お風呂から出て18時半になると食堂へと向かう。夕食は噂通りの手の込んだ美味しい料理だった。
宿坊の部屋
夕食
天ぷらの凝りように驚いた。
湯葉はとても身体が暖まって美味しかった。
京都の冬は本当に寒いとつくづく実感するためかのように、仁和寺の朝のお勤めに参加すべく6時に起床。チェックインの時に朝のお勤めは寒いのでしっかり着込んできてくださいとフロントの坊さんに言われたので、コートにカイロ+部屋着の丹前まで持参して6時半からのお勤めに挑む。宿坊からお勤めのある金堂までは歩いて5分ほど。外に出てみるとあたりは真っ暗で当然明かりもない。ただなんとなく方向がわかるので歩き始めると、暗いながらも中門が見えてくる。そして門を越えてあっちこっちから出てくる坊さんと共に金堂に入る。
朝のお勤めの時間はまだ暗い
ここの金堂は国宝に指定されていて普段観光客は中に入れないのだが、宿坊宿泊者は朝のお勤めの際だけ入れる。これを逃す手はない。
本尊は阿弥陀如来。金堂のなかはその阿弥陀如来を照らすようにろうそくの明かりだけがついていて、ようやく阿弥陀如来がうっすら輝いて見える。さあお経が始まった。この寒さでお経を聞いているとだんだん眠くなってくるが、朝日が上って徐々に阿弥陀如来やその周囲がつくる立体的な空間がはっきり見え始めると、随分とおもしろい世界観をかたちづくっているではないかと思えてくる。なんだなんだ、毎朝これだけの坊主にお経を30分唱えられて頭を下げられ大事にされれば、誰でも大抵仏のようでいられるではないか。だから本尊はこうして穏やかな顔をしているのか、そういうことかと、朝の朦朧とした意識のなかで意味不明に思ってみた。
お勤めが終わると、一番偉い坊さんの話が始まる。この坊さん、仁和寺にくる前は福井のお寺でお経を読んでいたとか。そして去年の除夜の鐘の際、NHKで放送された二番目に出てきた鐘が坊さんのいた福井の寺で、そのときお経を呼んでいたのが自分だということを私たちに嬉しそうに話す。どうやら人に伝えたいらしい。たまにしか俗の人と接する機会がないからか、とても自分の中の人間らしい無邪気さを丸だしにしてくれた坊さんだった。高幡不動尊の坊さんに続き、ここにも俗との関わりを喜ぶ坊さん発見。相手があってそれが鏡となって己の心を見つめるとか言っていたが、結局この坊さんにとって、一般の参拝客は大抵黙って聞いているので心の鏡にはならないだろう。
一方で境内は、まだ観光客がいなくて苔むしたとても静かで落ち着くところだった。
金堂
以下その他のお堂
金堂
朝食
宿泊者には庭園入場券が渡されるのだが、朝食を食べた後チェックアウトを済ませてから庭園にも行ってみた。本殿も庭園も代々天皇家の人が来ていただけあって、襖絵も貴族っぽい。庭園には土が見えず、白川砂で覆われているか苔が生えている。水があるところに白川砂というのに若干違和感があるのだが、その理由をいろいろ考えてみるがよくわからない。結局何があっても汚れないようにするために白川砂と苔で覆っているのだろうか。
仁和寺には北庭と南庭があるが、
こちらは北庭
向こうにあるのが霊明殿
廊下を歩いて霊明殿に行くと、そのやや高くなったところから振り返って庭の方を見下ろしてみる。すると、池と白川砂の境があの世とこの世の境目のように見えてくる。だからずっと白川砂が敷かれているのかと思うと、納得できるものがあった。
霊明殿から振り向くとこんな景色