空港にもバスは5分ほど遅れて着いたものの、無事飛行機に間に合い、飛行機は定刻通りにまぶしいばかりの滑走路を突っ走る。南紀白浜空港行きはJALしかないのだが、4列の小さな飛行機は大型機よりずっと身軽に飛び立つ。
滑走路を走る最中も、向こう側には工場の煙突から煙が縦に流れているという。朝から工場は稼働中だ。煙の向こうには、この天気なら富士山が全体像を見せているだろう。
不思議と地上付近では大気が白みがかって、上にいくにつれ鮮やかな青を見せるらしい。どんな白にどんな青なのか、考えるときりがない景色だろう。きっとここでは高層ビルも小さな模型のように見えるはずだ。先日行った美術館の展示にあった大理石の都市の彫刻のようだと思う(曽根裕の展示)。
そんな東京が、高校を卒業したての頃はとても大きく見えていたのだから不思議だ。
飛行機が離陸してしばらくすると、富士山の真横を通過する。見慣れた人はそのまま眠り続け、滅多に見る機会がない人は窓の外に釘付けだろう。実際、麓の町の人々は特に富士山を意識していないと聞いたことがある。私は特別に富士山が好きなわけでもないのに、富士山の横を通過すると聞いて、なかなか視界から消えない富士山の大きさを聞いただけで、その大きさにただただ想像がふくらむ。
その時飛行機がガタガタ揺れ始めた。偏西風だ。
その後アルプスの山々をすぎた頃には真っ白の雲の上に出たと言うが、昨日出雲や大分で雪を降らせた雲も同じような雲だったろう。その雲の向こうの都市は東海地方のどこかだと思うが、雲の白という色と同じように白い色に包まれ、海の青という色がその向こうに広がっているに違いない。
屋根に降る雪と田園に降る雪に違いはあるのだろうか。
何も拒むことを知らない海があるとはありがたい。分厚い雲が雪を降らせても除雪することなくそのまま雪を受け入れる海が眼下にあるなんて。雪と同じ色の波を立てている海に姉が行きたいと言っていたのがわかる気がする。
伊勢湾を越えて紀伊半島に入ると海岸線は岩肌を見せその上に木をのせて美しい風景をつくっているという。雲の白、雪の白、海の青に続いて緑豊かな紀伊山地だ。南紀白浜空港に近づくまでそれはずっと続き、海と山に加えて空港のところでは観覧車が我々を迎え入れてくれるらしい。ここでまた曽根裕の展示にあった観覧車の彫刻を思い出す。この旅は随分と曽根裕と縁がある。
でも私がもっとも感動したのは飛行機のすぐ下を木々が緑で彩っているところだ。緑という色。幾多の時代で用いられてきた絵画につかわれるさまざまに違う緑。茶色の岩肌と緑は豊かな自然の代名詞のようだ。険しくギザギザに波であらわれた岩は、いつか触れたことのある強風でなぎ倒された木のささくれだった切れ口の感触だろう。そしてそれは映像化されて一瞬で私の脳裏に焼きつく。
空港からは本宮行きのバスに乗る。客は数人という車内の静けさだ。私が窓の水滴をとろうと手で窓に触れると、後ろに座っていた人が何もいわずにぬれティッシュを差し出してきてくれたことに気づいた。それをいただいて窓をふく。ずいぶん親切な人だ。
しばらくして、後ろから携帯の着信音がする。電話に出る声を聞くと、先ほどティッシュをくれたのは中年の女性らしい。言葉のなまり方からしてきっと地元のおばちゃんだ。この後私は熊野の温泉宿で二泊することになるのだが、その間何度かバスに乗る機会があったけれども、ここの人たちは携帯をマナーモードにしないらしい。バスの中でも普通に着信音が鳴って普通にでる。東京とは違うそんなおおらかな生活習慣がとても新鮮に感じられた。こういう熊野は、なかなか魅力的な予感がする。
去年の二月に吉野に来たときも雪だったが、今年熊野に来てもまた雪だ。海岸線の感動とは裏腹に、バスに乗ってからの景色は至って普通の人里で、民家が離れすぎず近すぎず、転々とあるひっそりとした町らしい。バスの車内では熊野にまつわるいろいろな逸話が流れ、昔から多くの人が思いを寄せてきた場所であることがわかる。奥州藤原家の人が世継ぎがなかなかできなくて熊野詣でに来た話までが出てきたのには驚いた。
そんなアナウンスとともに車内はどんどん寒くなってきて山深く入っていくのがわかる。この寒さに雪なら、きっと子供たちは雪だるまをつくって遊んでいるだろう。
山梨付近だと思う
飛行機内から見る富士山
伊良湖のあたりだと思うのだがちょっと地形が違うか
まだ志摩半島に入ったところ
紀伊山地