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2011年1月31日月曜日

多摩動物公園

一月の多摩動物公園は寒い。

平日のため客足はまばらだが、親子連れの客を中心に、それでもちらほらと、坂道の多い園内を大声でしゃべりながらみな楽しんでいる。このリラックス空間は動物園ならではの楽しみ方だ。

入ってすぐのところには水鳥群がある。そこで相変わらず羽毛にくちばしをしまって眠っているガンを見ていると、園内アナウンスでレッサーパンダの飼育員による説明が始まると聞く。そうかそういうものが始まるのかと、800メートルくらい先にあるレッサーパンダ館に向かって坂を上ること10分以上。着いた頃には説明がすでに始まっていて、レッサーパンダは飼育員からもらったりんごを食べている最中だった。
笹を食べる

うろうろ

飼育員にりんごをもらう

レッサーというだけあってとても小さなレッサーパンダ。愛くるしい顔にもこもこの毛並みは、「猫みたいだね~」などと言われながら人気者である。五匹いるのは血族なのだが、ぞれぞれに竹を食べている彼らは家族意識はないという。孤高のレッサーパンダらしい。

レッサーパンダとは関係ないが、私の目を最も引いたのは飼育員の手だった。寒空で肉体労働している人の皮膚は分厚く、いかにも労働する人の手だ。レッサーパンダもこの手ならばさぞ頼りがいがあって、りんごをもらうのも安心だろう。

昨日NHKで放送された『北の大地に豆の花咲く~開拓農民 最後の記録』では、北海道の豆作農民の年季の入ったもっとゴツゴツして節くれだった手を見た。う~ん、さすがだ。やはりこういう労働をしている人の手は素晴らしく輝いている。イギリスの生垣をつくっている酪農家の手もそうだった。爪には洗っても取りきれない土がついているその手は、鮮やかな豆の光沢、牛や羊の黄金の毛並みの裏に隠れた主役だった。


その後行ったトラも非常に目を引いた。母トラとメスの子トラ二頭。じゃれ合う彼らは遊びとはいえ迫力満点だ。子トラでも、獲物を追うときの最初の一歩の幅の広さと躍動感は優雅で美しい。水でずぶ濡れになっても平気な寒さに強いトラだった。群を抜いて人気があるようで、多くの人がカメラを向けて長時間トラに見入っていた。


じゃれる子トラ

子トラも足が太くてしっかりしている

母トラの真似をする子トラ

その後行ったのは、多摩動物公園でも最も高いところに位置しているのではないかと思うワライカワセミの館だ。とてもクールなワライカワセミだった。

ワライカワセミ

次に行ったコアラ館では、一日のうち20時間を睡眠に当てるというだけあって、二匹のコアラはやはり寝ていた。外にあったユーカリの枝からはとてもいい香りが漂っていた。これがコアラの好物か。

ひたすら眠るコアラ

こちらのコアラは大分高齢らしい

カンガルー館では、カンガルーのものすごい寝相が見られた。複雑な思考をするようには見えないカンガルーだったが、物音がすると一斉に立ち上がって耳を立てるところに、やはり研ぎ澄まされた生きる強さを感じた(すごい寝相の個体だけは寝続けていた)。

なぜこんな寝方なのか



チンパンジー

他にもいろいろ見て回ったが、どこの柵の中にも自由きままに現れるハトが、なにかとても強く印象に残った。寒い多摩動物公園だった。

2011年1月30日日曜日

泉屋博古館・分館

何年も前に、私が入っている集合住宅の北側の空き地に家が建った。その後しばらく静かな生活が続いたものの、最近になって南側にも家が建ち始め、朝の7時過ぎにその音で目を覚ました。

これから住む人にとっては期待の音であろうカーンカーンというトンカチの音。それも周囲の住民の一人である私にとってはただの騒音でしかなく、うちの猫にとっては全世界の崩壊のように聞こえるようで、一日中窓の外に釘付けだ。向こうの家のおばあちゃんは、確か家からほぼ出ない生活をしているはずだが、もう外に出ることができない老人にとって、耳が遠くなって音が聞こえないとは、無警戒になって危険でもあるが、こういう時はストレスにならず幸いかもしれない。

そんなご近所を後に、泉屋博古館で開催中の『中国の青銅鏡』に行ってきた。

日本にも入ってきた青銅鏡は、日本では主に権力の象徴であったが、中国では工芸品として、人々が一つずつはもっているという品だったらしい。展示では漢から唐、宗の時代までの青銅鏡が置かれていて、ギャラリートークではその特徴、変化などを追っていた。

青銅鏡は呪術的な意味合いをもたれたり、霊力があるものとして扱われ、子孫繁栄や不老長寿などの願いをかなえるものとして珍重された。その力は鏡背面にさまざまな文様を施すことによってより強められると信じられたため、展示されている鏡には多様な文様が入っていた。そこには龍、鳳凰、馬、鹿などの動物に加え、植物もある。

文様は素人の私にはなかなか何が描かれているか判別できないが、ずいぶん凝っているとだけは思った。特に、権力の象徴としてではなく、誰もが持っているものとしてこれがあるのはすごいと思った。こんな青銅鏡をどこかで拾ったら、私は必ず持ち帰るだろう。

そして青銅鏡に、家の前の建設工事を静かにしてくれと思わず願をかけて帰ってきてしまった。

2011年1月29日土曜日

井の頭公園自然文化園

梅の花咲く井の頭公園は、晴天なれどもやはり寒い。帽子手袋は必須だ。

それでも園内は都会の公園らしく、園内にあるステージに上がって芸を披露する芸人志望らしき若者とそれを取り囲む数人のさらに若い子たちがいる(若いので帽子などはかぶってない)。縦横1メートル以上はあろうかという大きなキャンパスに絵の具を塗り付けるおじいさんに、どんな絵を描いているのか見ようと自転車の速度を限界ぎりぎりまで落として忍び寄る若い子もいる。時に親子連れの集団が通ると突然子供が奇声をあげ、それをいちいちかまってられないと無視するお母さんがベビーカーを押していたりして、いたって平和である。

そんな井の頭公園の中で最初に入ったのは自然動物園の分園なのだが、そこで初めに出会ったのは柵の向こうにいるたくさんの種類のカモたちだ。この柵は、カモにどれくらい近づけるかなどの、ある種の好奇心を私から前もってそぎ落とす効果をもっていてつまらないのだが、動物園のルールに従いこの距離感を保ってずっと見続ける。

三分の二以上のカモは首を後ろにまわして毛のないくちばしを寒さから守るべく羽の中にもぐり込ませて眠っている。そしてその隣では、柵の中に設けられた池に入り長いくちばしで突っつき合っているカモたちがいる。顔の大きさからしてとても長く見えるそのくちばしは、その後行った水生動物園にいたような、ヒョロ長い魚を食べるのには確かに都合がいい。そしてなにより魚も随分機敏に動くがカモたちもとても身軽で機敏に動く。このくちばしにこの運動能力なら狩りもできるだろう。

ただ、彼らの目をじっと見ていても、なにを考えているのかさっぱりわからないのが残念だった。

その後行った本園には私の大好きなヤマネコがいる。向かし我が家には、はこ、という猫がいたが、はこはしっぽが太くてモコモコの毛並みでヤマネコそっくりだった。ただ井の頭公園にいるヤマネコの方が1、5倍くらいあるように見えるし、なにより動きが違う。ヤマネコは動き始めるとイエネコよりずっと流線型であることがわかる。新幹線N700系のようなのだ。そして弾力のある足でタッタッタッタッスルスルっと右へ左へ飛び移っていくのだが、その蛇のような動きが野生的で、イエネコとは違う生き物なのだとつくづく思う。これが天敵の多い世界で生き抜く姿なのかと納得する。

今回はとても面白い光景を目にする。

死んだように弛緩してリラックスしながら頭を落として寝ているベンガルヤマネコがいるのだが、それを心配しているのか、隣の柵越しにずっとそばを行ったり来たりしているツシマヤマネコがいる。10分後くらいにもう一度来ても、やはり同じ状態のままだ。30分後にもう一度来ると、さすがにあのスタイルで寝るのをやめて、ベンガルヤマネコは姿を消していた。ツシマヤマネコも無防備なベンガルヤマネコがいなくなり、パトロールのやり甲斐がなくなったようで、草を食べていた。柵越しにも何かと交流があるらしい動物園のヤマネコの世界だった。
こんなふうに寝ているベンガルヤマネコ

隣のヤマネコがいなくなって草を食べるツシマヤマネコ

2011年1月28日金曜日

マック

JALがマクドナルドと提携してキャンペーンをやっていたために、先日JALで南紀白浜空港へと飛び立った私はマックのプレミアムローストコーヒー無料券をもっていた。なので病院帰りに一休みしようと、無料券を手にマックに寄ってみる。

ここ数年のマックは中高生の自習室代わりとの印象が強いが、平日の昼時は中高生は学校にいる。マックの昼間の客層はというと、すっかり給料を減らされた勤め人が多く、レジの前には大人たちの行列ができている。

店内に入るとまず、熱した油をたっぷりと含んだ空気を全身にまとうことになる。フライドポテトは多くの客がセットで注文するものだが、ジャガイモのあの土臭いでんぷんのにおいではなく、それを揚げる油のにおいの方だけがするのだ。肉を焼いたりコーヒーをいれたりもしているのだからそれらのにおいもしていいはずが、やはり油のにおいしか鼻には届かない。

冷たい飲み物を飲むときのガシャガシャいう氷のすれる音、ハンバーガーを包む紙のクシャクシャいう音、ポテトをかみ砕くときのサクサクいう音と、ここで生じる音は昼間の年齢層の比較的高いのに比べて概ね若々しい。

この時間の従業員はやはり学生バイトでないことが多いのだが、ベルトコンベアの一環のように動くことを要求される店員はもうテンテコマイで、口調にも表情にも笑顔はない。ファーストフード店というより学食のような雰囲気のそんなマックは、平日昼間は一人で来店する人が多いらしく店内は以外に静かだ。だから一番奥の席に座ってもレジの方で、コーラ一つ、などと店員が注文を繰り返す声がちゃんと聞こえてくる。

窓の向こうには駅前のバスターミナルが円を描くように広がっているが、ここは随分と防音のしっかりした窓のようで、二階だというのにバスの走る音はほとんど入ってこない。

本を読んだり、ゲームをしたり、ノートを書いたりと、客はそれぞれに日々の課題を乗り越えるべく過ごしている最中も、とにかくレジとその奥の厨房だけは忙しい日中のマックは、大漁の日の港町のようだ。

すべてを油で包む低価格路線、今後の行方が気になる。

2011年1月26日水曜日

九段下界隈散策

都営新宿線九段下駅を4番出口から出ると、ようやく陽の目を見たようで気持ちいい。乾燥した空気もこういう時はカラッとしていいものだ。そんな気分をもっと噛み締めていたいものだが、大都会の足音を聞くとそんな願望は吹っ飛びとっとと歩かねばと急かされる。

4番出口から出たのは目の前にある昭和館に行くためだ。それは戦中戦後の昭和の日本の光景を後世に伝えようとの意図から建てられたもので、当時の手紙や防空頭巾など、痛々しい痕跡をとどめた展示が多数ある。ロビーにも展示室にも小学生の集団がたくさんいて一秒たりともじっとしていられないのを抑えきれずにザワザワザワザワと、係の人の話の最中も心ここにあらずのようで賑やかだ。

昭和館

私はそのなかで防空壕を体験してみた。壁際に設置された防空壕はそこに座ってボタンを押すと、銃撃音が始まりその振動が伝わってくる。これが空襲だ。本当だったら怖いに決まっている。でも私のこの恐怖心は、自分が味わったらどうかというものより、当時の人が味わった恐怖への恐怖心だ。そしてこの恐怖体験をしたとき、家で夫婦喧嘩をしたときに、うちの猫がこたつや机の下に隠れて喧嘩がおさまるまでじっとしているときの心境が慮られた。これからは喧嘩は静かにすることにしようと反省する。

昭和館の後には近くの靖国神社に行ってみる。靖国通りの喧騒から離れた境内は、近所で働く人々の散歩道になっているらしく、人の話し声はほとんどなく、ハトの足音のようなビジネスシューズのカツカツという音だけが、ピーピーという鳥の話し声の中で響いている。時には市民ランナーが力強く砂利を蹴り上げて走っていたり、勤め人がベンチでいびきをかいて昼寝していたり、昼食の匂いをもらしていたりと、人々のくつろぎの場にもなっているようだ。他の神社と違うのは、参拝する人のなかに軍人らしさの何かが目立つことだろう。あれだけの大きな二拍手をする人々をこれまで私は見たことがない。軍人を祀る靖国神社らしかった。

靖国神社

靖国神社を出て横断歩道を渡り九段下駅方面へ数分歩くと、食欲をそそるスパイスの香りが鼻をついてくる。靖国通りから千鳥ヶ淵に少し入るとインド大使館が、歩いて数百歩という面積を占めて構えているのだが、どおりでインド料理のレストランが多いはずだ。そしてそこには隙間を埋めるように一軒のカフェが看板を設けていて興味をそそる。

カフェミエルは数段の階段を下りたところに扉がある半地下のカフェで、太陽光があまり入ってこない、ランプの薄明かりで照らされる小洒落た店内だ。読書には若干暗いかもしれないが、妙にレトロな音楽が落ち着く。
カフェミエル

雰囲気の良い店内

苦味の強いブレンドコーヒーとボリュームあるハンバーグサンド

かための椅子に腰を下ろして注文を済ませると、このレトロな音楽につい先ほど行ってきた昭和館の世界が急に思い起こされて、随分と懐かしく感じる。昭和館での体験が思わずこのカフェミエルで蘇ったのは店主の意図するところではないだろうが、そんなわけで私はこのカフェが気に入った。分煙されていないのがはじめは難だと思っていたのも、それがまた昭和っぽさの演出に思えなくもない。

カフェを出て北の丸公園に行こうと歩いていると、ホームレスと三毛猫のコンビがひなたぼっこしている千鳥ヶ淵の緑道を過ぎる。この共生の絵はどこで出会っても微笑ましい。

緑道から

北の丸公園への緑道は国内でも例をみないところだ。南側に皇居、次に最近世を騒がせているというランナーたちの列、車の往来の多い道路、私の居る緑道、そしてそこから北側に向かって首都高、北の丸公園の静けさ、高層ビルという東京ならではのサンドウィッチ地帯なのだ。

そんな大都市のサンドウィッチのなかで、緑道は急な下り坂を迎えて私を試練に立たせるが、それは同時に国立近代美術館工芸館の洋館が間近であることの印でもあり、期待がふくらむ。

人形の展示がメインだったが、最後に出てきた人間国宝の陶器作品に、私はすっかり魅了された。さすがに繊細で優美なのだ。

そして一通り展示を見終えた私はカラスのよく鳴く洋館の前を通り過ぎ、北の丸公園を科学技術館方面へと歩く。
国立近代美術館工芸館

科学技術館は昭和館より年齢の高い生徒が多く、先生の引率でというより自分たちで勝手に興味のあるところを見ている場合が多い。各フロアには、鉄やトンネルができるまで、DNAについてなど、いろいろな分野の科学ブースがあり、一定の子供たちの心をつかむと思われる世界になっている。ここでいつか大きなトンネルをつくってみたいだとか橋を渡してみたいとの目標を持ち、子供たちが進路を邁進する姿が目に浮かぶ。

その延長では生徒たちより数十歳年をとった人たちが、ある人は未だその夢の実現に活き活き働き、かたや疲れきって肩を落としているのが北の丸公園だけの幻に思えるのだが、帰りの電車に乗ると、それらは社会のなかで常に渾然一体となっていることに気づかされる外国語の会話、イヤホンから漏れる大きな音楽、若い人たちのまだ力ある話し声に疲れた人々の寝息だった。


         

2011年1月25日火曜日

京都散策2

仁和寺の宿坊を出て最初に向かったのは金閣寺だ。龍安寺の方が近いが、金閣寺は朝が美しいとのことで、金閣寺を先にまわることに。

金閣寺の境内に入ると、すぐにあの金ぴかの建造物が出てくる。9時半くらいに来たのだが、観光客はまだまばらだった。そしてなにより金が上品に輝き美しい。先日の雪が屋根や苔むしたジュータンの上に残っているのも季節感があって良かった。確かに京都のお寺の庭園らしく美しい庭園美は健在だが、これだけ広い庭園は、この二日間で見てきた京都のお寺では最大だと思う。義満が権力の誇示につくったとしては随分美的にもよくできているとの感想を持った。池、石、島、取り囲む石畳の道と多様な木々、どれもが見事だった。もっとゴテゴテしたのを想像したが、ずっと品があって気に入ってしまった。

池に映る金閣もきれい





雪残る金閣


茶室


偉い人が来たときに座ったという石
座り心地は良かった

不動堂

金閣寺を出ると、きぬかけの道をバスで竜安寺まで行く。

かの有名な石庭をずっと見続けること数分。なんだか天動説を信じている昔の人々の感覚に陥ったような感じだ。点在するそれぞれの石たちのまわりは丸く苔が生えている。そしてその周りをさらに石が曲線で縁取る。なのに、そのまわりの石は直線で敷かれ、長方形の囲みのなかにすっかり石庭が囲まれているだけであることに気づく。限られた条件のなかで世界観を呈するのが庭師なのだろうが、あまりに限られていることをここまで見せつけられると、何もないように思えてくる。
龍安寺本堂

以下石庭



境内のなか



鏡容池

仁和寺、金閣寺、龍安寺と巡った後は、反対側の銀閣寺に行くことにした。いったん四条烏丸に出ると、四条烏丸から銀閣寺へは30分ほど。銀閣寺は観光客でいっぱいだった。そして、みんな義政の世界を楽しんでいるように見えた。

銀閣

向月台


本堂

銀沙灘







 
展望所からの京都市内

哲学の道沿いにも多くのお寺があるが今回はすべて素通りして、10年以上前に来たとき猫のいたところにまだ猫がいるかとずっと歩いてみた。すると、いた~。
哲学の道

お立ち台に猫

いっぱいで写りきらない


手がハの字



この猫だけとても人懐っこかった

木の上で保護色の猫

お立ち台の猫


哲学の道を横切る猫

猫が健在でとても嬉しかった。

哲学の道を歩き終えた頃には16時近くになっていて、仁和寺の朝のお勤めから始まりすでにクタクタ。熊野の湯峰・川湯の温泉で二泊、ついで京都の智積院・仁和寺の宿坊で二泊と、とても充実した4泊5日の旅だった。