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2011年1月23日日曜日

智積院・初めての宿坊

熊野で二泊した後、スーパーくろしおに乗って京都に着いたの20時19分。市バス208番系統に乗って東山七条のバス停で降りると、目の前にある智積院の宿坊へと向かう。ところが境内に入るも真っ暗で宿坊の場所がわからない。違うところに入ってしまって右往左往しながらも、それでも最終チェックインの21時までにはなんとか宿坊へとたどり着いた。

フロントには若い坊さんがいて、明日の勤行のこと、入浴施設の使い方等説明を受けてから部屋に入る。10畳の部屋はとても広々だ。そして液晶テレビにエアコンもついていて予想以上に快適だ。私以外に宿泊者はいないようで、3メートルくらいあるお風呂も広々と一人で入れた。門限は22時で22時半消灯だが、部屋では自由に起きていられる。明日の朝のお勤めを楽しみに思いながら早々にこの日は眠りについた。

智積院会館は冬だと朝6時に起床の館内放送がかかり、6時15分には朝のお勤めに出るためロビーに集まることを求められるが、この日はやはり私一人だった。

担当の僧侶に連れられ6時半前に金堂の中に入って正座して待っているのだが、そこまでの道は真っ暗だ。途中で他の僧侶とも会ったりしながら、金堂には総勢30名近くの僧侶が集まる。そして6時半になると、一斉に一糸乱れずお経を読む。智積院は真言宗智山派。私もお経の本を渡されたが、途中から眠気も相まってどこを呼んでいるのかわからなくなった。お焼香を済ませてからはなおよくわからず、本尊の阿弥陀如来をひたすら見つめる。するとその周りを彩る金色の装飾物のようなものたちも含めて、やはりそこは小世界に見えてくる。どう見ても極楽浄土の世界だ。そう思えて来ると、どんどん目が冴えてくる。

その後不動堂に移ってさらにお勤め続行なのだが、こちらは先ほどよりお経の勢いが猛々しい。やはり不動堂だ。太鼓もドンドコドンドコリズミカルで頼もしい。とても有意義な一時間だった。

その後僧侶につれられ庭園へと案内された。ここは中国の廬山を見立てて手前の池は揚子江であり黄河で、だからあえて濁らせていると説明された。右側の四角く剪定された木々は、三味線のバチの形を見立てているそうで、音でも楽しむことをイメージしてつくられたそうだ。季節によってウグイスが鳴き、ツツジが咲き、冬はこうしていかにも寒いというふうに、四季折々を楽しめる庭園になっている。

庭園


右側にあるのがバチ

宿坊の朝食
湯豆腐と黒豆が美味しかった
その後は講堂に連れられ墨の襖絵を見たが、四季の移り変わりを描いたものでとても風情があった。因みに講堂の冬の廊下は板が氷のように冷たくて、歩くのが大変だった。

その後宝物館に向かい、長谷川画伯の襖絵を見させていただいた。その中の一枚は、息子の描いた桜の絵で、その息子は絵の完成の1年後に亡くなったという。失意の長谷川画伯がその後描いた絵が桜の絵の隣にあった。とても錯乱したような、それでも絵師としての理性を保とうともがくような絵だった。息子の描いた桜の絵は、花びらが月光のもとでも見られるようにと蛍光塗料を塗られている。僧侶が電気を消して見せてくれたが、確かに花びらだけが白く浮き出て見えた。昔の電気のない時代ならではの工夫だ。
境内では梅のつぼみが

本堂

不動堂