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2010年8月31日火曜日

恐山

本州最北とも言える地にある恐山。一度は行ってみたいと思っていたのですが、ようやく念願かなって訪れることができました。八戸から六ケ所村などを通って行ったのですが、途中からは完全に山の中で、道路の両側には木々がずっとずっと生えてました。車のある今の時代でもこんなに遠く感じるのに、1200年前に開山した慈覚大師はどうしてこの地にたどり着いたのか考えてしまいます。パンフレットによると、慈覚大師は中国で修行していたときに夢を見て、そのお告げに導かれて教えを説く旅をしていた果てにこの下北の地に辿りついたそうですが。
駐車場付近からの景色。
多くの参詣者が来てました。
よく聞く三途の川にかかる橋です。
渡ってみましたがけっこう急です。
そして川の水の美しさに驚きました。
総門を入るとこうして向こう側に山門が見えます。
山門を抜けると本尊安置地蔵殿があります。
地獄になぞらえられる岩肌です。
火山ガスが噴出しているため硫黄の臭いが充満してます。
こちらも地獄です。ここの映像はテレビ等で何度も見たことがあって、さぞ怖い雰囲気のところなんだろうと思っていたのですが、実際に巡ってみるととても和やかな所だと思いました。地獄どころか優しい雰囲気です。
途中にこうして睡蓮の咲く池がありました。
宇曽利湖の水も三途の川同様とてもきれいです。南国の海のような色にも見えます。ところどころ色が違う箇所があり、それがまた極楽になぞらえられている白砂の浜を際立たせているように思えました。こんなに穏やかなところに身を置いたのは初めてです。恐山までくるのはあれほど大変で遠いと思ってたのに、その遠いところには確かに極楽のようなところがあって、かつ慈覚大師が見つけたというのがなんとも言えない巡りあわせに感じます。白砂に座ってずっと向こうの山を見ている人が何人かいました。下北半島自体は至る所木々が生い茂っているのですが、恐山はガスのためか木々がないため、夏の強い日差しを遮るものがなくてこの季節はとても暑いのに、それでもそこにじっと座って湖と山のある方を向いています。人それぞれいろんな思いでここまで来たのだと思いますが、なんとなく共有する感覚があるのかなとも思いました。
こちらも白砂と湖
五智山展望台からの眺めです。
角度を変えるとこういう景色になります。

恐山を離れてしばらくのところにはこうして水を飲めるところがあります。とても冷たい水で、身体が目覚めます。ヒバの木が多く生えているためヒバの味がします。このおいしい水を多くの人がペットボトルに入れて持ち帰ってました。こうして水が湧きでてくることに、豊かさを感じました。恐山に来て良かったです。


東北三泊四日の旅 

東北の旅と言っても今回は青森の下北半島恐山と岩手県の龍泉洞、わんこそば、平泉、宮城県の松島海岸をまわる予定の三泊四日です。残暑の4日間でした。

一日目 東北新幹線の車窓 東京~八戸

初めて乗る東北新幹線はほぼ席が埋まっていて思いのほか混んでるという印象でした。どおりで東京駅の新幹線改札付近が改札を出る人と入る人たちで、新幹線出発アナウンスの喧噪に混じってごった返していたはずです。残暑のすさまじいなかでの人混みは、さらに体感温度を高める気がして息苦しかったです。

こちらは新幹線に乗車前に寄った小田急本店但馬屋珈琲のブレンドです。
暑くてフラフラするので身体を冷やすために寄ったのに、
なぜホットを頼んだのか、それくらい朦朧としていのか・・・。

家を出てから東京駅に到着するまでに、あのビルでは知り合いの〇〇さんが今頃仕事をしているんだろうなどと思うと、とても近くにいる感じがしました。新幹線に乗ると、母が最近車を買ったというガリバーの看板がビルの屋上に見え、本社ビルなのかなどといつもなら気にしない看板も目に止まります。

東北新幹線が初めてと言っても東海道新幹線には何度も乗ったことがあるのですが、その時は出張や帰省、旅行客など一人で乗車している人が多かったため東海道の旅はいつもわりと静かだったのですが、今回の東北新幹線は夏休み中のせいか家族連れや団体観光客が多く、賑やかでした。

通路を挟んで隣側の席には車いすの乗客が座りました。家族であろう人たちが、席を回転させ、車いすから新幹線の座席に座らせてあげているのを見て、どうせ技術が進歩するならどんな人でも便利に過ごせる世の中になればいいのにと思いました。頑健な人が宇宙に行くより、誰でも国内を行き来できるインフラが整うことの方がよっぽどいいと。
田園と住宅のある風景

そんなことを思いながら新幹線が埼玉県に入ると大手企業の研究所だったり工場だったりがたくさん見えてきました。そして新幹線が利根川を渡ると田園風景が目立つようになり、那須のあたりからは完全に田園と林の交互する中を走るようになります。日本が元々農業国だと実感する風景です。ところどころにある耕作放棄地は、そんな農業国の終わりの始まりを暗示しているのでしょうか(それとも日本の終わりか)。それ以前に東京駅から大宮あたりのビルや工場の立ち並ぶ景色が第三次産業に移ってすでに資本主義も先細りになることを暗示してるようにみえました。
田園だけの風景

福島県に入るとトンネルが増えてきました。ちょっと遠くには低い山並みが見え、霞がかかったそのさらに奥にはそれよりも高い山並みがうっすらと見えます。奥羽山脈でしょうか。と思っていると、急に山並みが迫ってきて再びトンネルに入ってしまいました。山の中です。そういえば奥州藤原家ってこの辺から始まるはずではなかったかと思い出ました。

名取川という川を渡ったとたんに密集した住宅地が始まりました。しかも山の上の方まで家が建っているんです。坂の町長崎のようです。一変して都市が存在する驚きを、今まで旅して何度味わったことでしょう。ヒトはいろんなところでいろんな暮らし方をしているものなんだと再び思い出させられました。因みにここは仙台です。

仙台駅では9割方の乗客が降りていきました。降りた客の半分くらいの客が乗り込んできましたが、私はその人たちとともにさらに進み、八戸まで行くことになります。新幹線から望む仙台の街並みから、高層マンションの多い大きな街だという感想を持ちました。これだけの人口を養う産業はなんだろうと考えてみましたが見る限りでは、私にはよく知りませんでした。そして不思議な街に見えました。大企業の支店があるだけなのでしょうか。

新幹線の車内雑誌に、日本の北国の言葉がゆたかで美しく「他にたとえる言語がないほど北国の言葉は、ゆたかで喜びと哀愁に満ちたものです」と井上ひさしが伊集院静に話したことが載っていました。これを読むと、この東北の旅がより楽しみに・・・。

新幹線は盛岡で私の向かう八戸行きと田沢湖秋田方面に行く車両とに分かれます。ヒトはいろんなところにいろんな目的でいくものなんですね。好奇心のためだったり野心のためだったり家族のためだったり自分のためだったり。八戸で北海道から来る母と合流するのですが。港や駅で遠くの人と落ち合えるのは映画のようだけれども、どうしてそんな遠くに私は来てしまったのだろうともふと思います。そして雇用の問題かと納得します。港や駅での再会にはいつも感動があります。だから人は港や駅をつくるのか・・・違う違う、感動は偶然の産物で、第一目的は開拓とそれによる国益か私益だと、都市の風景を見て思い直しました。

盛岡をすぎてしばらくするとほとんどトンネルでした。どれだけ山の中を走ってるのでしょう。鍾乳洞の寒さを思い出すと同時に、車内もなんだかひんやりしてきました。

夕方五時頃八戸につくと、外はもう肌寒かったです。東京の猛暑を一気に置き去りにして爽快でしたが残してきた猫を気の毒に思いました。
八戸駅前のサルスベリ

八戸の駅には大きな木と花壇とサルスベリの木がありましたが、それ以外は素朴で静かな町だと思いました。人通りもまばらです。
八戸駅

井上ひさしの言う北国の言葉の美しさを期待していたけれども、ホテルの人も駅前のドトールの店員さんも、見事な標準語をしゃべっているではないですか。とりわけ若い世代においては中央と地方で享受する文化の違いはないに等しいと思えました。でもコンビニの店員さんはけっこう東北弁だったと思います。この微妙な違いはなんなのでしょうか。いずれの店舗も全国展開するチェーン店というのに変わりはないのですが。

外国人が日本人が日本的なことをやると喜ぶというのを何度となく見た経験がありますが、その気持ちが分かる気がしました。そしてそれをちょっとズレた異人感覚と半分あきれて見てきたのも知っています。その期待自体すでに勘違いなのだろうけれども、外の人というのはその土地に対して典型的な何かを勝手に求めているのかもしれません。少なくとも自分はそうではないかとあきれ半分で思いました。

八戸ではなく本八戸のほうが城跡などの観光スポットがあるようですが、今回はそちらに行く時間をとってないのでよくわからないのですが、とにかく静かな駅前、ドトールの店内も、しゃべっている人がたくさんいるのにやはり静かな印象です。もしかするとこれが井上ひさしの言っていたゆたかさなのかとも思えてきました。でも、港の方の市場だったらまた違うとも思いながら、この日は眠りにつきました。
 
 
二日目 下北半島 恐山 仏ヶ浦
それぞれについて後日詳細をアップします。
 
三日目 龍泉洞 盛岡わんこそば
八戸から太平洋の海岸沿いに出て海景色を楽しみながら龍泉洞に向かおうと思っていたのですがが、甘い算段でした。道路から海は近いはずなのに、微妙に木々が立ちはだかって僅かな隙間からリアス式海岸をチラッと見るに終わりました。かつ、龍泉洞への道は工事中で、回り道をするはめになり、相当の時間ロスしました。下調べもせずに車を走らせるものではないとの教訓を得ました。龍泉洞に辿りつくまでに三人の人に行き方を訪ねました。観光名所のはずなのに車の通りもなく、誰も行かないところなのではないかと疑心暗鬼になって龍泉洞に行ってみると、たくさんの車が停まっていて観光客で賑わってます。普通は盛岡など内陸から来るんですね。でも、四苦八苦して龍泉洞について、鍾乳洞に入った途端、その徒労感は一瞬にして忘れ去られ、ひたすら驚きと感動でした。龍泉洞の画像等の詳細は後でアップします。

龍泉洞から盛岡に向かう途中にある岩洞湖です。

こちらも岩洞湖です。大きな湖でした。
盛岡市内に入るとそれまでとはうって変わって都市の景色です。ビルが立ち並び道路は何車線もあり、と思いきや、駅に向かうまでにはけっこ大きく立派な門構えのお寺がいくつもあります。寺町ではないかと思いました。
お寺群を過ぎるとこうしてお城の石垣が残っているのが見え、今は公園になっているのがわかります。でも今回は入りませんでした。ではなぜ盛岡に来たのかというと、わんこそばを食べるためだけに来たのです。近くのホテルの人にどこが良いか聞いて、駅そばの東家というお店に入りました。
猫がお店のキャラクターらしく、猫柄の壁かけなど猫ものがいっぱいでした。
猫好きの私は嬉しい限りです。
こちらは他の客さんがわんこそばと格闘した後のお椀です。
すごい数のお椀が積まれてます。これを見て若干ひるみましたが、
やはりわんこに挑戦することに。
これが薬味です。二千円台、三千円台、五千円台とコースを選べるのですが、私はお椀積み上げではなく自分で食べた数を数える二千六百円(くらいだったはず)のコースにしました。で、40杯食べました。母は54杯です。女性は平均30~40杯と店員さんがおっしゃってました。まあまあかな。
店内にはこうして招き猫の棚までありました。

四日目 平泉の毛越寺・中尊寺、宮城の松島
最終日は平泉を見てまわり、松島海岸を見て母は仙台港からフェリーで、私は再び東北新幹線で東京へと戻りました。毛越寺、中尊寺、松島は後日アップします。クタクタでしたがいい旅でした。

2010年8月30日月曜日

備屋珈琲店 恵比寿

恵比寿駅東口を出て3分ほどのところにひっそり佇む備屋珈琲店です。

カウンター席しか空いてないとのことで、
カウンターの一番端の席に座らせてもらいました。
私が行ったときは会社員らしき男性の姿がけっこう多かったと思います。

こうしてずら~っとカップが並んでます。

メニューのトップにある備屋珈琲を注文したのですが、
カウンター席のために珈琲を入れる一部始終を見ることができ、
自分で入れるときの参考になりました。
あんなにゆっくりゆっくりお湯を注ぐんですね。
また、この店舗ではカウンターに座る人だけなのかもしれませんが、
使用する食器を選ばせてくれるのです。
私はピンクの花のカップをお願いしました。

こちらです。

珈琲の方はちょっと甘酸っぱくて渋い香りに
透明感のある苦味の珈琲で、
とても上品な味わいでした。

全席喫煙可らしく、タバコの臭いが充満しているのが難でしたが、
それ以外は文句なしです。

(注:クリックすると音が出ます。)
マリア・カラス La Wally

2010年8月29日日曜日

井の頭自然文化園の動物たちの続き

猛暑で頭がぼーっとしていたせいか、画像もぼやけてます、すみません。
腕をあげないと。
オオコノハズク
身動き一つしないので、最初はどこにいるのかわかりませんでした。
置物のようにも見えますが、それが自然で生きる術なのかも。
メンフクロウ
こちらも動きません。
でもしばらくすると、ものすごくゆっくりと動いてくれました。
そして生きていることを確認できました。
ハクビシン
こちらのハクビシンはずっとうろうろしてました。
暑さをものともしないようです。
フェネック
どのフェネックもこのようにグッタリ横たわってました。
点々と位置をとって過ごしてます。
一番大きなフクロウとのことです。
太い足が怖いです。
なかなかいいポジション取りでした。

他にもたくさんの動物たちがいるのですが、
暑いのでとっとと退散してしまいました。
今回はヤマネコを見たくて来たのですが、
ヤマネコのところには全然人がいません。
意外でしたが、その分よく見られて良かったです。
8月中旬の井の頭でした。


(注:クリックすると音が出ます。)
マルタ・アルゲリッチ Hungarian Rhapsody No. 6 in D-flat major

2010年8月28日土曜日

厚岸 北海道

根室本線の厚岸駅で降りて、駅近くのかき飯屋さんで食べたかき丼です。
見た目よりしょっぱくない味付けで、どちらかというと甘いです。
かきがとろける柔らかさでした。
ついでに切れかかっていた携帯の充電もさせてもらいました。
駅から歩道橋を渡って上の方に行くと道の駅があります。
歩いていける距離です。
ここでは何人もの若者がノートパソコンを広げているので、
厚岸の高校生は道の駅を
自習室がわりにしてパソコンで勉強するなんて、
時代も変わったものだと思って
そばを通ったときにパソコンの画面を見てみると、
どう見ても中国語のページで、私の大きな勘違いでした。
こんなふうに一人一台パソコンを広げているなんて、
金持ちの中国人観光客でした。
さすがに地元の高校生はわざわざ道の駅にパソコン持ってこないか・・・。
でも、ある意味時代が変わったなあと思いました。
高台にある道の駅から望む厚岸湖です。
広い厚岸湖ですが、
どこまでが厚岸湖でどこからが厚岸湾かがイマイチわかりませんでした。
赤い橋を堺に別れるのかなどいろいろ考えてましたが、やはり不明です。
ただ、海だとすると、ここはまだ太平洋です。
道の駅内の水槽です。この辺の海に生息する魚だそうです。
みんなけっこう怖い顔してます。
本当にこの魚たちがいるのかと思うと、
海に入るのが怖くなりました。
魚食べるくせによく言うわと、自分でも思います。

厚岸ではけっこう雪道を歩きましたが、最初は十数年歩いてない雪道を転ばずうまく歩けるだろうかと不安だったのが、歩いているうちに子供の頃に雪遊びしていた感覚が蘇ってくるから不思議です。なので、雪だらけになって雪の積もるコンクリートの壁を超えてみたりと、やることも子供じみてきます。この年にして、なかなか新鮮な体験をできました。雪道、億劫がらずに歩いてみるもんですね(こうして調子にのるのが怪我のもと)


2010年8月27日金曜日

静かな大地 

朝日文庫から出ている池澤夏樹の『静かな大地』を読んでいると、自分の幼少期を思い出しました。静内ではなく旭川のことですが。

小学校にあがる前の年頃に家の前で一人で雪遊びをしていると、通りを馬車が通りました。車が行き交うものだと思っていた道路を馬車が通るのを肉眼で見たのはあれが最初で恐らく日本では最後と思います。

馬はとても大きく見えました。本当に馬がこうして生活のなかにあるということが、当時の私にはとんでもない驚きでした。

当時の道路は今日のように舗装されていなくて、砂利道だったと思うのですが、雪で砂利は見えませんでした。真っ白の世界を茶色の馬が一頭とても静かに大人しく過ぎていく、人生で最も印象に残る光景の一つになってます。

『静かな大地』ではアイヌの人々の暮らし、維新後和人が入植してからの変化が描かれてますが、もとはアイヌが暮らしていたところなのかと思うと、自分が北海道出身であると言うのがおこがましく思えてきます。

この小説は著者自身の先祖の物語だそうですが、この時代の北海道を知るいい機会になりました。同じ北海道出身の身としてありがたく思います。

私が同じく小さい頃、アイヌの人がまだ残っているとのことで、母にアイヌ人のところに連れていかれたことを覚えてます。日本人とはちょっと違う人だと幼心に思いました。そして日本人とは違う暮らし方をしているようだとも思いました。小説のなかには、アイヌ人を差別し滅ぼすことを強さの印だと悦に入って堂々とやる人々がいることが描かれてましたが、そんなことを思える理由が私にはわかりません。あそこにいたアイヌ人がどういう思いで和人が来ることを考えていたのかと思うと、自分がいるべきところではないように思えてきました。

(注:クリックすると音が出ます。)
カラヤン指揮 ドヴォルザーク Symphony No. 9 "The New World

2010年8月25日水曜日

農業 京都

京都郊外の田園風景。
奥が耕作地で手前が耕作放棄地です。
農業では食っていけないと後を継ぐ人がいないために
耕作放棄地となってるそうです。
社会の縮図がここにもありました。

こちらも耕作放棄地です。
こちらは耕作地。
若い人はどんどん出ていくので、
こうした耕作地も10年20年経って世代がかわると共に
更に減ることが予想されます。

とある農家のお庭。

昔ながらの風習が今なお残る農村地帯では、嫁不足どころか
そこで生まれ育った人までもがついていけないと出て行くそうです。
農業では食っていけないために職を求めて
都市に出て行くとの理由も当然ありますが、
土地の人が出ていくところに
どうして外から結婚相手が入ってきてくれるのでしょうか。
なのに、私の独身の友人は〇〇してるくらいなら
農家の嫁にいけと言われたそうです。
現実がわかってない年寄りの独りよがりな発言と思います。

なかなか厳しい京都郊外の農地の現状でした。



2010年8月23日月曜日

日本の農家 京都

京都郊外のとある農家にお邪魔した際に撮らせていただいた画像です。

のどかな田園風景。
住宅の向こうにもすぐに広がる田園風景。
灯籠のあるお庭。
和室。
母屋、離れ、農作業機などを保管する建物含め、
三つほどの建物が敷地内にあるのが普通だそうです。
こちらは亀岡城。
もみじの名所だそうです。
亀岡城は現在は大本教の境内になっていて、
入ることができません。
亀岡城の石垣です。

以前都庁に行った際、亀岡市が観光案内のパンフレットを配ってました。
もみじの亀岡城や保津川など、何気にいろいろあるようです。
京都市内の賑わいに疲れた頃に行くと、
けっこうリフレッシュできます。

川の流れ

闇夜が明けると一気に気温が上がる。あれだけ鳴いていた虫たちは昼の太陽のもとでも鳴いている。同じ虫なのか、それとも既に息絶え違う虫が鳴いているのか。夜より音の多い昼間は、その音を出すほとんどの原因が人なので、他の生き物たちは迷惑かもしれない。でも、こうしてずっと同じ空間で生きてきているなら慣れているかも。

何時間か前には暗闇と安全や宣伝のための灯しかなかった空間に、今は橋があり人が活動し草木がこれほどの面積を保ち電信柱が点々とあるなんて、なにかのマジックのようだ。

本当に、マジックなのかもしれない。

今日の川は流れが早く、水もいつもより深かった。上流の方で雨が降ったのだろうか。いつどこで降った雨がこうして流れてきたのかと思うと、網走沖で見たオホーツク海の流氷がアムール川の淡水であるような、そんな地球の広さを感じる。

『静かな大地』という池澤夏樹の小説では、登場人物たちは淡路島から北海道の静内に移住していた。
最初の方しか読んでないが、相当苦労したらしい。

この目の前のいつもより早い川の流れは何をもたらすんだろう。

2010年8月22日日曜日

フジウのケーキ サルスベリ

高幡不動のフジウのケーキです。
右がレアチーズ、左がトリオです。
夏バテで胃腸が弱りがちな季節にはもってこいの品です。
程良い甘さ、程良い酸味です。

フジウではいろいろな商品がいつも色とりどりの色彩を放ってますが、
ちょっと地味ですがシュークリームも美味しいです。
サクっとしたクッキーのような生地の中にコクのあるクリーム。
絶品です。そして値段も手頃です。

都内某所のサルスベリ並木。
真夏に京王線に乗って電車から外を眺めていると、
主に見えるのはサルスベリとヒマワリでした。
この暑さのなかを上に向かって咲くサルスベリは、
空への挑戦のようでなんだかカッコ良くも見えます。
この鮮やかさと威勢の良さは、
サクラとはまた違う趣をもたらす夏の風物です。
学生の頃はそういうことに無頓着だったのが、
今では咲けば嬉しく、散れば寂しく、
また一年待とうと思う日々になりました。


2010年バイロイト音楽祭『ワルキューレ』の続きである
2幕、3幕を見ましたが、
第二幕はどうしても物語に入って行けず苦痛になり、
私はワグネリアンになる資質はないと思いました。
ただ第三幕のブリュンヒルデとウォータンの掛け合いは
途中から見応えがあると思いました。
立場の違いから来る裏切っただ裏切られただといろいろですが、
理解しあえる部分があって、親子愛がある・・・。

指揮していたティーレマンですが
ワーグナーの指揮には定評があるそうですね。
音楽祭は7月下旬から8月末まで一ヶ月くらい続くそうなので、
ワグネリアンにとっては至福の一ヶ月なのでしょう。

  (クリックすると音が出ます。)
アルゲリッチ&キーシン 3º-Mozart's Sonata in C major, KV 521