前日は川湯の民宿立石に泊まる。朝起きると早速朝風呂へ。源泉をたっぷり注いで湯船を熱くしておいてくださりありがたかった。朝食には食べきれないたっぶりのご飯がおひつに用意され、川魚の干物を自分で網で焼くのは楽しい。その後用意してくださったコーヒーを飲みながらバスの時間まで部屋でくつろぐ。
この日もきれいな大塔川の流れ
9時54分川湯温泉発の観光バスに乗ると、私以外には相当お年を召されたおばあちゃんが乗っているだけだった。バス会社の人が平日だと二人くらいのときもありますが、と電話で問い合わせたとき言っていたが、本当にそうだった。おばあちゃんは75は過ぎているだろうが、とても元気よく挨拶してくれた。そしてバスは最初の目的地本宮へ。
本宮の鳥居
本宮の急な階段
神門には立派なしめ縄が
社殿
正面からの社殿
工事中のところも
背後からの神門
境内にはこんな石も
本宮のこの石のあたりにいると、風鈴の音があちこちから聞こえてくる。何かを呼ぶような、なにかを遠ざけるようなその音は心地良い。そしてその音は敷石の足音と妙に合う。車のエンジン音が時々それを台無しにするが、牛車や馬車ならより風流だと思う。こんな石もある
なかなか見事な松
そして本宮のポストは黒かった
バスが本宮を出ると、次は志古ドライブインで昼食だ。目の前の熊野川では瀞峡観光船が待機している。そのあたりには持ち上げられるほどの大きな石小さな石が河原を埋めているのだが、どれもすばらしくきれいだ。日差しを浴びた石はほのかに暖かく、しかしその石を除けると下の石は冷たい。川の水は凍えるほどの冷たさではないが、それでもひんやりしている。
熊野川の川原の石
熊野川と紀伊山地
とても水がきれい
観光船もある
車窓から
この日の川の流れはとても穏やかに見えるが、その昔、十津川は水位が数十メートルまで達して集落は消え去ったという。そしてそこで暮らしていた人々が北海道の新十津川村をつくったのだが、それが先月私が行ったグリーンパークしんとつかわの新十津川であるとはとてつもない親近感がわく。バスアナウンスによると、十津川村では95パーセントが森林で、すべての人が郷士だったとか。新十津川もほとんどが森林だ。ここでは川幅は数十メートルある。流れはそこの地形の関係などのために、右に流れたり左に流れたりするが、最終的には下流へとどの水も流れていく。波打ってもがきながらもサラサラサラサラまめらかな音をつくって流れていくのがとても自然に思えた。そして新宮へ到着。
新宮の速玉大社は朱色に塗られた鳥居に社殿、白く塗られた社殿と、本宮とは趣を異にしている。鳥居の前の立派な獅子が私には印象深かった。
速玉大社神門
梛の大樹
朱の社殿
白の社殿がこうして続く
新宮を出ると、バスは那智の滝を目指す。那智勝浦の海岸沿いは松島のように島が点々としていて海もきれいだ。
車窓からの海岸
そこからバスが山へ入るとまた杉の森が始まる。バスは熊野古道の大門坂で停まったが、そこには直径2メートルはあろうかという杉が林立していて、急な石畳の階段が続く道だった。
熊野古道大門坂
下へも続く
杉の大木がたくさん
大門坂から那智の滝はバスだとすぐだ。133メートルあるという那智の滝は原始林に包まれた飛龍神社の境内にある。鳥居をくぐって境内に入るとそれまでとはうって変わって杉の木のつくる陰で寒い。滝の音は熊野川に比べてダイナミックで、三本の白い流れの始まりはすぐ下で方々に分かれ、切り立った岩にぶつかりながらも上から落ちてくる水とぶつかりながら、どんどん下に落ちてくる。すさまじいがうっすら白くて美しく、どこか神聖だ。流れが飛んでもどこかで合流するこの滝が、激しいのに和やかに見える。
那智の滝
こんなふうに流れ始める
こうして流れていく
那智の滝から、最後の観光地である青岸渡寺と那智大社にバスは向かう。この二つは隣接しているのだが、那智大社は朱塗りの建築で、青岸渡寺はとても古びた雰囲気の良い寺だ。そして山の方を見ると向こうには那智の滝が見える。三重塔にも滝にも歩いて行けるそうだが、今回のツアーバスではその時間はない。新宮からご一緒した中年と思しき女性が、10年前に来たときは滝のほうまで歩いてとても大変だったと言っていた。
那智大社も階段だらけ
ようやく社殿につく
楠の木
こうして空洞になっている
隣の青岸渡寺へはすぐ
本堂
那智の滝が見える
鐘楼
大黒天
終点の勝浦駅にバスがつくと、3時半を過ぎたばかりだというのに多くの店が閉まっている。駅の売店では駅弁が売り切れ、これから京都まで4時間半近く電車に乗るのに晩ご飯が調達できず、予想通り途方に暮れた。そこで売店で菓子パンを買い、特急が来るまでの間駅前の足湯につかることに。温めの足湯は湯の花がいっぱい舞っていて、是非とも勝浦温泉にも来てみたいと思わせてくれる。
駅前の足湯
ここまでは海岸線を通るのだが、島のような岩や洗濯板のような波に洗われた岩など、地形がおもしろい。民家は大きくもなく小さくもなく、よくある地方都市の町並みだ。京都行きのスーパーくろしおはガラガラで、私の乗った車両には数人しか乗客がいなかった。でも窓から見える瓦屋根の町並みと山と海は、目にとても優しく映った。こういう町並みが私は大好きなようだ。
スーパーくろしおからの車窓
夕日の海岸
海老寿司
紀伊田辺でちょっと客が乗ってくる。ほとんどがスーツを着た会社員のような人たちだ。この辺から資本主義の臭いがようやくしてきて、霊山モードだった気分に若干の変化が。そして、ここから車内販売が始まる。紀伊勝浦にはなにもなかったのに、この違いは何か。やはり資本主義の効率主義を感じてしまう。
和歌山からはさらに会社員であろう人々が乗ってきて、外も暗くなり景色が見えなくなて徐々につまらなくなりうとうと寝ていると、7時を過ぎて天王寺、続いて新大阪へとスーパーくろしおは向かうのだが、このあたりは高層ビルがあっちにもこっちにもでまるで東京と同じ景色だった。隣を走る各駅停車もラッシュの満員状態だった。そしてなぜか特急スーパーくろしおは、隣を走る普通電車に追い越されていった。