見えてきた母と私はどこか温泉に入ることにした。そこで「HO」という北海道情報誌の無料で入れる温泉クーポンに十勝川温泉で唯一あった、『はにうの宿』に行くことにした。
はにうの宿

国道からそれて若干わかりにくいところにあるが、何とか到着。ph8以上の弱アルカリの温泉で、植物性腐食質などの有機物が多く含まれているとの説明のあるモール泉だ(あまりよくわかってない)。この琥珀色のお湯は湯船に大小の湯の花が舞い、入ってしばらくすると血行がよくなって体が楽になってくる。しばらく入って汗が出てきてしばらくしたところでこの後のことを考え、もっと入っていたかったが早めに出ることにした。ほっと一息つける良い湯だった。10くらいある洗い場がわりとずっと埋まっていたのを見ると、広さの割には混んでいるのかもしれないが、湯船は十分広くてリラックスするには文句ないと思う。

その後母の念願叶って帯広に着く頃には、雪というより雨が降ってきた。私たちは雨を逃れるように柳月というお菓子屋さんに入ったのだが、ここは母がススメる帯広本店のお菓子屋さんである。帯広というと六花亭が有名だが、柳月はどういうところなのか、私も興味をもち本店に入ってみた。
帯広の柳月本店

店内に並ぶお菓子の数々は、確かにどれも欲しくなる美しさと可愛さ、そして手頃なお値段で、正直とても驚いた。京都ならこの倍の値段で売っていると思う和菓子や、東京ならこの1、5~2倍は取るであろうという洋菓子の価格だ。本店は種類も豊富で、一通りすべての商品を見てみたが、どれも本州の真似事に終わらずオリジナル色が出ていて北海道人の私としても誇らしかった。あずきや乳製品などの産地が近いからこの値段にできるのかはわからないが、安いからといってサービスが悪いなどということは全くなく、セルフで飲める無料のコーヒーがあったり、店員さんは誰もが紳士淑女の佇まいだった。帯広まできて思いの外この柳月本店に来られたのが私の最大のうれしい発見だった。

柳月で東京に残る夫にお土産を買うと、雪が雨になった帯広を後にして宿泊地の幌加温泉の『鹿の谷』へと向かう。来た国道を北上するにつれて雨が雪に変わり、徐々に寒い地域へ移動していることを実感しながら乗車すること2時間。ふらふらになりながらも母は運転を続け、『鹿の谷』にチェックインできた。その後部屋に入ると母がごろんと疲れを布団に吸い取らせたことをは言うまでもない。この日も頑張る母だった。

しばらく休んだ後に入った温泉は最高だった。三度目の宿泊になるのだが、露天までの道が暗いために露天は断念したものの、内風呂だけでも十分疲れが流された。6月来たときよりも湯温が低く感じたが、じっくり長湯できてそれはそれでよかった。ただ、女性用内風呂の硫黄の湯だけが入れないほどに熱かったので、ここはかけ湯だけにした。因みに客は他にいなかったようで、私と母の貸切状態だった。

こうして疲れを癒し、この日の旅を終え眠りについた。