1890年に建てられた奏楽堂の明治から大正、昭和に至るまでの活躍ぶりが一階資料室には展示されている。そして階段を上って二階からは、今では広い方ではないと思える大きさのコンサートホールに入ることができる。
左右にグランドピアノ二台を従え、正面中央にはパイプ数1379本というパイプオルガンが、低い天井あたりまでそのパイプをのばして鈍い輝きを発している。色あせた赤いカーテンの前にある黒いスピーカーからは、レコード時代の音と思われるクラシック音楽が流れ続ける。そして途中からオーソレミオが始まった。
観客の一人もいないなかでこうして音楽が流れると、中規模の芝居小屋ほどのコンサートホールが、誰もいない小学校の体育館のように広く寂しく感じられ、ただ古びた様相だけを呈しているのがなにか時間からとり残されたようだ。ところどころ故障したイスの並ぶこのホールも、コンサートが催されるときは拍手喝采でわくだろうだろうということは、明治、大正、昭和の奏楽堂の資料を展示室で見てくるとわかる。第九のときには舞台も客席もギュウギュウ詰めで、緊張しながらも楽しそうだった。
三浦環がこの奏楽堂で日本人初のオペラ公演によるデビューを果たしたそうだが、この狭い舞台でどうオペラを上演したのかと、これまでに何度かオペラを見たときの舞台と比較すると疑問になってくる。でも当時の洋式音楽ホールの希少さでは、どんな舞台も立てるだけで、観客として入ってみられるだけで、晴れ舞台だろうと想像する。
明治の香り残る、古き良き旧東京音楽学校奏楽堂だった。
奏楽堂
『仏教伝来の道 平山郁夫と文化財保護』展の方は東博ならではのなかなかな混み合いようだった。仏像などの展示ガラスには、面白いほど同じような場所に、あまりのガラスのピカピカぶりのためだろうが、そこにガラスがあることを忘れて覗き込もうとしてぶつけたと思われる鼻の跡がいくつもあった。好奇心の強い人が多いらしい。 15時からの薬師寺の坊さんの講演会では、噺家のように話のうまい坊さんが約一時間に渡っておしゃべりを披露してくれた。綾小路きみまろのような客のいじり、つい数日前に100名で行ったというインド旅行での珍事件、最後は仏教礼賛で終わるのだが、高齢者が多いことに目をつけて、死がわりと近いことをユーモアに溢れた自虐さで表現して、観客の笑いを誘っていた。
平山郁夫のシルクロードの旅について触れる際、旅はコペルニクスが地動説を唱えたことから盛んになったと言っていた。そして例えばコロンブスとか、、、と続き、あまりに大それた旅で結局私には身近に感じられなかったけれども上手く話をまとめていたと思う。
平山郁夫の旅の地図を展示室で見ると、日本を出てシルクロードを超え、随分と西方まで旅していることがわかる。私はそんな旅のなかから描かれた『大唐西域壁画』のカラスが妙にリアルに感じられて気に入り、『明けゆく長安大雁塔・中国』の山並みが懐かしく感じられ、『西方浄土 須弥山』の空の色が先日飛行機に乗ったときに雲の上で見た空の色とあまりに同じように感じられ、空想の旅をした満足感が得られた。
東大寺の坊さんの話を聞いた時も話のうまさに驚いたが、それに続いて薬師寺の坊さんのこのうまさ。坊さんは講演の特別訓練でも受けているのだろうか。