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2010年9月30日木曜日

球根ベゴニア

神代植物公園大温室の球根ベゴニアです。
「大変デリケートな植物ですので触れないでください」とのことです。





このように、鉢に植えられた球根ベゴニアがズラ~っと並んでます。
お花畑のようでした。

2010年9月29日水曜日

珈琲 凡

新宿駅東口を出てすぐのところにある珈琲店『凡』に立ち寄りました。メニューにブルーマウンテンが一日八杯までとあり注文したかったのですが、午後3時に入店したときには既に完売でした、残念。そこでコロンビアを注文。
途方もなく棚に並ぶ食器から店員さんが選んでくれた器です。

出てきたコロンビアは酸味のある香りと酸味のある味わい、いずれもすっきり爽やかで、軽い飲み口でした。ポットで出てきて、カップ二杯分ほどはある量です。一杯1050円ですが、二杯分と思えばそれほど高くないと考えられるかも。ゆっくりくつろぎたい方におすすめです。

私が来店したときは二人組のおじさんと、店員さんと顔見知りらしいおじさんの三名だけでしたが、1時間もするとどんどんお客さんが入って来ました。
店内

店内はテーブルや柱、棚に使われている木がとても重厚で、地下一階とは思えない自然の安らぎを得られます。照明の暗さもそういった演出の効果を狙っているのでしょうが、本を読みたい私にはちょっと暗かったです。おしゃべりするならテーブル席、読書するならカウンターの方が明るいのでそちらがオススメですが、テーブルが喫煙席で、カウンターが禁煙席との分け方でした。

珈琲とスウィーツを楽しめる純喫茶『凡』でした。

帰りに『凡』のある通りを紀伊国屋方面に歩いてその隣のディスクユニオンでマルタ・アルゲリッチのCDを三枚購入しました。
そのなかの一枚、『マルタ・アルゲリッチ デビューリサイタル』からは、彼女の若い頃の勢いを感じます。1965年録音のショパン演奏も若さを感じます。もう一枚は83年の演奏でシューマンですが、これから聴きます。楽しみです。

2010年9月28日火曜日

はげ山の一夜

ホラー音楽の元祖とも言われるムソルグスキー作曲『はげ山の一夜』について。

ムソグルスキーはロシア五人組の作曲家の一人で1881年に42歳で亡くなりました。『はげ山の一夜』にはムソルグスキーの考え出したいろいろなアイディアが盛り込まれているのですが、そのうちの一つが狭い旋律でできているとされるロシア民謡の要素を取り入れること。この旋律のあり方を入れることにより、ムソルグスキーは人の恐怖心をあおることにチャレンジしました。ディズニー映画ファンタジアではこのムソルグスキーのホラー的世界が再現されていると言われてます。そういえば、高校の音楽の授業でファンタジアを見させられました。

ムソルグスキーが42歳で亡くなったとき、はげ山の一夜は現在演奏されているのとは違うかたちで残っていたのですが、このまま世に出してもちょっと受け入れられにくいのではないかと考えたのが友人で同じくロシア五人組の一人コルサコフです。コルサコフはムソルグスキーのこの曲にかけた思いを何とか浮かばせてやりたいと思い、『はげ山の一夜』の編曲に2年の歳月を費やしました。そして今の『はげ山の一夜』完成です。編曲したことをムソルグスキーが喜んでいるのか怒っているのかは、二人の理解の関係性をよく知らない私にはなんとも言えませんが、オリジナル版も聴いてみたいです。

名曲探偵アマデウスより

(注:クリックすると音が出ます。)
はげ山の一夜
ディズニー『ファンタジア』に出てくる『はげ山の一夜』

ある雨の日の東郷青児美術館からの眺め

ウフィツィ美術館展

東郷青児美術館で開催中の『ウフィツィ美術館 自画像コレクション展』に行ってきました。自画像にはあまり興味を持ったことがないのですが、1664年から現在にいたるまでの60点近いウフィツィ美術館の自画像コレクションはなかなか奥深いものがありました。

まず、なぜ自画像が存在してこのように展示されるのかとの疑問が湧きます。

古代・中世には、画家たちはどんなに頑張っても常に無名の職人でした。それがルネサンスを迎えて人文主義が高まると、人間の尊厳が声高に叫ばれ、画家たちも無名の職人から美術家へと自他共に意識を変えることを求めるようになります。自己の尊厳の主張ともいえる自画像の制作だとすると、確かに意欲的になりそうです。

ちょっと話がそれますが、ファッションの世界でも、一昔前まではモデルは無名の存在でした。それが80年代頃からナオミ・キャンベルなどスーパーモデルと呼ばれる人々が出てきて脚光をあびるようになります。彼女たちのちょっと前までは、モデルはポーズをとるだけの人で、写真(ここではファッション写真のことですが)の価値に対して被写体の能力は無視される存在でしかなく、写真の価値は写真家の腕前としてしか評価されなかったのです。因みにシンディ・クロフォードはその一昔前のジアというモデルに似ていることから(私は似ているとは思わないのですが)デビュー当時はベビー・ジアと呼ばれてました。が、このジアやキース・リチャーズと結婚したパティ・ハンセンなどがスーパーモデルの始まりとも言われてます。70年代に出てきた彼女たちは、言われるままに撮られるだけではない強烈な個性の持ち主なのでした。

自画像の話に戻りますが、私が意外に思ったのは、全三章からなる展示の第一章であるメディチ家時代のコレクションに女性の自画像が多いことです。新宿で展覧会を開くという現代を捉えて、あえて女性画家の自画像を多くもってきたのか、それとも当時の画家全体に占める女性の数がそれなりに多かったのか、要リサーチなところです。

1664年から1736年までがレオポルド枢機卿とメディチ家のコレクションなのですが、この時代は女性が外で働くことは「はしたない」とされていたために、女性画家たちのテリトリーもその「はしたない」ところから遠い所に限られていたそうです。でもよくよく考えてみると、女性が外で働くのがはしたないというのは、外の世界、つまりここでの意味だと男の世界がはしたないと捉えることもできると思います。ものは言いようで、言い方によって全く違う印象になります。私は当時の社会をよく知りませんし、何をもって「はしたない」とされていたのかも知りませんが、現在は武器を持って血を流す戦いは少なくとも日本の一般社会ではなくなり、組織においてもセクハラという定義があったりと、随分「はしたなさ」が減ってきたのではないでしょうか。そして当時よりさらに広く尊厳を主張できるようになったのではないかと思います。逆に今となっては船や電車などに女性専用の部屋や車両があることが逆差別だと言われたり、米系企業などは女性専用というのが黒人専用バスのように聞こえるらしく批判されたりと、問題の質がいろいろ変わってきました。

パンフレットの『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』

第二章はトスカナ大公国がメディチ家からハプスブルク家へと変わってからの時代です。

この章に『マリー・アントワネットの肖像を描くヴィジェ=ル・ブラン』という作品がありましたが、ヴィジェ=ル・ブランは当時35歳だったそうです。でも自画像はものすごく若く初々しく見えます。自画像は、画家によってはナルシズムの発露でもあり、ものすごく格好良く描いたり、若く描いたりすることが少なくないことが、どんどん展示を見進めていくとわかります(ヴィジェ=ル・ブランがそうかはわかりませんが)。マリー・アントワネットが生きていた頃はアントワネットに気に入られてアントワネットを描いていたようですが、アントワネットの処刑後は各地の王宮に歓待されて他の人物の肖像画を描き続けたそうです。芸が身を助けるとはこのことですね。ヴィジェ=ル・ブランがこの自画像のように美しかったのなら、きっとその美しさも良い方に影響したと思いますが。

最も個性豊かだったのは、第三章にあった草間彌生の自画像でした。ドットの使い方は彼女ならではの感覚なのだと思いますが、とても強烈です。小さい頃から幻覚を見たという草間彌生だそうですが、良かったです。

美術館のある損保ジャパン本社ビル42階からの眺めです。
真ん中の緑は新宿御苑。

2010年9月27日月曜日

カフェ マメヒコ

カフェマメヒコというお店が渋谷文化村のちょっと奥の方にあるのですが、すっかり気に入ってしまいました。

奥のポットにはコーヒーが入ってます。右は生ハムトーストです。

珍しいと思ったのが、深煎り珈琲を注文すると、コーヒーがポットで出てくるんです。ポットで出てくる紅茶のように、なくなっては足し、なくなっては足しして飲めるのがとてもありがたいです。

づんだ餅

店名がマメヒコというだけあって豆が売りのようなのですが、私が行ったときはづんだ餅がオススメとのことでした。そこで注文すると、過去最高のづんだ餅が出てきました。こんなにおいしいづんだ餅を食べたのは初めてです。北海道十勝で女性スタッフ二人の常駐体制でハタケをやってると店内の黒板にありましたが、そこで収穫された枝豆のようです。
豆のかたちがそのまま残っているところに豆あんをつけてシャキッとしたもち米と共に食べる喜び、最高です。甘すぎない自然の味とこの触感、重ねがさね最高です。10皿くらい食べたかったです。

生ハムのトーストには、フォークとナイフがついてます。

枝豆を食べてる人がたくさんいる、なかなか珍しいカフェでした。一人でゆっくり本を読んでる人、話に花を咲かせてる人などそれぞれで、わりと賑やかな店内でしたがとても居心地のいい空間でした。

その後渋谷の街を久しぶりに歩いてみましたが、ディズニーショップがあったり、アップル社のショーウィンドーなのかわかりませんが、ipadなるものを初めてそこで使ってみました。見る分にはいいのですが、キーボードをあの画面で打つのはけっこう至難です。平らなのでミスタッチが多くなってしまいます。

若い店員さんたちの中には外国人も多いのですが、やたらと気さくに話しかけてくるところに渋谷だなあと、そこまで若くない私はつくづく思いました。そして、まったく訛りのない日本語を話す見た目外国人に、親近感を通り越して違和感をもってしまう田舎なおばさんなのでした。私も気さくに説明してもらえば良かった・・・。

アップル社の隣のお店には、ついこの間横浜美術館で見てきたばかりの数メートルはあろう『ドガ展』のポスターがあるのでなんでかと思ったら、バレエグッズのお店でした。男性用女性用なんでも揃うことが外から見てもわかります。

あらゆるものが入り交じる渋谷、恐るべしです。

次から次へと変わりゆく渋谷に、たまにしか来ない私はオドオドです。何よりあの若い子たち、そしてそんな若い子とかわらない格好をするその二倍は年を取ってるであろう人たち。東京郊外で暮らす私は、完全にお上りさんでした。

2010年9月26日日曜日

大宮氷川神社

大宮駅東口を出て20分ほど歩いたところにある大宮氷川神社に行ってきました。2000年以上の歴史に包まれた風情ある良いところだとの話を聞いて是非とも来ようとずっと思っていたのですが、ようやく足を運ぶに至りました。

けやきや桜などの木々が林立するまっすぐの参道には、木だけでなく石積もあって、日本庭園のようです。土日のせいか、散策する人がたくさんいました。

拝殿

鳥居を越えると駅前の喧噪とは打って変わって厳粛な雰囲気です。拝殿手前の両脇に広がる池には亀やコイがたくさんいました。平和な境内からは、少なからず安らぎをもらえます。

氷川の杜文化館の竹林

境内にも竹林がありますが、ちょっと離れたところにある氷川の杜文化館も竹林が見事です。それぞれに太さも色も違う竹が、一斉に空めがけてのびていて、木陰をつくってます。ただ、休憩所に座っていると蚊が多くて刺される危険大です。お気をつけください。
 
帰り道、参道を歩いていると日差しがとてもまぶしく斜めに射してきました。涼しいのか暑いのか、微妙な一日でした。
 
近くに鉄道博物館もある大宮氷川神社でした。
舞台なのか、こういうところもあります。

2010年9月25日土曜日

ヒガンバナ

ヒガンバナ
花言葉は「情熱」「悲しい思い出」「独立」「再会」「あきらめ」です。
近くの公園や川沿いの花壇など、
いろいろなところで見かけるようになりました。

美容院に行くと佐賀出身の美容師さんが担当してくれたのですが、
九州は南方と思ってる人が多いのですが、実際は西ですよと。
確かに鹿児島に行ったときは日の出が遅かったです。
逆に日の入りも遅いので、夕方遅くまで観光できるんですけどね。

佐賀で催される11月のバルーンフェスティバルは
一見の価値ありだそうです。

2010年9月24日金曜日

フランダースの光

ちょっと肌寒いなか、文化村で開催中の『フランダースの光』展に行ってきました。数週間前に見に行った同じくベルギーの画家を集めた展覧会『アントワープ王立美術館コレクション展』が全体として暗い印象だったのに比べ、『フランダースの光』の方はアントワープと地理的にはものすごく離れているわけでもないのに、パンフレットの絵が明るいので不思議に思い、興味を持ちました。

フランダース地方の小さな村ラーテムに画家たちがコロニーをつくって活動していたのですが、彼らは膨張する都市の喧騒を離れて田園のなかに制作の場を求めました。ラーテムはそこに集まった画家たちの出身地である文化都市ゲントから遠くないというのが良かったようです。


ただ、なぜコロニーをつくるのでしょうか。フランソワーズ・サガン著『サラ・ベルナール』のなかで、サラが、私たちの時代は才能がある人しか舞台に立てなかった・・・才能がない人はすぐに観客席に座らされたものよ・・・と言ってましたが、サラと同時代を生きたはずのこの画家たちは、コロニーをつくることによって少なからず傷の舐めあいをしていた感があるように思います。ユートピアを求めたのでしょうか。
この展示では時代順に象徴主義、印象主義、表現主義の三つの章に分けています。私がパンフレットで見て明るいと思ったのは、第二世代の印象主義の時代でした。光を追い求めただけあって、明るいんです。どおりで。この時代には、大原美術館のコレクションを築いた児島虎次郎や太田喜二郎もいます。二人はエミール・クラウスに師事してました。

第一世代は深い精神性を描く象徴主義です。精神世界を掘り下げるとこんなにも暗くなるのかという暗さです。アントワープを見に行ったときと同じ暗さがここにあります。ヴァレリス・ド・サードレールの『静かなるレイエ川の淀み』の川と空が同じ色に見えるところまで同じでした。あまり細かく見ないからそう見えるのかもしれませんが。

第三世代では新たな造形を求めて表現主義やキュビズムが出てきます。が、戦争を経て新たな潮流が過ぎていき、1920年末にこのコロニーは自然消滅しました。時代の変遷がここにもありました。

2010年9月23日木曜日

大雨

今日は朝から雷がなり響いて大雨が降り、気温も一気に下がりました。降った雨がアスファルトの地面に落ちると飛沫となって跳ね上がるほどの強さです。そのためか、外を歩く人の姿もまばらです。

この夏に行ってきた平泉のことをちょっとは調べてみようと大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』なる書籍を読んでみました。が、三代で終わった奥州藤原氏、結局あまりよくわかりませんでした。

シルクロードの始まりは砂金のとれる平泉なりと著者が豪語しているのと、平安の当時は極楽浄土思想がはやっていて、平泉でも毛越寺のような極楽浄土庭園ができたりしたなどなどでしょうか。

オヤジギャグ連発の著者でした。


BS世界のドキュメンタリー『いのちを救いたい ~モザンビーク 助産師奮闘記~』では、モザンビークの医師不足が深刻であることが伝えられてました。そのために、助産師が帝王切開の手術を施せるよう研修を受け実務にあたる制度ができたのですが、大変な日々に向き合う助産師エミリアの姿、ヘトヘトです。それでもやりがいをもって取り組むエミリアでした。


 

2010年9月22日水曜日

9月の花 神代植物公園 大温室

パキスタキス ルテア
アデニウム
サンタンカ
ベニヒモノキ
クレロデンドロム・ウゲンデンセ
カカオ
熱帯スイレン
アサヒカズラ
イエライシャン

同じ9月でも、外の公園に咲く花とは大分違う熱帯植物たちでした。
あのあちこちにある大きな葉っぱ、
宮廷であれを使ってお姫様などをあおいでるのを見たことがあるような。

2010年9月21日火曜日

9月の花 神代植物公園

9月下旬にさしかかる神代植物公園です。
ヤナギバタムラソウ
ヤナギバタムラソウの花
芙蓉
パンパスグラスのある芝生広場
ボール遊びをしたり、御座を広げたりと、くつろげる広場です。
パンパスグラス
ハギ
花言葉は「思案」「思い」「柔軟な精神」
秋の七草の代表です。
オミナエシ
花言葉は「永久」「親切」「美人」
こちらも秋の七草のひとつです。 
クサキョウチクトウ
セイヨウノコギリソウ
クサキョウチクトウ

秋のバラの盛りはまだですが、ところどころバラが咲いて
ほのかに香るバラ園にもお客さんがけっこういました。
一日いても飽きない神代植物公園でした。

2010年9月20日月曜日

深大寺

調布にある深大寺は733年に満功上人が開いた古刹です。

調布駅から深大寺行きのバスに乗ると、深大寺が近づくにつれて徐々に緑が多くなってきます。20分ほどバスに揺られて深大寺バス停に着くと、重厚な藁葺の山門をくぐり、次にまたまた重厚な「浮岳山」の山号のついた門が現れ、先程まで続いた調布の住宅地から一気に雰囲気がかわります。

本堂

お蕎麦屋さんやおみやげ屋さんが建ち並んでいるので、緑濃い深大寺を休み休み栄養補給しながらまわれます。でも、思っていたより境内はこじんまりしてました。

本堂の彫刻
いつもお寺のこういう木彫りを見て見事だと感心してます。
こちらも。

痛いところを触ると治るとのご利益がある木彫りのおじぞうさんがありましたが、肩や膝のところがテカテカになってました。みなさん痛いところは同じようです。

山門から入って境内をそのまま進むと神代植物園の入り口に出ます。そちらの画像は後日アップします。『秋のバラフェスタ』は10月9日からでした。春のバラも良かったですが、秋のバラも楽しみです。

2010年9月19日日曜日

ドガ展

横浜の海

横浜美術館でスタートしたドガ展に行ってまいりました。あまり混み合うこともなくスムーズに見てまわれました。

「踊り子の画家」とよく言われますが、人物画や風景画も描いていて、多数展示されてます。交流があったマネの肖像もあります。ある絵ではマネの妻も描かれているのですが、気に食わないとマネが妻のところを切ってしまったというエピソード付きの作品も展示されてます。

当時物議を呼んだという『14歳の小さな踊り子』という彫刻もありました。思っていたより小さかったですが、何か独特の雰囲気の彫刻だと思いました。ドガの踊り子への優しさなのでしょうか。『エトワール』のピンクもとてもきれいです。

視力が衰えてくると油絵からパステルに切り替えて描き続けたり、さらにそれも難しくなると写真や彫刻もやるなど、何があろうと創作に取り組み続けるドガの情熱のすごさが伝わってきました。


パシフィコヨコハマと、左の半円形はインターコンチネンタルホテルです。パシフィコヨコハマの前にはコスプレをした若い人たちがたくさんいました。何かイベントがあるようです。

因みに、ドガの時代の新たな社交場は競馬場だったそうで、競馬場の光景も描かれてました。
大分暗くなってきました。


真っ暗になった横浜の海です。
夜のほうが波が荒く押し寄せてきます。
階段に座っていると、ポチャン、ポチャンと時々魚が飛び上がります。
けっこう魚がいるようです。
なかなか良い光景でした。

2010年9月18日土曜日

9月の花

都内に咲いていた花です。
静かに音の響く隣に咲くやぶらんです。
やぶらん
花言葉は「謙遜」です。
近所ではバラが咲き始めした。

大分涼しくなってホッとしてますが、
すっかり日暮れも早くなりました。