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2010年8月13日金曜日

吉野 奈良

吉野といえば桜か、後醍醐天皇が最後に逃げていったところかというイメージでしたが、私が3月に行ったときにはそんなイメージからは程遠く、吉野の山は雪でした。

桜シーズンは臨時バスも出るほどに賑わうところのはずなのに、3月で雪となると、観光客は誰もおらず、地元の人もほとんど外に出ていませんでした。

そんな殺風景と言えなくもない吉野ですが、何の音もしない吉野の山は、確かに落ち込んだときや何かをやり直したいときに引きこもるにはぴったりの場所ではないかと思えてくる優しさです。


こうして吉野の山を登ったところから見る麓の風景は、人里はなれていつつも人里が近くにあるという安心感をもたらしてくれます。

ただ、後醍醐天皇の時代ならば、きっとこんなに開けてなかったと思うので、敵軍が攻めてくる心配もそれほどせず、京都を懐かしく恋しく思いながらひっそり余生を過ごしていたのではないかと思えてきます。こうして雪の日も、桜の咲く日も、同じく毎日毎日京都を思っていたのではないでしょうか。それはそれで、とてつもない権力(京都)志向の人だなあと思いますが。そしてその分、無念さも強かったのではないかと・・・。

今回行けませんでしたが、そんな後醍醐天皇が京都を思ってあえて吉野より北に位置する京都に面して眠っているのが如意輪寺内にある円墳の塔尾陵(とうのおのみささぎ)だそうな。そこまで京都が好きだったか、すごい執念です。

金峯神社の鳥居です。
左側の木に雪が積もってます。
寒い山には誰もいませんがなかなかいい風景です。
これは金峯山寺かどうか、ちょっと不明です。
この苔むした木々、古さを感じさせます。

確かに京都や奈良の東大寺などのメジャーなお寺とは
雰囲気も観光客の多さもまったく違います。
奈良市内から吉野に行くのも一時間半から2時間くらいかかりますし、
第一線を退いた人の行くところという印象は持ってしまうかもしれません。
熊野の方までずとずっと山続きなのを見ても、
ちょっと途方に暮れるかと思います。
山篭りとはこのことかと。海でも見えればまた違うのに。

それでも今なら吉野から京都に2時間くらいで行けますが、
後醍醐天皇があの時代に今生の別れと思って
(そう思ったかどうかは知らないが)、
寂しくなったのはわからないではありません。
どこから撮ったのかよく覚えてませんが、吉野のどこか上の方です。
私が歩いたところはどこも舗装されていたので、わりと歩きやすかったです。

思いのほか静かで落ち着いていて、
かつ今の吉野はそれほど寂しさを感じさせない
山のなかでした。
今度は桜の頃に来たいです。