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2010年10月31日日曜日

台風の日に温泉

昨日の台風はすっかり東京を過ぎたようで、今日はわりと晴天でした。

台風の近づく大雨のなか、家にいても身体が冷える一方なので、
多摩境にあるいこいの湯に行ってきました。

駐車場は6~7割くらい埋まっていて、
混んでるかなあとお風呂に向かうと、
やはり台風のせいか以前来た時より空いてました。

ここのお風呂の中で唯一源泉かけ流し風呂のある露天へ。
露天は屋根のないところもあり、お湯には強く打ち付ける雨が。
これもまた風流です。

熱めの源泉はとてもいいお湯でした。
保温効果があって入浴後もポカポカです。
都内にこんな温泉があって救われた思いです。

身体が冷えた頃、また来ようと思います。

MLBはサンフランシスコ・ジャイアンツが勝つのか、テキサス・レンジャースなのか。
レンジャースの投手陣が心配ですが、明日の試合が楽しみです。

2010年10月29日金曜日

公園にて

近所の公園に行くと、ユリノキの枝の先の葉は枯れてきて、風が吹くたびに葉が舞い落ちます。
その公園で丸い穴になっている木をみつけました。

象の肌のような木肌

黒ずんでるところは水分でしょうか。
よく見ると、アリがうろうろしてます。

アサガオ
花言葉は「明日もさわやかに」「はかない恋」。

色々発見の多い、常に変化していく植物でした。

2010年10月28日木曜日

ドミニク・ペロー

12月並の寒さで目を覚ますと、布団から出たくなくなります。寒い~。

それでも冷たい雨が降る中一念発起して行ってきました、オペラシティの『ドミニク・ペロー 都市というランドスケープ』展。私は建築家が都市をダメにするという意見に賛成なのですが、この展示を見てその考えが変わるか楽しみなところです。

ドミニク・ペローの歴史より地形という概念を重要視する点、人間が接する自然はすでに人為が加えられたもので、大地に痕跡を残すことがその関係においてもっとも原始的であると捉える点、場を作り出すことへの関心、建物が他の要素とともに都市のシルエットをつくるものでありたいとの願い、建築がランドスケープを構成する要素であり、ランドスケープとは人為によってかたちづくられるものだという意識が必要との考え方などのなかには共感するものが少なからずあるのですが(理解できなくはないがすべてしっくりくるわけではない)、実際に彼が設計した建築を模型や写真を見ると、それらを実現しているとの実感は得られず、これまで通り、高層建築嫌いは変わらぬままでした。残念。

大阪富国生命ビルについては、大阪の地下街を樹の根に見立て、立ち上がる大樹をイメージしたらしいのですが、私にはちょっと変わったビルにしか見えず、そのコンセプトを一見するだけで体感するのは難しかったです。

因みになかなかな大志を抱くドミニク・ペローはフランス国立図書館やベルリンのオリンピックプールも設計してます。

本当は日比谷公園のガーデニングショーに行くつもりだったのですが、寒さと雨でドミニク・ペロー展に変更しました。日比谷公園はこの寒さでも人が来たのでしょうか。あと数日で終わってしまう~。

2010年10月27日水曜日

道東の樹海と都会の喧騒

(『写真で見る下北半島と美幌峠 』からの続き)
去年の冬の東京タワーと10月摩周湖に行った時より、群集と樹海について。

東京タワーから街を見下ろすと、官庁街や新宿副都心、住宅街などが見渡せ、四方八方どこまでも箱のような建物が続いているのがわかります。その密集ぶりは、人がくつろいでいるはずの住宅街ですら、地上からの実感だとこんなに気分の塞ぐものを知らないくらいです。

その気分の塞ぎようは、東京タワーの展望室から地上の人を見つけたときに、その働き蟻のように動く姿を目にして自分もこんなに小さな存在かと高見からがっかりするのとは大きく違います。それは満員電車の圧力のように、実際に身に降りかかってくる閉塞感で、人が高見に立ったときの何か達観したような安堵感は皆無です。

タワーを150メートル上がった非日常という日常との差異から生まれるそんな世界観は、温泉で一時疲労から開放される程度に持続する解放感に似ています。ところが実際に踏みしめるコンクリートやアスファルトの上には膨大な群集がひしめき、ある人は支配欲に駆られ、ある人は世捨て人となりながら、その日その日を暮らしています。

そんな群集のなかの孤独に身を置くと、それは時に心地良く、適度に寂しさを紛らわせてくれることがわかります。更に最近の流行や人々の興味の対象が見えてきて、なんとなく社会や時代を把握できてきます。しかし本当の意味で何も受け止めることのない群集は孤独感を増す原因にもなりかねない存在であり、どこに手を伸ばせばいいかもわからず、方角を失ったまま樹海を歩く途方無さを突きつけてきます。

いずれ亡骸になる自分の肉体が戻る土が見えないとは根無し草の恐怖をもたらしますが、そんな恐怖とは無縁のものが一方であることを、道東を旅していて思い出すことができました。


摩周湖の展望台に立ってカムイシュ島を見ると、そこには水位がほとんど変わらないとされる青い色の湖と、それを取り囲む樹海の景色に日常のストレスを忘れます。銀泉台からの眺めもそうでした。そこにあるすべて受け入れてくれそうな安心感とは、この肉体が亡骸になったら動物が肉を食べ、白骨化するまでバクテリアが自分にかかわってくれることを保証されているからこそで、つまり自分の存在が無駄ではなく、何かの役に立ち、帰るところがあるという安心感です。

そんな道東の樹海を貫く道路を走り続けて二、三日もすると、普段家に居る時ならばかけている音楽を必要としなくなるから不思議です。聞こえるてくる音は風の音と足音だけという世界では、もう音楽はいらなくなります。そしてそれは都内に戻っても二、三日続きます。その後は再び音楽が聞きたくなるのですが、それは耳の中に侵入してくる工事の音や話し声などをかき消すためかもしれません。毒をもって毒を制すようなものです。あるいは作曲家がもう帰れない祖国を思って曲をつくるように、労働現場では失われた何かを求めて音楽を聞くのかもしれません。

どんなに落ちぶれても失われない強い意志の力すらも、大自然のなかに身を置くとすっかり力を失い、そこに生える一本の木と同じだけのパワーしか自分にはない(それだけのパワーはあるとも言える)ことを教えてくれる道東の樹海でした。

2010年10月26日火曜日

フジウのソレイユ

高幡不動にあるフジウという洋菓子屋さんで買ったケーキです。
左からモンブラン、シュークリーム、ソレイユ。
モンブランとシュークリームは何度も食べたことがありますが、
今回ソレイユというケーキを初めて買いました。
ものすごく美味しかったです。
夕方五時頃行くとほとんどの品がなく、いずれも一つだけ残っていたのを
たまたま買ってみたのですが、期待以上でした。
一番下にタルトのようなかための生地があり、
杏のムースとキャラメル味の何かがのっかっていると思うのですが、
見た目の印象より甘くなく、しっとりした味わいです。
ケーキは小ぶりですが、満足感は大です。
また機会があったら必ず買います。


マルタ・アルゲリッチ演奏のショパン『舟歌』(注:クリックすると音が出ます。)
ショパンの中でも特に人気の高い曲です。

2010年10月25日月曜日

写真で見る下北半島と美幌峠

写真には対象を客観的に記録するという特徴がありますが、旅に行って自分が撮った写真を見ながら、記録と主観的な記憶の旅にもう一度行ってみることに。

見ていた写真は今年の8月に行った下北半島と10月に行った美幌峠。

いずれもその面積のほとんどを人間が住むところとしていない土地で、なのに立派な国道という名の舗装道路が地の果てまで完備してます。

田中角栄の手腕が色濃く残るそんな下北の国道を走っていると、いつしか野生の猿が出没するところに出て、仏ヶ浦を拝むことになります。恐らく誰もいない写真で見るこの仏ヶ浦は、ただ誰かが仏ヶ浦と名付けただけで、波が打ち寄せては引くのを、その音と共にあるだけです。たとえ私がその地に降りて足跡をつけても、それは波に消され、偶然迷い込んだ鳥がそこに降り立つのと同程度に人目に触れないという気楽さがあり、同時にここで死んでも誰も知ることもないとの寂しさがあります。そんな本州の北端を車は故障することもなく走ってくれたことを思い出しながら美幌峠の写真へ。

美幌峠までの立派な国道は鈴木宗男を連想しますが、この道路をくまなくつなげた労働力を思うと、中国がなんだかんだいっても世界経済でしのぎを削ろうと出しゃばるのが分かる気がします。

下北半島もそうですが、写真に残る美幌峠の自然も円や曲線でつくられていることがわかります。屈斜路湖にある中島も円形で、周囲の屈斜路湖も曲線でかたちをつくってます。美幌峠から360度みまわしても、阿寒の山々はなだらかな勾配をつくり、これから沈もうとする太陽も円形です。

丸い眼球で見たそれらの風景にひとつだけ違和感があるとすれば、道の駅の建物です。長方形のボディに三角屋根というのは、そこに人がいるシグナルを、敢えて大自然のなかで発しているのではないかと思う異様さです。土地をならして住居をつくる生活をする人なら誰しも人間の存在を察知する信号のような、直線と直角でつくられる建物。美幌峠からはそんな人らしさは道の駅一つしか見つかりません。

道路は十分人間的で、下北半島や美幌峠を走っていると、あと何キロで〇〇市などと常に標識が見えて、気持ちは車と共に目的地に向かいます。しかし峠の上から周囲を見下ろすと、そんな道路は大きなたらいから水がチョロチョロ漏れ出てくる時にできる水の跡程度のものでしかないと気づき、とんでもなく人里離れていて人間より他の動物の方がはるかに多く生息するところであることに気づきます。

遭難したわけでもないのに、写真を見直すと、そんな思い出と恐怖があれこれ頭を交差します。ところが面白いことに、実際美幌峠に立った数日後に自分が暮らす東京の摩天楼を目にすると、逆にもうコンクリートジャングルでは生きていけないと思う自分がいます。長方形の建物が所狭しと建ち並ぶこの光景。これ以上に人間的な眺めはないと思い、実際これ以上に人口密度の高いところなどないという大都会を眺めながら、群集と樹海について考え始めました、、、(続く)。

2010年10月24日日曜日

神代植物公園 大温室 10月

パピルス
エジプトナイル川流域に生息して、
紙の原料として有名なパピルスを
今回初めて見ました。

ハイビスカス
花言葉は「新しい恋」「上品な美しさ」です。

アリアケカズラ

ハナショウガ
面白いかたちです。

10月上旬に神代植物園に行ったときの大温室の花です。
バラフェスタ期間だったので、大温室もずっと列続きでした。

東京も寒くなってきましたが、北海道の人々は雪を心配し始めてます。
奄美の大雨も気になります。
先日朝から夕方まで断水しただけでも大変だったというのに。

水の恵みと水の脅威。

MLBワールドシリーズはサンフランシスコ・ジャイアンツ対テキサス・レンジャースになったんですね。ヤンキースは強いんだか弱んだかわからないチームでした。高齢化して活気もない気が。かたやNFLも始まるしで、娯楽大国アメリカを実感します。

年末年始は群馬の温泉にでも行こうと
草津や川原湯の宿に電話してみましたが、
12月に入ってからまた電話してください、年末は空いてます、
正月は混みますがという宿もあれば、
正月はもう埋まってます、
年末は正月準備のため休みですという宿もありました。
基本的に正月が混むようです。

年を重ねてすっかり温泉成分が
身体に染み込むありがたみがわかる身体になりました。
今年の年末年始は温泉のありがたみ、
水のありがたみを実感してきたいです。
断水は辛かった・・・。


2010年10月23日土曜日

季乃彩

南武線南多摩駅から徒歩5分ほどのところにある温泉『季乃彩』に行ってきました。

土曜日の夕方行きましたが、相当混み合ってました。露天にある源泉かけ流しの岩風呂をメインに入ってましたが、湯船が満員状態です。シャワーも満席状態でした。やはり都心に近いところの温泉は混雑するようです。

お湯の方はナトリウム炭酸水素塩・塩化物温泉とのことで、ヌルッとしたお湯に浸かっているとお肌がすべすべになります。いくつも並ぶ露天の湯船は最も高いのでも41度強と、それほど熱くない温泉です。

寝っ転がっているところに温泉がチョロチョロ流れてくる寝湯がなかなか気に行ってしまいました。

ただ源泉かけ流しというわりには塩素臭が気になりましたが気のせいでしょうか。それでも平日700円、土日祝日900円で温泉を楽しめというのは、不況続きのご時世にあってはありがたいことです(だからかとても混み合っている)。

2010年10月22日金曜日

香水瓶の世界

東京都庭園美術館の西洋庭園ではキンモクセイが枯れ初めて香りもほとんど発しなくなるなか、、美術館では『香水瓶の世界』という展示が公開中でした。香水にそれほど興味をもったことのない私ですが、覗いてみることに。

入って早々どでかい香水瓶のお目見えでちょっと驚きましたが、それでグッと興味をそそられました(主催者側の思う壷か)。瓶ではなく『香水塔』とあるように、人の背丈ほどもあるアロマランプです。

展示されていたもので一番古いのが紀元前20世紀頃の香水瓶だと思うのですが、香水は昔、宗教儀式に用いられていたそうです。その後当然のように王侯貴族の愛用品になり、それが17世紀になると疫病対策に用いられるようになって、においの強いものが求められました。

この頃までのものも十分凝った装飾の施された香水瓶たちですが、18世紀になるとより装飾性が強調されていくように思いました。20世紀はルネ・ラリックの香水瓶が異彩を放ちます。確かにラリックの繊細でシャープな感覚は溜め息ものです。一滴勝負の香水に負けない容器を数々生み出してます。

さまざまな変遷を経て現代に至る香水瓶ですが、京都の泉屋博古館で見た中国の青銅器の流れに近いものを感じます。古今東西人間のやることに違いはあまりないのか・・・。
 
主役は香水のはずなのに、それをおさめる瓶にこれほどの手間暇をかけるのはなぜなのでしょうか。オシャレは下着からというのと同じようなものか、それともアクセサリー的、置物的要素が強いのか。やはり無印良品や百均で売っているプラスチック容器ではだめなのか。なにはともあれ、そういうニーズがあるというのは確かなようです。
 
概ね華やかな印象の香水瓶の世界と、香水瓶を通して見る人間の歴史でした。

2010年10月21日木曜日

アーミッシュ

図書館でたまたま見つけた写真集『”シンプル”という贈り物 アーミッシュの暮らしから』。

私がこの写真集を手にとって最初に思い出したのが、映画『刑事ジョンブック』に出ていたアーミッシュの女性役のケリー・マクギリスですが、無地の黒い服をいつも着ていたような記憶が。そういえば、中森明菜も何かの曲で「・・・・・・今夜だけアーミッシュ・・・・・」と歌ってました。

写真家ビル・コールマンがふとしたきっかけで入っていたアーミッシュの共同体ですが、彼は25年以上に渡ってその暮らしを撮り続けています。そしてそれらをまとめたものがこの写真集というわけです。

最初のページに出てくる馬車のある風景写真は本当に絵画のようです。アーミッシュは現代の文明から離れて暮らそうとする人々で、電気も車も使用せず、その生活は遠目から見ると昔のヨーロッパの田舎暮らしのようです。そのためか、写真も美術館に展示されてる昔のヨーロッパの風景画のようです。因みに北アメリカ大陸で暮らす彼らですがドイツ語を話してます。

面積からいっても人口からいってもとても狭い共同体のなかで、ビル・コールマンが25年写真を撮り続けたというのがちょっと賞賛したくなります。閉鎖的なところで追い出されなかったというのも、この写真家の人柄なのか、なかなか貴重です。

アーミッシュの共同体についてですが、例えば納屋づくりとなると、村中の人々が集まって作業をし、一日で終わらせてしまうそうです。そうやって同士としてのつながりを確認しているとか。なんだか日本の農村の集落のようです。そしてそうしたところにある田園風景と同じくアーミッシュの村は写真で見る限り美しいんです。未舗装の道路を馬車が走る姿や裸足で歩く姿を見ると、なんだかとても健全に見えてきます。

アーミッシュでは16才になると一度共同体を離れて一般社会で普通に暮らし、その後成人になる際にそのまま一般社会で生きるかアーミッシュとして共同体に戻るかを選択します。ほとんどが戻るという報告もあれば、大学などに行ってしまうと、視野が広がり戻らない人が多いとも聞きます。

そんなアーミッシュの素朴な暮らしを垣間見ることのできる、『シンプルという贈り物』でした。

2010年10月20日水曜日

小雨の日

今日は小雨の寒い日でした。

『失われた時を求めて』を読み進めてますが、語り手の家のフランソワーズという忠実だけれども妙に頑固な使用人とその家の人々との掛け合いが面白いです。

2010年10月19日火曜日

アニエスカフェ

ホテル銀座ラフィナート2Fにあるアニエスカフェのランチに行きました。12時過ぎに行ったのですが、すでに満席状態です。友人が予約しておいてくれたのですぐに入れましたが。

イタリアンのお店で、ランチはサラダ、スープ、リゾット(パスタ等も選べる)、ドリンク、デザートがついて1050円とリーズナブルです。お味は大感激というほどではありませんが、この値段のランチとしては美味しかったです。

女性に人気のレストランと聞かされて入店したところ、明るい店内では確かに9割以上を女性客が占めていました。

地下鉄銀座駅から行きましたが、おしゃべりしながらだと10分くらいかかる道のりにはギャラリーが点々とあって面白かったです。

ドリンクが飲み放題というのが嬉しいサービスでした。美容ドリンクなるものが3種類あって、私はピンク色のを飲んでました。名前は何だったか・・・コラーゲン配合だった気がするのですが・・・。

2010年10月18日月曜日

二人の散歩

今日も太平洋の向こうで白熱中のMLBの放送が。サンフランシスコ・ジャイアンツと戦っているのはフィラデルフィア・フィリーズだったんですね。

『失われた時を求めて』について。
主人公がある日マドレーヌを食べた瞬間、それがかつてコンブレーで口にしたマドレーヌの味だとわかり、不意にコンブレーの思い出が生き生きと蘇ってくるところです。これがプルースト言うところの「無意志的記憶」で、この後膨大に続く物語の要所要所で手を変え品を変え出てきます。

叔父アドルフがココット(高級娼婦)を家に呼んで幼い主人公に会わせてくれた時、主人公は叔父に絶大な感謝の念を抱いたのですが、それを両親に素直に伝えてしまうところの描写が面白いです。

この作品に専念するためにアパルトマンをコルク張りにして外界の物音をシャットアウトしてまで描いた甲斐があります。偏見を持つ前の子供の思考と心理がとてもよく再現されてます。

「ところが不幸にも両親は、いざ叔父の行動を評価するときになると、私が採用をすすめる原理とはまったく違った原理に頼ったのだ・・・・・・」

『失われた時を求めて1 スワン家の方へⅠ』p179までから。


背中を向け合いながらも二人で散歩を楽しむ猫たち。

2010年10月17日日曜日

シルクロードの終着点

遅めに起きてみると、テレビではメジャーリーグの白熱したプレーオフが放送されていました。サンフランシスコ・ジャイアンツ対どこだったか。なんだなんだと番組表をチェックすると、夕方からはアメリカン・リーグの試合が放送予定になっているではないですか。昨日はヤンキースが勝ちました。昔AーRodファンだった私は未だに心のどこかでAーRodの所属するヤンキースを応援してしまいます。

その後衛生第2にチャンネルを移すと遷都1300年に因んで奈良から生放送をやってました。平城宮跡やら興福寺やら、カメラがあちこちに飛ぶその放送を何の気なく見ていると、ゲストの誰かが奈良がシルクロードの最終地点と言い出しました。

以前読んだ大矢邦宣著『平泉 自然美の浄土』では、平泉がシルクロードの始まりだとあったような気が。一体どちらに信憑性があるのか、彼らほど研究してない私は判断できませんが、言ったもの勝ちとも思えるところです。どちらの町も権力の象徴のように大きなお寺があり、私が今年行ってきた印象ではどちらも穏やかで落ち着いた町で、田園風景も美しいです。

集英社文庫の『失われた時を求めて』を再びはじめから読み始めてますが、今80ページくらいまできました。喘息だったプルースト自身がそうであったように、語り手の主人公がお母さんに甘える幼少期が思い出されて語られています。そして副題に『スワン家の方』とあるように、ユダヤ人でブルジョワのスワンとのかかわりがこれから展開されようとしてます。

何度読んでも面白い『失われた時を求めて』でした。そして漫画『動物のお医者さん』のように、どこから読み始めてもおもしろいです。

テレビでは6時間生放送という遷都1300年番組が続いてます。明日香村の田園には観光客が沢山きているようです。黄色い稲穂がまだ紅葉しない緑のなかで際立ってました。私が東大寺のお水取りを見に奈良に行ったときは連日雨でしたが、今日は晴天。観光日和のようです。

2010年10月16日土曜日

六本木界隈散策

国立新美術館で『ゴッホ展』を見た後、六本木界隈を散歩してみようと麻布十番方面に向かってみました。六本木ヒルズやミッドタウンは高層ビルですが、それ以外は低層階が多い六本木。ゴミゴミと繁華街になってます。六本木から麻布十番方面へは下り坂になっているのですが、ずっと下っていくと最後は溜池山王に着きます。昔ここに溜池があったことが地名の由来です。
後ろの高層ビルは六本木ヒルズの一部。

ヒルズの隣がテレビ朝日でその隣には毛利庭園があります。
わりとこじんまりした庭園で、10分程度で一周できます。
画像の左奥から水が流れ落ちてきて、右側が一番低い池になってます。
高い方に移動したところ。
ヒルズから麻布十番に歩いて行くと、
こうして道がちょっとオシャレになります。
画像真ん中でオーストリア大使館への道が案内されてますが、
このあたりは各国大使館がひしめいてます。
麻布十番商店街が数百メートル続くこの道には
カフェやレストランも多く、とても便利です。

麻布十番から都営大江戸線に乗りましたが、とにかく深いです。
一駅分くらい下らないと改札をくぐれないのではないかという深さです。
都営大江戸線は新宿も深いので、山の手などで行けるところは
どうしてもそちらを使ってしまう深い遠さでした。

またプルーストの『失われた時を求めて』を最初から読んでいきます。

2010年10月15日金曜日

ゴッホ展

国立新美術館で開催中のゴッホ展に行ってきました。没後120年を記念しての展覧会だそうです。平日でしたが思っていたより混雑がなく、わりと余裕をもってじっくり見ることができました。ゴッホを見る機会はこれまでにもたくさんありましたが、今回は・・・。

ゴッホが本腰を入れて絵に取り組むことを決めたのが27才。37才で亡くなるまでの10年間であれだけの絵を描いたことにまず驚かされます。絵に取り組むうちに理性を失ったと弟テオに手紙を書いたようですが、その姿勢がよくわかる作品の数々です。今回は時系列的にⅠ~Ⅵ章に分かれているのですが、それぞれ気になったところについて。

パートⅡでの展示にある『掘る人』シリーズは、農民のきつい労働への共感を表現しているとのことですが、農民が背中を丸くして作業している姿に、それを描いたゴッホの優しさが感じられる気がします。共感するならあんたも耕しなはれと思ってしまうところですが、絵描きと自らをみなすゴッホはやはり絵でそれを表現するんですね。

最近、軍艦島に行ったり北海道の旧炭坑町を訪れたりしたことが影響してか、『石炭を掘り出す坑夫』にも興味を持ちました。マシュー・ホワイト・リドリーの原画によるものですが、そこには馬も描かれていて、馬が労働力として用いられていたのがよくわかります。現在チリ鉱山での救出が話題になってますが、絵のなかで描かれているのを見ると坑道はそれほど狭くないようです。でも満タンに積まれた石炭の箱や石炭の壁を叩き割る坑夫の姿からそこでの重労働が伝わってきます。

Ⅲに出てくる「じゃがいも」の絵は、ものすごく生き生きとしたじゃがいもが描かれています。ゴッホのじゃがいもは初めて見ると思うのですが、私はゴッホのなかでも相当好きな絵になりました。

あのゴッホらしい明るい色彩の絵画群は晩年の2~3年に描かれたもので、それらによってモダン・アーティストとしての地位を今日確立しているというのがⅤとⅥ章です。南仏のアルルに移ってからの時代です。ゴーギャンとの共同生活の終わりを告げた「耳切り事件」もこの頃です。絵画のスタイルがゴッホらしさを極めるにつれ、精神的に追いつめられていったというのは皮肉ですが、絵を描くことに人生を捧げることを決意したゴッホはこうするしかなかったのかとも思います。
 
概ね独学だったゴッホですが、年代が上がるにつれ、ゴッホらしさが増すにつれ、より繊細で神経質な内面が筆先に乗ってきてるように思います。

エネルギッシュでありながら、はかなく脆弱さの見え隠れするゴッホでした。

2010年10月14日木曜日

いこいの湯

京王線南大沢駅から無料送迎バスが出ている『いこいの湯』。源泉かけ流しでなかなか良い温泉との評判を聞きつけ、行ってみることにしました。

駅で送迎バスを待つこと数分。バスは定刻通りに来て、私を含む4名を乗せて目的地まで10分くらい走りました。温泉に着くと、予想以上に広い駐車場に所狭しと車が止まっているので、やっぱり東京の温泉は平日の午前中でも混んでるんだなあとの印象を持ちました。


館内に入るとロッカーキーをもらい、お風呂へ。露天風呂の岩風呂といこいの湯だけが源泉かけ流しとのことで、まずは熱めの岩風呂に入ります。43度くらいですが、冷えた身体には染み入ります。お湯は赤茶色をしていて、なめてみるとヌルッとしてます。ナトリウムー塩化物温泉(弱アルカリ性低張性高温泉)とのことです。その下にあるいこいの湯は温度が41度くらいです。身体がとても温まるお肌ツルツルのお湯でした。

休憩所のひとつ
和な空間です。

板の上に寝転んで休めるところがあるのですが、そこで休んだりベンチで休んだりしながら温泉に浸かって十分に暖まってからお風呂を後にしました。

お食事処はセルフサービスで値段は比較的安く設定されてますが、値段からすると可もなく不可もなくというところでしょうか。ソフトクリームは東京で食べるものとしてはおいしかったです。

帰りの南大沢行き送迎バスは6名を乗せて、定刻通りに出発しました。

露天は木々で覆われていて静かなところでした。
露天に蝶が舞う、秋の『いこいの湯 多摩境店』でした。

(注:クリックすると音が出ます。)
マルタ・アルゲリッチ ラフマニノフのピアノ協奏曲第三番

2010年10月13日水曜日

百日咳?

先々週末北海道旅行に行った時から始まった咳がまだ止まらないため、5日前行った耳鼻科からいつもお世話になってる内科へと受診を変えてみました。すると、百日咳ってこともあるかもねえとおもむろに、もうすっかり忘れていた名前が出てきてちょっとびっくり。

最近では三十代、四十代で罹る人が多いそうで、子供の頃ワクチンを打ったけれどもそれ以降病原体に触れることなく生きてきてすっかり免疫力がなくなったところで、三十路すぎて罹るとのからくりとか。そしてそうした大人から子供にうつることもあるそうです。

熱もないし、確かにこの発作のような咳は百日咳っぽいかも。肺の音にも異常はみられなかったので。けれども、ただの風邪でも百日咳でも治療方法は咳止めをのむことに変わりなく、あまり気にすることはないとのことです。

百日咳は潜伏期間があるそうで、7日から10日が普通のかぜ症状らしいのですが、北海道に行く前からかぜをひいたと風邪薬を飲んでいたことを思い出しました。

北海道で泊まった宿が乾燥していたから喉を痛めたなどと思ってしまいましたが、百日咳だとしたら、東京でもらっていたんですね、すみません。

受付で、私は一人暮らしだからと話していたおばあちゃん、近くのお弁当屋さんでこれからご飯を買って帰ろうかと思ってと。好きな弁当買って帰りや~。ついつい不安になりやすい老人の一人暮らしですが、一人暮らしのメリットを強調して話していた看護師さん、さすがです。

久しぶりに川で読書

日暮れがすっかり早くなって秋の訪れを感じますが、そんな日暮れが来る前に日差しを求めて川で読書をしました。

いつものように土手に腰を下ろすと雲が太陽の前に立ちはだかっているため既に辺りは薄暗く、視力が悪くなったかと思いました。暗いことに若干の違和感と不満と不安を抱きながらもしばらく読書していると、シロサギが一羽、川に降り立つのが視界の片隅に入ってきます。贅肉のないスリムな体型です。シロサギがいつものように首を伸ばしたり縮めたりしながらウロウロしているのをよそに本に視線を戻して2~3ページ読んでいると、いつの間にかシロサギは20メートルくらい移動してます。そしてもうしばらくするとまた20メートルくらい移動してます。

大雪山のなかに住んだらエゾシカをシロサギくらいに思えるようになるかも。窓の外に鹿が出没した『鹿の谷(幌加温泉にある温泉宿)』にしばらく泊まれば、鹿を珍しく思わなくなるかな。そういえばあの宿にはハンターお断りの札があったはず。

鹿追そばの『おち庵』の店主さんは脱サラした後に自分であのログハウスを建てたそうです。テントを張って3年ほどかけて建てたそうですが、真冬の寒さをよくしのげましたね。元々北国の人ではないのにすごいです。ログハウス内には薪ストーブがあり、その傍には薪が積まれてあり、安心とくつろぎの空間です。猫と犬がいて、写真も飾ってあります。これは、脱サラ成功版と言えるのではないでしょうか。冬はあまりお客さんが来ないそうですが、10年以上営業を続けてます。また来年も顔を出したくなる『おち庵』です。

さあ、シロサギ再び、と言っても、日が暮れ始めてお尻のコンクリートが冷たく感じられてもう腰を上げたい私。対してシロサギははるか下流までてくてく歩いてました。なんかいいもんあったかい?と聞きたくなるシロサギさんの歩みでした。

北海道は下手すると半年は雪の中。そんな雪国では、どんなにガーデニングを頑張っても半年は雪景色を見ることになり、ガーデニングへのモチベーションが下がってしまうのではないかとの懸念が湧いてきました。雪吊りしても縄が雪の重さでちぎれてしまうのではないかとか。それでも最近は、上野ファームや紫竹ガーデン、三浦庭園など、ガーデンがいくつもできました。うちのガーデンは・・・・・・(現在畑)。

家に帰る途中、ちょっと前を歩くおばあさん二人組が通り過ぎる人たちによく挨拶してます。近所付き合いのない私は誰が近所の人かもわからないのですが、こうしてまだまだ地域密着型コミュニティがあることを知りました。でも、とてもよくご近所のことを知っているらしく、それが逆に怖くも感じられますが。

読んでいた本は『失われた時を求めて9 囚われの女Ⅰ』の、ワーグナーや19世紀の作家たちのことを主人公マルセルがあれこれ考えているところです。『ミシュレについて・・・・・・その最大の美しさは作品そのものよりもむしろ作品に対する彼の態度のなかに、・・・・・・』の箇所を読んでいて、そういえばヴァージニア・ウルフは彼女の小説よりも日記の方が面白かったなあと思い出しました。ヴァージニア・ウルフの「ズバリ言うわよ」といった感じで、知人友人その他についてズケズケ書いてます。

シロサギさん、また明日。

2010年10月12日火曜日

神代植物公園 バラ

三連休の最後の日は快晴で気温も上がり、お花見日和。そこで神代植物公園のバラを見に行くことに。

みんな考えることが一緒なのか、京王線調布駅の神代植物公園行きバス停には長蛇の列が。帽子にカメラに・・・・・・と、だいたい同じ格好をしているので、目的地がすぐにわかります。

ところがバスに乗ると多くの人が隣の深大寺前で降りていくではないですか。バラ園を一通りまわってダリヤを見て大温室を覗いて芝生広場で昼寝をした後、深大寺門から神代植物園を出てすぐ隣にある深大寺に移り境内を歩いていると、いたるところ神代植物園以上の黒山の人だかりです。NHKの朝ドラ『ゲゲゲの女房』効果なのでしょうか。御蕎麦屋さんも軒並み待ち客の列ができてます。

神代植物公園バラ花壇。奥にあるのが大温室です。

バラ園にもたくさんのお客さんが来てましたがそれだけではなかったようです。そしてバラ園の売店にもアイスクリームなどを求める人々が長蛇の列をつくってました。

バラはまだまだ三分咲き程度だったと思いますが、香りのあるバラのそばを通るとバラ花壇だなあと実感します。

深大寺温泉『ゆかり』

その後近くにある深大寺温泉『ゆかり』に行ってみましたが、こちらも女性用ロッカーがいっぱいで4人待ちとのことでした。なので、残念ですが、今日は諦め帰途に着きました。調布に戻るバスもやはり混み混みでした。因みに『ゆかり』は住宅街のなかにぽつんとある、こじんまりした温泉です。

神代植物公園で撮ったバラです。





バラ園にはさぞかし可処分所得の多い中高年と思しき
カメラを抱えたグループがいくつも見られ、
三脚をもって撮影に没頭しているようでした。
ここでは二十代、三十代は少数派で、中高年が圧倒的に多いです。
が、翻ってバラ園から数分の芝生広場に行ってみると、
子連れファミリーがわんさかいます。
玉蹴りしたりフリスビーをしたりで賑やかです。
大人の話声も子供に話すノリですべての会話が行われるため、
四方に聞こえる大声であることが多いです。
静かに週末をと思って来られる方は芝生広場よりバラ花壇の方が
いいかも知れません(こちらも混んでることに変わりありませんが。
ベンチというベンチにはすべて人が座ってます)。

ここからはダリアです。
花言葉は「華麗」「優雅」「威厳」「移り気」「不安定」「感謝」「栄華」。


ダリアの葉にのる虫




キンモクセイ

久しぶりにとても混み合う調布界隈でした。

2010年10月11日月曜日

猫・螺湾ブキ 道東

幌加温泉から阿寒湖へ向かう途中で会った猫です。
なぜイエネコがこんな人里離れたところに・・・。
車から降りて近づくと、一目散に逃げられました。
近くに民家はないのですが、飼い猫なのか野良なのか。
短距離を得意とする猫に道東の広大さは過酷ではないかと
まっすぐどこまでも延びる舗装道路と
猫の後ろ姿の重なりを見て思いました。

足寄町を通ると、テレビでよく見る螺湾ブキがこうして自生していました。

ここにも螺湾ブキが。
やはり水の多いところを好むんですね。
葉が大きいので葉からの水分蒸発が多くなるため
水が必要と聞きましたが、確かに葉っぱが大きいです。

阿寒湖から摩周湖に向かう途中の阿寒横断道路沿いに
設置された双湖台という展望台です。
アイヌの言葉で「上の湖」を意味するパンケトーと、
「下の湖」を意味するペンケトーと名付けられた
2つの湖が見えます。

二つの湖と言っても、パンケトーの方はここからはほとんど見えません。
湖の周囲にはエゾマツの多い樹海が広がってます。
鬱蒼としてるように見えますが、
この地点に立ってみると爽快です。
写真サークルらしき人々がここから写真を撮ってました。


足寄名物螺湾ブキを思いがけず見つけ、
猫とも会えて、嬉しい一日でした。

2010年10月10日日曜日

猫・中央区

池沿いをトコトコ歩く三毛猫発見。

まだまだトコトコです。

立ち止まりました。一休みでしょうか。

と思ったら、再び歩き始めます。

後ろを振り向くと、他のニャンちゃんが。
もぐもぐしていたのは
虫かなにかを食べていたと思われます。

そしてこうして去って行く。

呼んでも一向に気にしてませんでした。
その頃ミケちゃんは・・・。

本腰入れて休んでます。

ちょっと立ってみた?

いや、やっぱりもう一休み。

浜離宮恩賜庭園にて。


ビリー・ワイルダー監督の映画『アパートの鍵貸します』を今回見たのがもう五回目くらいだと思うのですが、最後に見てから数年経ってます。とてもかわいい頃のシャーリー・マクレーンが出ていることは誰もが口にすることですが、今回見てこんなにシリアスな映画だったっけと感想が変わりました。何気に死ぬか生きるかスレスレのシャーリーではないですか。でも最後は社内不倫好きの上司の口車にのることなく、冴えないけれども誠実に自分を愛してくれるジャック・レモン演じる会社員の方にいくのですが、二人とも失職してるし。これが現実だったら笑い事ではないんじゃ・・・。今までコメディーと捉えてましたが、ビリー・ワイルダーにはめられていたことにようやく気づきました。

2010年10月9日土曜日

中央道で行く日帰り石和温泉

朝起きると雨が降ってひと際冷え込むことに気づき、
温泉で温もろうと中央道を走る高速バスで石和温泉に行くことに。
道中はずっとこうして霧がかかってました。


霧のなかの集落。


ふえふき川の流れ 

石和八幡宮
けっこう立派な境内です。

山門を出ると池と石橋があります。

鳥居です。

石和温泉駅にバラ花壇があったことを思い出して、
もう咲いてるかと行ってみました。
まだまだ五分咲きでしたが、
ピンクのバラが。

黄色いバラも。

バラの茂みの向こうが駅舎でその向こうは霧のかかった山々です。

石和温泉の高速バス停留所近くのトモエヤというパン屋さん
かぼちゃパンを買ってみましたが、
とてもおいしかったです。


こちらは最近ハワイ土産でもらったマカダミアナッツ。
久しぶりに食べたハワイの味でした。

慶山という旅館の日帰り湯に行きましたが、身体の芯から温まりました。
露天にはキンモクセイの木が生えており、
思いのほか薄茶色で白っぽい幹には苔が生えてました。
キンモクセイの香りは湯気に乗って一面に充満して、
広い露天に季節をもたらしてくれます。
以前来たときはキンモクセイの木があることに気づきませんでしたが、
花が咲いて香りがしてようやくそこにあることを知りました。
その下には、咲くのを終えたアジサイ(だと思う)が。
この日はものすごく大きな団体客があるようで
ロビーが混み合ってましたが、
お風呂の方は人もまばらでゆっくり入ることができました。
かけ流しの源泉がとてもありがたく思える一日でした。

都内へ戻るバスを待ってましたが、雨のなか15分遅れでようやくバスが来てくれました。その前のバスもちょうど15分くらい遅れてました。石和温泉から都内までの時間は通常通りでしたが、吹きさらしのなかバスを待つのは真冬は辛いだろうと、真冬の交通手段と寒さ対策を考えてしまいました。