一日目 東北新幹線の車窓 東京~八戸
初めて乗る東北新幹線はほぼ席が埋まっていて思いのほか混んでるという印象でした。どおりで東京駅の新幹線改札付近が改札を出る人と入る人たちで、新幹線出発アナウンスの喧噪に混じってごった返していたはずです。残暑のすさまじいなかでの人混みは、さらに体感温度を高める気がして息苦しかったです。
こちらは新幹線に乗車前に寄った小田急本店但馬屋珈琲のブレンドです。
暑くてフラフラするので身体を冷やすために寄ったのに、
なぜホットを頼んだのか、それくらい朦朧としていのか・・・。
家を出てから東京駅に到着するまでに、あのビルでは知り合いの〇〇さんが今頃仕事をしているんだろうなどと思うと、とても近くにいる感じがしました。新幹線に乗ると、母が最近車を買ったというガリバーの看板がビルの屋上に見え、本社ビルなのかなどといつもなら気にしない看板も目に止まります。
東北新幹線が初めてと言っても東海道新幹線には何度も乗ったことがあるのですが、その時は出張や帰省、旅行客など一人で乗車している人が多かったため東海道の旅はいつもわりと静かだったのですが、今回の東北新幹線は夏休み中のせいか家族連れや団体観光客が多く、賑やかでした。
通路を挟んで隣側の席には車いすの乗客が座りました。家族であろう人たちが、席を回転させ、車いすから新幹線の座席に座らせてあげているのを見て、どうせ技術が進歩するならどんな人でも便利に過ごせる世の中になればいいのにと思いました。頑健な人が宇宙に行くより、誰でも国内を行き来できるインフラが整うことの方がよっぽどいいと。
田園と住宅のある風景
そんなことを思いながら新幹線が埼玉県に入ると大手企業の研究所だったり工場だったりがたくさん見えてきました。そして新幹線が利根川を渡ると田園風景が目立つようになり、那須のあたりからは完全に田園と林の交互する中を走るようになります。日本が元々農業国だと実感する風景です。ところどころにある耕作放棄地は、そんな農業国の終わりの始まりを暗示しているのでしょうか(それとも日本の終わりか)。それ以前に東京駅から大宮あたりのビルや工場の立ち並ぶ景色が第三次産業に移ってすでに資本主義も先細りになることを暗示してるようにみえました。
田園だけの風景
福島県に入るとトンネルが増えてきました。ちょっと遠くには低い山並みが見え、霞がかかったそのさらに奥にはそれよりも高い山並みがうっすらと見えます。奥羽山脈でしょうか。と思っていると、急に山並みが迫ってきて再びトンネルに入ってしまいました。山の中です。そういえば奥州藤原家ってこの辺から始まるはずではなかったかと思い出ました。
名取川という川を渡ったとたんに密集した住宅地が始まりました。しかも山の上の方まで家が建っているんです。坂の町長崎のようです。一変して都市が存在する驚きを、今まで旅して何度味わったことでしょう。ヒトはいろんなところでいろんな暮らし方をしているものなんだと再び思い出させられました。因みにここは仙台です。
仙台駅では9割方の乗客が降りていきました。降りた客の半分くらいの客が乗り込んできましたが、私はその人たちとともにさらに進み、八戸まで行くことになります。新幹線から望む仙台の街並みから、高層マンションの多い大きな街だという感想を持ちました。これだけの人口を養う産業はなんだろうと考えてみましたが見る限りでは、私にはよく知りませんでした。そして不思議な街に見えました。大企業の支店があるだけなのでしょうか。
新幹線の車内雑誌に、日本の北国の言葉がゆたかで美しく「他にたとえる言語がないほど北国の言葉は、ゆたかで喜びと哀愁に満ちたものです」と井上ひさしが伊集院静に話したことが載っていました。これを読むと、この東北の旅がより楽しみに・・・。
新幹線は盛岡で私の向かう八戸行きと田沢湖秋田方面に行く車両とに分かれます。ヒトはいろんなところにいろんな目的でいくものなんですね。好奇心のためだったり野心のためだったり家族のためだったり自分のためだったり。八戸で北海道から来る母と合流するのですが。港や駅で遠くの人と落ち合えるのは映画のようだけれども、どうしてそんな遠くに私は来てしまったのだろうともふと思います。そして雇用の問題かと納得します。港や駅での再会にはいつも感動があります。だから人は港や駅をつくるのか・・・違う違う、感動は偶然の産物で、第一目的は開拓とそれによる国益か私益だと、都市の風景を見て思い直しました。
盛岡をすぎてしばらくするとほとんどトンネルでした。どれだけ山の中を走ってるのでしょう。鍾乳洞の寒さを思い出すと同時に、車内もなんだかひんやりしてきました。
夕方五時頃八戸につくと、外はもう肌寒かったです。東京の猛暑を一気に置き去りにして爽快でしたが残してきた猫を気の毒に思いました。
八戸駅前のサルスベリ
八戸の駅には大きな木と花壇とサルスベリの木がありましたが、それ以外は素朴で静かな町だと思いました。人通りもまばらです。
八戸駅
井上ひさしの言う北国の言葉の美しさを期待していたけれども、ホテルの人も駅前のドトールの店員さんも、見事な標準語をしゃべっているではないですか。とりわけ若い世代においては中央と地方で享受する文化の違いはないに等しいと思えました。でもコンビニの店員さんはけっこう東北弁だったと思います。この微妙な違いはなんなのでしょうか。いずれの店舗も全国展開するチェーン店というのに変わりはないのですが。
外国人が日本人が日本的なことをやると喜ぶというのを何度となく見た経験がありますが、その気持ちが分かる気がしました。そしてそれをちょっとズレた異人感覚と半分あきれて見てきたのも知っています。その期待自体すでに勘違いなのだろうけれども、外の人というのはその土地に対して典型的な何かを勝手に求めているのかもしれません。少なくとも自分はそうではないかとあきれ半分で思いました。
八戸ではなく本八戸のほうが城跡などの観光スポットがあるようですが、今回はそちらに行く時間をとってないのでよくわからないのですが、とにかく静かな駅前、ドトールの店内も、しゃべっている人がたくさんいるのにやはり静かな印象です。もしかするとこれが井上ひさしの言っていたゆたかさなのかとも思えてきました。でも、港の方の市場だったらまた違うとも思いながら、この日は眠りにつきました。
二日目 下北半島 恐山 仏ヶ浦
それぞれについて後日詳細をアップします。
三日目 龍泉洞 盛岡わんこそば
八戸から太平洋の海岸沿いに出て海景色を楽しみながら龍泉洞に向かおうと思っていたのですがが、甘い算段でした。道路から海は近いはずなのに、微妙に木々が立ちはだかって僅かな隙間からリアス式海岸をチラッと見るに終わりました。かつ、龍泉洞への道は工事中で、回り道をするはめになり、相当の時間ロスしました。下調べもせずに車を走らせるものではないとの教訓を得ました。龍泉洞に辿りつくまでに三人の人に行き方を訪ねました。観光名所のはずなのに車の通りもなく、誰も行かないところなのではないかと疑心暗鬼になって龍泉洞に行ってみると、たくさんの車が停まっていて観光客で賑わってます。普通は盛岡など内陸から来るんですね。でも、四苦八苦して龍泉洞について、鍾乳洞に入った途端、その徒労感は一瞬にして忘れ去られ、ひたすら驚きと感動でした。龍泉洞の画像等の詳細は後でアップします。
龍泉洞から盛岡に向かう途中にある岩洞湖です。
こちらも岩洞湖です。大きな湖でした。
盛岡市内に入るとそれまでとはうって変わって都市の景色です。ビルが立ち並び道路は何車線もあり、と思いきや、駅に向かうまでにはけっこ大きく立派な門構えのお寺がいくつもあります。寺町ではないかと思いました。
お寺群を過ぎるとこうしてお城の石垣が残っているのが見え、今は公園になっているのがわかります。でも今回は入りませんでした。ではなぜ盛岡に来たのかというと、わんこそばを食べるためだけに来たのです。近くのホテルの人にどこが良いか聞いて、駅そばの東家というお店に入りました。
猫がお店のキャラクターらしく、猫柄の壁かけなど猫ものがいっぱいでした。
猫好きの私は嬉しい限りです。
こちらは他の客さんがわんこそばと格闘した後のお椀です。
すごい数のお椀が積まれてます。これを見て若干ひるみましたが、
やはりわんこに挑戦することに。
これが薬味です。二千円台、三千円台、五千円台とコースを選べるのですが、私はお椀積み上げではなく自分で食べた数を数える二千六百円(くらいだったはず)のコースにしました。で、40杯食べました。母は54杯です。女性は平均30~40杯と店員さんがおっしゃってました。まあまあかな。
店内にはこうして招き猫の棚までありました。
最終日は平泉を見てまわり、松島海岸を見て母は仙台港からフェリーで、私は再び東北新幹線で東京へと戻りました。毛越寺、中尊寺、松島は後日アップします。クタクタでしたがいい旅でした。